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【539】事故多発交差点の中央突破 [ビジネス]

 前々回、『国際的なスタンスでテロ行為を防止したい意図は理解できる』と述べた。
 だが、現状日本政権の目的はそこにない。日本社会から立ち上がってくる都合の悪い活動勢力を合法的に封じ込める、ただそれだけのためだ。
 要は『政権の権益を邪魔する者をショっぴければ、テロが起ころうが何人死のうが別に構わない』つもりだと言い切って実態に逆らうことはなかろう。
 従って、現政権に理解する余地など無い。万人等しく身ひとつの1日24時間で物事は進むのだから、急ぐ理由はあるにしても、誰かだけ法案検討に必要な工程をスキップする訳には行かないのである。

 もう死力を振り絞って、議会で多数決の構図が成立するうちに、『ワシらがこう言えば、社会はその通りに動くもんだ』という強制力を仕込もうと、なりふり構っていられないところまで来ているのだ。ダメオヤジ利権帝国、断末魔の強権発動である。
 これまで何年も『その通り』になっていたから、日本の国家財務は返済不能の累積債務でメチャクチャになり、エネルギー政策なんかそっちのけの錬金施設としての原発だらけになり、何より一番元気に社会を創造し謳歌して生きていくはずの若い人たちの精神力が、手酷い荒れ方で傷んでしまった。

 ようやくこの数年、その馬鹿馬鹿しさに気付いた日本社会の自我が絶望に座り込むのをやめ、破滅的な利権シナリオを明確な反感でシカトし、暗黙の了解だった隠し事やお約束スルーを片っ端から晒しにかけるようになった。『ワシの言う通り』に対して『おいッ、それは違うだろう』と正面切って否定の態度を叩きつけ、『所詮はダメオヤジ、殴れば効く』の確かな実感を手に入れ始めた。
 ちょっと前よく話題になった言論弾圧も、いよいよ虚構の神通力がダレてきたってことさ。当然ダメオヤジ利権文化にとっては、ママゴト帝国が存亡の危機に瀕しているワケだ。
 反面、日本社会にとっては正常な民主主義文化に立ち戻るターニング・ポイントである。

 日本社会の過半数はこの現状を理解していると思われ、そこここで散見される世論調査が、イコール日本社会の真意だとまでは言わないが、すべからく反対意見が優勢と見受ける。
 当たり前だ、テロ等準備罪は社会でフェアに通用するルールとして、明らかに適用の対象を特定する内容が足りないのである。
 この『内容の不足』および『そこをどう埋めるか』の話ができない者に、民主主義議会の議員をやる資格など無い。皆でよく見ておいて、以降の選挙権行使に間違いなく反映されたい。

 日本国民の務めとして、しっかり社会の思考力・判断力を表明するべき大事な局面だとは思うのだが、程度の低い左巻きが、やれ戦前の治安維持法だ特高警察だ軍国主義への回帰だと気の狂った痴呆持論を口走ってしまい、いま混ぜてはいけない話と混ざりそうなので、今回はそこに歯止めをかけておこう。

 大東亜戦争までの日本国において、お国の意思決定に逆らう言論が厳しく規制された事実はあったようだ。引っ立てて殴る蹴るの暴行はもとより、刑具まで持ち出す恐怖性・猟奇性まで社会常識の範疇だったという【458】
 組織力は、それを構成する全員に、画一化された意志が徹底普及されているほど束が太く強力になる。欧米列強に食い物にされないため、小国の国力を一致団結させねばならなかった時代のことである。
 日本国は全力で国際的地位のランクを這い上がり、それを叩こうとする既存勢力と衝突して戦争に陥り、最後の最後まで戦い抜いた挙句に核兵器まで持ち出されてしまい、遂に力尽きて敗れた。終わってみると、脇目も振らず国じゅうの物資や人員を戦力に投じたため、赤貧の生活や悲しい家族喪失の苦難も乗り越えねばならなくなっていた。

 これを戦後ぬくぬくラクチンチンの立場から片手落ちの結果論で御高説を組み上げ、『組織の意志を画一的に徹底普及させるのは悪、危険な人間社会の性』と短絡させるのが、よくある左巻き論法である。
 もちろん組織一丸となって何かに取り組むこと自体に問題はなく、またその取り組みが正解か不正解かなんぞ誰にも判らない。大東亜戦争その時その場の決断と行動の選択をもって、『ここに邪心は無い』とロジカルに結論付けたのが、パール判事そのお方だ【307】

 左巻き人種は、まず『自分こそ、そこらの雑魚とは別格に物事を冷静視するクールな監視役なのさ』という、薄らいけすかない優越感を持っているのが普通だ。つまり大勢が形作るひとつの傾向、これは過半数に達して組織の自我となるものだが、これに対してケチをつけるコト逆らうコトそれ自体をもって自己主張のウリにし、声高に叫ぼうとする性向がある。
 枠組みに囚われないという意味で『リベラル』という言葉を拡大解釈して充てられることも多く、ちょっとした知性派アウトローを気取れるあたりも、左巻きスタイルの人気がなかなか廃れない理由のひとつなのかも知れない。
 いやまあ、それなりに横槍勢力って居た方が良いんですけどね【92】
 たま~に本当に頭の良いのがいて、こういうのは組織内の革新的・急進的マインドとして機能するのだが。

 ともあれ、いま大事なのは日本社会全体がまったくもってうまくいっておらず、みんなで頑張って明るい未来を作っていかねばならない、そのやる気を出さねばならないという課題意識だ。結論!!
 みんなで頑張るためには、みんなが納得できるフェアな社会生活の土壌を保証することが必要で、故にテロ等準備罪を始めとするダメオヤジ利権文化は完全撲滅せねばならない。
 みんなで頑張るためには、みんなで目指す社会像のベクトルを揃えることが必要で、故にかつて先進他国に危険視されるほど日本国が急成長した、一致団結の国民性は否定せず取り戻さねばならない。

 『自称保守』のダメオヤジ利権組も、『自称リベラル』の反勢力虚弱児組も、どっちも日本社会の自我の心を掴むにはフヌケの自分勝手・自己満に過ぎるのである。
 『保守』も『リベラル』も、元々は時の最適解を求めて選んだ社会勢力の基本コンセプトのことだが、現代日本社会においてはいずれも『自分のトクやラクやカッコつけのため』の薄っぺらい行動様式に落ちぶれており、今や語るに値しない枕詞でしかない。

 若者たち、どっちのバカ大人レッテルも貼られんなよ、あほの勲章だ。保守派と革新派が、フランス国会で右と左に座席取りを分けたのが例の語源だったりするのだが、そんな昔のハナシなんかどうでも良かろう。
 ショートかロングか、速攻か刻むかは選択肢。だが方向は常に『前』をお勧めしておく。

【538】ささやかに焦ったハナシ、これから大きく焦るハナシ [ビジネス]

 またしても自作PCのCドライブ空き容量ピンチの警告である。お、おいっ!?
 今じゃねえだろが。キサマ誰のお陰でこの世に起動できたと思っとるんだ、バラすぞ。

 まだ半年にもならないこの正月に、実に240GBあったCドラが残量ひとケタのピンチに陥り、どうにか350GBに拡張して解決したところである【509】
 まずそのこと自体おかしいだろ、どんなCドラだよ。
 確かに私がガッタガタにへこたれていた時期の、やり散らかし屑ファイルがまだデスクトップ上に残ってはいるが、基本的にドキュメントは全て別ドライブに分けて保管しているから、システムの何かが重くなっているとしか思えない。新しいアプリなんか追加してないし、だとするとセキュリティの自動更新で落ちてくるアップデートパッチが原因か?それにしても5ヵ月で100GB増は重いぞ。

 実は正月の節目でカンタンに監視の目を緩めたワケではなく、Cドラ容量の動向は追いかけていた。そして案の定というか、妙な微増はあるな~と思っていたら突然に残量25.5GBとなり、クソやっぱりかよ!という感じである。参ったね、どうすればいいのだろう。

 前の正月にもだいぶやったのだが、この現象をネット検索してみると掛かる掛かる、これ家電や車なら完全に特大レベルの市場不具合じゃないの。
 日常の通信を預けている愛機がいきなり重篤な容量ピンチに陥り、常識的PC知識の一般ユーザー向けディスククリーンアップは無力というかまるで話にならないゼロ効果、打つ手なしのままみるみる残容量が喰われていく…
 唐突に容量不足になるだけあって、悪戦苦闘の最中にもディスク残量は20GBくらい平然と増減する。非常に腹立たしいが、とにかく容量枯渇のギブアップに達してしまうと万事休すなので対処を急ぐしかない。
 ウチみたいな超巨大Cドライブの変態機で、たかだか数十GB級Cドラのネット民ユーザーたちと同じ不具合モードを喰らうからには、状況に応じて『容量があればあるだけムダ喰いする』何かが潜んでいると推察される。

 因みにCドラの復元ポイントは、連装した別のハードディスク機の方に落としており、もちろん常時整理してある。ナウ稼動中のCドラが、秒速メタボ病にやられたとでも言おうか。
 あちこち隠しファイルを漁りまわってログ記録logs系や一時ファイルtemp系を捨て、コマンド・プロンプトのディスクチェックまで使ってCドラを整理修復してみたが、その効果かどうかも確信が持てない20GBちょっとが空き容量に加わったに過ぎない。

 遂に馬鹿馬鹿しいがギブアップ判断、Cドライブを更にプラス100の450GBに拡張して解決…というか、本質的な解決を先送りにしてしまった。何とダサい。
 MSさん何とかしろよと言いたいところだが、ネット社会を横行する悪意もどんどん巧妙化しているんだろうから、『ユーザーがその被害に遭うくらいなら肥大アップデートパッチで困る方がマシ』という厳しい判断をした可能性も少なくないのか。私がこれだけ手こずるんだから、市場からの苦情を浴びる負荷と損害は凄いことになっていると思われる。

 まあ仕方ない、今はここまでで決めた。
 この割り切りをして、その気にさえなってしまえばデータをちょちょいと動かし小1時間で作業完了できたのは、3.3GHz高速CPUにSATA6GB/s高速通信のマザーボード、さらに500ギガ及び1テラ大容量HDDのハイスペック素性で組んだ、自作デスクトップ機ならではのことであった。
 最初を良いので組んどきゃ、障害にぶつかっても融通が利くのだ。いずれ落ち着いて殺意もおさまったら、腰を据えてCドラ容量負荷の分析と総整理をやるとしよう。
 ところでこれって業者呼んだら、どこまで対処して、おいくら取られるもんなんだろうか?

 …と、衝撃くらったストレスを吐き出したところで、あと少し東京五輪のカネ問題について。

 期限はあと3年しかないのだが、日本全国あちこちに競技開催に耐える規模の競技場はあるはずで、だとするとまだ3年もある。通信インフラを整備して競技開催も観戦も分散させるコンセプトに大転換さえすれば、余裕シャクシャクとはいかないまでも、質素に抑えた大会の実現がどうにか可能だと思う【495】

 いま大事なのは、『揉め事なく決めたままに進む五輪準備こそが解決策だ』とダメオヤジ裸劇のシナリオに出戻ってしまわないよう、しっかり気を取り直すことだ。
 それを言うなら、そもそも『コンパクト五輪』を謳って呼び込んだんだから、コンパクトでない規模の計画値に調子を合わせてしまったヤツ全員がガン首ならべて自責で仕事をやり直し、帳尻を合わすべきだろう。コンパクトをコンパクトでなくした失敗がある以上、それを泣きながら修正する特別損失には腹を括るのがスジだ。
 次の世代を生きる人たちに勝手な負担を積むようなことは許されない。やってはいけない。

 このところ目立つ地域活性化の成功例として『道の駅』が話題に上がっているのを見るが、郊外地のショッピングモールなんかも含めて格好の人員収容の大規模拠点になるだろうから、そこの映像・音声通信機能を強化してテレスタンドなる観客席にするというのはどうだろうか。案外、開催地の負担を広く薄く分散させる効果が強く出てくれるかも知れない。
 宅配トラックの特装をアレンジして荷室まるごとをカートリッヂ式とし、往路でテレスタンドへの物資供給を行い復路で廃棄物を持ち帰る。まだ行き過ぎた過負荷の是正がやり切れていない宅配システムだが、これがモノになれば随分と計画的な稼動形態が実現すると思う。
 もちろん、後々は全国全域でテレラボ往路の物品配送+復路の廃棄物回収への定期運用としての転用を検討するのである。
 更にこれをトラクターにして客車を引かせ、GPSと組み合わせた運行情報のリアルタイム配信ができれば、高齢化の進む山間部で新しい公共交通機関として成立するかも知れない【192】

 たった3年の短期間で五輪大会開催という大ごとを成さねばならないのは確かにタイヘン、だからといって将来性の無いその場しのぎによろめいたら、ようやくのせっかくで直しにかかった直近ここまでの努力が水の泡だ。
 どんなに慌てるにしても、非難轟々浴びようとも、素朴な辻褄の最初のステップを踏み出さないと先が無いように思う。バカな大人をやめるため、ここはきちんと焦ろう。

【537】乱痴気プレイバック幼稚園の留年宣告 [ビジネス]

 特定秘密保護法案の強行採決を嘆いていた過去が懐かしい【318】【319】
 テロ等準備罪の衆院法務委員会、もうあれは民主主義でないというのも躊躇するくらい、文化社会で人が意図的に起こす事態ではない。
 ちょっと前なら幼稚な妨害目的でグズる左巻き野党の反対答弁によるところも悪いという話ができたが、今はもうあの場まるごと『議会制民主主義に不適格な人種しかいない』としか言いようがない。

 ここなんか、たぶん日本全国で毎回3名さんくらいが10秒そこそこで斜め読みして三歩先で忘れ去り、それっきりで宙に消えてオシマイになっているはずだが、それでも

  日本国運営の決定事項に対して攪乱目的の情報を散布し3名構成の組織を立ち上げた。
  これは十数秒にわたり国家転覆を計画した全国規模のテロ準備行為にあたるのでは?

との嫌疑が成立してしまう。
 『合法的に』社会システムを駆使してこの私を特定し、常時ここの更新を含む私の全通信を監視し、きっかけを捉えて、いきなりのタイホで身柄拘束とはいかないまでも、ある日ここの発信停止を命じて過去記録を没収…ぐらいはやれてしまうのではないか。
 裁判沙汰にでもして何年か時間稼ぎで揉む間、上演待ちのダメオヤジ裸劇はさっさとシナリオ通りにやり切ってしまえ、そのあと最終的に無罪放免にすりゃ監視社会だ権力乱用だ人権侵害だという指摘も、のらりくらりとかわしてフェードアウトさせられるだろうと。

 いかにも大袈裟で恣意的な想定をひとり勝手に拡げて大義を主張する、いやらしい妨害目的の常套論法なので、自分でやってて虫唾が走りまくっているのだけれど、コトこの場に限っては吐き気と戦いながら想定事例を提示するしかない。
 要はこれさえ決まれば、いつでもダメオヤジ様式のやりクチが伝家の宝刀を抜けるワケだ。

 私の与り知らぬどこかで、私をあげつらって『コイツは一般人じゃない、テロを企てる危険人物の可能性がある』との判定が下され、上記の通り一方的な対処を強行されてしまうケースについて、結局のところ『それってあり得るよ』の含みを残したまま解釈の明確化が放棄され採決が強行されているのだ。
 おしゃぶりが似合いそうな顔つきの脳足りん法務大臣は、勢いだけで『一般人は対象にならない』と口だけデマカセで回答したものの、直後に身内に『一般人も対象になり得る』とひっくり返されている。
 これでは社会全体で遵守するルールとして隅々まで運用意識を共有できず、つまりは法治社会組織の行動規範として機能しない。

 五輪準備やマイナンバーカード、軽減税率なんかは皆が無視すれば、コトが頓挫して済んだ。だがテロ等準備罪においては、無視しようにも行使する側が一方的に合法性を主張するだけで、どこの誰相手にでも監視や拘束の制圧がかけられるというロジックになっている。非常に危険だと思う。
 自分都合で嘘をつき、私利私欲の不正に手を染め、暴かれ問い質され真直ぐ答えずに他の話題を次々放って誤魔化すような劣悪な人種に、横暴を許す法的根拠を与えようというのだ。
 これを自分の権力としてやりたいヤツ以外の全員が猛反対するのは当然であり、こんなもの30時間かけようが3万時間かけようが、永遠に合意になんか到達しない。

 『もういいでしょう』じゃねえだろうが、この卑怯者!

 この硬直の構図においては、『社会を破滅させる悪いコト=テロだけを網にかける』ゲートロジックを提示しなければ、思考検討が進まないのだ。これに準じて『誰が誰に対しても、自分都合のテロ性を訴えて濡れ衣を着せるようなマネはしない、できない』を保証するところまでやって初めて、それで十分か、抜け洩れや行き過ぎはないかの議論に移ることができる。
 いま起こっているのは民主主義社会が民主主義を維持しようとするがゆえの抵抗であり、そこに抵触するような法案を起案し、審議し、議決しようというなら、このあたり徹底的の正々堂々で進める義務があるだろう。

 国際的なスタンスでテロ行為を防止したい意図は理解できる。だが日本社会の中で、このルールに則って人間の行動を規制するにあたり、規制する側に立ち得る人間の質が悪すぎるのだ。
 『きちんと悪いコトだけ捕まえますよ』という、然るべき公開プログラムで判定を下すAIくんに任せるなら別に構わないんだけどな。常識感覚に合わない事例が発生したら、全面開示の仕様検討でプログラム修正をかければ良い。

 AIというと、社会を交錯する情報コミュニケーションの中で、人間と等価に機能するコンピューターを思い描くのが普通だと思う。数あまたのヒト型ロボットくんはもとより、ナイトライダーのトランザムを操るKITT、銀河鉄道999の機関車くんあたりが代表的な例だろう。

 彼等は悪いコトをしない。恐らく、善意と正義の作動プログラムに忠実だという設定である。
 人間は悪いコトをする。表向きには、善意と正義の行動規範をさんざん吹聴するクセに。

 シンギュラリティというと、AIの理性的作動が人間のそれの枠外に飛び出す現象、つまり人間以外のところで何かが起こるような概念で語られる。
 だがこれを論理的に把握し、発展性のある対処を考えるにあたっては、『人の心の神秘性』を隠れ蓑にいちいち表裏を使い分けてエゴに走るような人間の面倒くさいボロさを、まず自己責任で解決しておかねばならないのではなかろうか。

 人工知能の発達に先立って、人間への要求値の変革としてシンギュラリティはもう始まっている。目的意識をもって人間の質を整備し、新しい感覚を持つ次の世代に存分な力と自由を与えてやらないと、我々人間の社会はAIの時代に向き合えない。
 若者たち、悪い大人にテロ扱いされんなよ。
 そして確実に、バカな大人どもを殴り倒せ。

【536】今昔開運プログラム教室 [ビジネス]

 組織の自我は集団の過半数の意志で決まると述べた【251】
 2020東京五輪だって、あれやこれやは拘らずコイツで行っちまえ、それで構わないんじゃないのと都民国民の過半数が割り切って納得してしまえる案があるならば、本来的な平和の祭典=良いコトとしての成就は十分あり得る。
 先のことは文字通り先送りにし、先を急ぐ行動に移って、勝算が見込める。

 裏返すと、利権屋のカネ儲けを『目的達成=成功』においた動機が見え隠れする限り、それが運営要職ポストの何番目あたりから、ナニがどう決まったと宣言されようが、日本社会からは無視され放置され敵視され、いずれ自滅の末路を辿ることになる。

 大勢の人間が関わる組織が起こすコトは、組織の自我にその決定権があるのだ。
 だから、神さま仏さまお天道さまには隠し事や偽り事をしないよう教わるんだろうな。

 …と再認識して、ちょっと東京五輪のハナシは一区切りつけよう。
 またで申し訳ないが、人工知能の普及につれどんな事態になりそうかというハナシである。

 まずは通信網の高速化・大容量化によりテレワークやテレラボ【533】が成立し、それらが上げてくる成果を集約処理する情報センターは、恐らく他に比べて機械化率が高くなる。どんな理屈を小難しく主張したところで結局のところ、所詮は『情報の判定と整理および保管』でしかないからだ。
 ここに人間が頻繁・多様に出入りする必要は、あんまり無いはずである。

 つまり通勤という最も日常的な人間の移動がまず数量的に減ることになり、さらにこれを個々人毎で見るなら、日常生活から通勤が減ればそれに付帯する移動もまた無くなる。これは社会が総じて出不精の引きこもりになる傾向だとして間違いは無かろう。
 通勤で出掛ける必要がなくなったのなら、わあい他の用事で出掛けようではなく、出掛けることそのものが無くていいじゃんとなり、出掛けなくて全生活を成立させていく側に向かう。そんな気がしていたのである。

 先日たまたまシンギュラリティをテーマにした討論会で、『人間は引きこもりになっていく』との将来予測が耳に入り、これが自分だけの感覚ではないのだなと思った。
 もっとも、これがいけない傾向かというと、高度経済成長期にあった御近所主体型の庶民生活ぐらいの雰囲気に戻るだけという見方もできるワケで、まあ手放しではダメなんだろうが、古き良き御近所コミュニティの再来を探る時代が来るのかも知れない。
 もちろんそうなったとして温故知新を売りにしたいなら、自分自身がオリジナルの時代を『善良で優れた実例』として生きておく必要があるのだけれど。

 最近NHKで放映されている『アトム・ザ・ビギニング』という漫画がなかなか面白く、特に『AIの最適解判定ロジックと人間の情操反応の共通点』を意識させるような描写が散見され興味深い。
 無邪気に正義の味方として振舞っていたオリジナルの鉄腕アトムだが、『アトム・ザ・ビギニング』のA106(エー・テン・シックス)は、あれの開発段階という設定だったんじゃないかなあ。たまたま番宣を見て、まんまと釣られ視聴している。

 あとAIなるテーマの考え方とは関係ないが、大学の研究室で課題に取り組む理系学生のイメージが、白衣の品行方正な優等生ではなく、勉強が得意なだけの逸脱した無頼漢という人物描写になっており、これは私個人の感覚としてかなり実態に近い。
 事情を知らない一般ピープルによる『いかにも』の頭脳労働者の姿は、想定としては月並だが実は激しく現実離れしているのだ。この『アトム・ザ・ビギニング』の提唱する研究者像には共感が持てる。外乱を遮断して、思考の現実化を完遂する素質のひとつだと思う。

 今回なんだか話があっちこっち行ってしまったが、一応ひとつの思考が走っており、みんなに肯定的に捉えてもらえる=組織を動かすような行動ロジックというものが普遍的に存在し、それは社会の高度情報化という変遷を経ても時代を超えて通用するもので、それって人間が実際にAIに組んで人工物として実現できるモノなのではないか。

 つまり人工物が、組織の自我を動かし始める日が訪れる。
 久し振りの『スカイネットの原理』で考える、組織のシンギュラリティの定義でした。

【535】ニッポン預金通帳の引き落とし予定額 [ビジネス]

 東京五輪は、ナニがどこまで進んでいるのか、進捗管理上の日程ビハインドがいくつで、いま安心して使える予算枠がいくつなのか、さっぱり判らない。我々世間の一般人が公開情報を頼りに把握できないというのではなく、本当に宙に浮いた混迷の闇になっているのだと思う。

 先週、小池都知事が都外仮設費用500億円の東京都負担を決めた。その是非はともかくとして、五輪開催の課題をひとつクリアし実現に一歩近づけた訳だ。
 都の代表者として、東京都組織は『来たる五輪は世界的な平和の祭典=良いコトとして、2020年にそれを本当の本当にやると判断したのですよ』と意思表示して見せたのである。

 途端に、まだアレが足りない、ここが全然決まってない、そもそもの初期計画値が全くの無謀だなんて今さらもいいところの空っぽ漫談が宙に放たれて発散、誰もまともな話ができやしない。何だコレ?
 開催は東京都だ、小池都知事はどうしてくれるんだと、卑劣なシケ面の出来損ないオトコどもが、安全地帯から遠巻きに攻め口調を決め込む姿が見苦しい。

 つい一昨年あたり、『ダメオヤジ裸劇の言い値で東京五輪が動いている事実』を日本社会が認識した。つまりマトモな辻褄の根拠など欠片も無いと。
 いま思うとえらいハナシである。

 何かをやるのなら、まず手元の原資を確かめるのが最初の作業だ。どんな原資も有限だから、それを投じてやれる事象も限られてくる。
 だから原資を切り分け、死なないための寿命維持ぶんを何年先いくつのイメージで捉え、どのくらいのチャレンジが許されそうかの身の丈の自意識をしっかり持たねばならない。
 身の丈の範疇で冷静に勝算に賭け、大成功とは言わないまでも、死なない程度の成果をつなぎ続けられれば文句はあるまい。

 大事なのは再度、元が限られているならやれることも限られているということである。
 どんなにささやかな規模であってもこの原理原則を守り、関係者一同ナニをどこまで実現するかの具体的イメージを実感として持つことが重要だと思う。
 原資と実行、その組み合わせで得る未来、およびその先の希望。
 この構想アッセンブリーから離れて物事を動かす術を私は知らない。要求値の感覚が固定できず、実感として腹に落ちない一時性の動機では、何も動かせないし、動かさないし、動かしてはいけない。
 あ、だからギャンブル素質が無いんだろうな。

 要は、関係者の頭の中でイメージと現実の整合を見失わないよう工夫することだと思う。
 わかりにくくて申し訳ないが、どこか運動や楽器の演奏と共通点があるような気がする。

 東京五輪に話を戻そう。
 日本国は、東京都は、2020年のたかが数週間に、何が欲しいのだろうか?
 欲しいものが言えたとして、現実には何が得られるのだろうか?
 そこに投じようとしている経費の額は、身の丈に合っているのだろうか?
 常識的な回収期間内で黒字ならまず結構。あるいは許容範囲の赤字を無念の勉強代で持ち出すまでは、みんな認めると思う。

 とんでもない高額費用の数値だけが情報の断片として飛び交い、またしても『誰かがなんとかするであろう架空のカネ』を引き充てないと埋まらないのが、今なおの五輪議論ではないのか。そろそろこのあたり進化したいところである。
 『東京都が決めないから困る』『小池都知事はどうするつもりだ』ではない。
 みんなで放任してやらかしちゃったんだから、その立て直しを支援する姿勢で五輪準備を語るのが筋ではないのか。

 コンパクトのはずが過去最高規模の額になっちゃいました、ではもう済まない。
 日本国は、自ら呼び込んで『やります!』と表明したんだから、コトをおのれの身の丈の範疇に収めて勝算を賭け実行するために、必要な見極めを譲ってはならない。
 本当に大事なのは、日本国の将来年表に納得の実績が、面積値として得られるかどうかである。

 正直のところ、成功に届かない確率はかなりのものだと腹を括るしかないが、『失敗を恐れるな』という言葉はこういうところで使うものだと思う。

【534】未来実験室行きの通勤定期 [ビジネス]

 次世代ワークライフバランス実験場に絡んで、もう少し。

 こういうのは、島を丸ごと『治外法権エリア』にしないと意味が無い。現状社会の常識で行き詰まっているから、他の解を探さねばならないのだ。
 周囲を世間の旧態依然が囲っていては、俗世間との不整合の違和感が取り組みをハンパにしてしまう。ラスベガス式の空気に包まれた特区管理【490】にしてやらないと、出足から『言ってるだけ』の空虚感が全てを支配し失敗確実の予感が溢れ返り、その雰囲気がまた更なるブレーキ効果となりあっという間にコトを頓挫させてしまう。
 ウォーターフロント埋立地の立地条件をうまく活用したいところだ。

 その昔、小さいとは言わないが、ちょっと田舎の街で工業団地の一角に勤めていた頃のこと。住まいを確保するため、地元の不動産屋さんに相談に乗ってもらっていた。
 『お客さんの職場を確かめて、街の反対側から薦めて行く。仕事気分を切り換えるためです』
 長きにわたって街の人々の住居選定に関わってきた御主人の経験則だから、単なる利便性だけを根拠に職場と住居を直近に置くのは注意が必要ということだろう。なるほどねえ。

 因みに自分自身はどうなったかというと、やはり薦められるがまま職場の反対側に住むことにして、約6キロ渋滞知らずの自家用車通勤で暮らしていた。気の向いた日には、帰宅途中で本屋や外食の寄り道をし、それにかかる時間なんか負担でも何でもない。
 振り返って、あれがまともに会社の筋向いだったとしても、あんまり悪い話は無かったように思う。ただ、例えば重大市場不具合が発生したり、自然災害で職場が停電したりすると、頼まれもしないのにやたら職場に行ってしまいそうな気はした。
 何にせよ、いわゆる『通勤負荷』の無い距離まで職場と住まいを近づける工夫は、それだけで結構クリエイティブな展開が期待できると考えている。

 ま、フロー状態が捻り出せれば仕事気分も余暇気分も境界ナシのごちゃ混ぜだし【485】
 これで思考模索が家庭の時間に割り込んだからって、良くないコト嫌なコトにはなり得ない。

 話を治外法権に戻そう。
 『社会生産としての労働』と『人間生活としての家庭』の共存形態を模索するのだから、例えば仕事面白すぎでやり過ぎて間違えて倒れたのがいたとして、その責任は本人にある。いっぽう仕事に目的意識が持てず、稼働率が赤字領域にまで割り込んだら、今度は問答無用で一方的解雇もあり得る。そうしないと実験にならない。
 工作現場バージョンで考えるなら、工作機械の使用法や製造現場の安全確保など自前で学んで身に付けておき自己管理で遂行すべきで、指を飛ばそうが高所から落ちようが原則は自己責任。他力本願のゆとりPL式に『誰が悪かった、誰に責任がある、健康や命より利益を優先した』云々でちいちいぱっぱと騒ぎたいアマチュアお子ちゃまはお呼びでない。プロの真価発揮が課題なんだから、そのぐらいの意識は必要だ。

 だから、こういう模索を請け負って自由に試せるように、自立・自律の強い意志と、知識・技能両面の高いスキルを磨いておきましょうってことになるんだろうな。
 昨今の学生さんを見ていると、社会のどんな生産活動も、就いて人に役立ち自分の生活を支えるものとして、信用が置けなくなっているように思う。それを真面目に一生懸命やって、自分が不当に搾取されたりせず、幸せになれるかどうかが疑わしいのだ。
 他ならぬ自分の幸福感のことゆえ、疑わしさの不満の訴えだけには終わらず、その不安を解消したいという切実な願い、解消するにはどうすればいいのかの疑念が伝わってくる。

 自分なりのペースでいろいろ試し尽くして、言い訳ナシの自分スケールで周囲と見比べて『よしっ、やれている!』と確信できるステップを踏ませないと、一人前の自信は育めない。労務管理において、心しておくべき要件意識だと思う。
 最近はこれをオーバーワークによる労災対策と綯い交ぜの対象にしてしまい、仕事ペースの自由度も、決着最優先の延長戦も、一律に絶対安全圏に閉じ込めてしまおうとするため、人材の能力開発が初歩的段階から躓きっぱなしの感が強い。
 これでは誰ひとり管理職にステップアップする検討に移れるはずもなく、人材の枯渇により労務管理が崩壊して、ブラック何とかが世に溢れて来るワケで、まあ自然と言えば自然な成り行きなのかも知れない。

 以上、何となく厄介な雰囲気の漂う雇用問題の原因究明および対策検討のネタとして、割と気にして絡んで来る人っているのではないかと思っている。
 手負いの巨大遺産は、将来日本の生産性を明るくひっくり返す企画で穴埋めしたい。

【533】災い転じて、未来実験室!? [ビジネス]

 前回の『技術のベーシックインカム』に続けてみる。
 そのコンセプトの発端は、子供時代に外で遊んでいて、町工場の旋盤・フライス盤に鍛造工程、廃材処理などを、ただの日常風景として眺めて興味を育んだ時代の記憶である。

 工作機械の作動音に耳を傾け、何だろうと覗きに行って、工員さんたちの手元を見ながら『ああ、こうやって造るのか』『こんな部品がここでできてるんだ』と理解したものだ。夕日を浴びながら、切削油の臭いに包まれ、木箱に山盛りになった切粉が表に出される。
 そのシーンは後に、大学の実験工場で作業を終え、ビールを楽しみに後片付けするウキウキ気分の記憶に変わっていった。
 そうそう、溶接だけは絶対に裸眼で見るなと父母の両方から固く禁じられていたんだよな。特段の専門知識がなくとも、かなり世間一般の常識として『溶接作業を直視すると目が潰れる』の教えは普及していたように思う。
 ともあれ昔も今も私にとって技術者仕事は、空調の効いた事務所のデスクワークではない。

 工作技術のテーマパークなんか、どこかでできないものだろうか?
 高額かけた最新のアトラクション設備なんか要らない。不遇の廃業を強いられた町工場から、安く工作機械を払下げてもらえれば十分に事足りる。割と日本中どこでも不景気に喘いでいる中小・零細規模の製造業はあるだろうから、作業をデモるプレゼンターの人材確保に困ることはなかろう。
 子供たちや学生さんたちが興味本位の自由な心境で作業現場を眺めてまわるうち、これらの次の時代の姿を今風の感覚で提案してくれたりしないだろうか。
 いずれは幼稚園児が目からウロコの革新的アイディアを発案し、自分のその技術の完成に巡り合せて、三十路前に自前技術で宇宙へ飛び出す。そのぐらいのエピソードが欲しいところだ。

 実は、ちょうど間近に似たようなコンセプトの職業疑似体験施設もあるし、豊洲に間違えて作ってしまった建屋なんかをアレンジできると良いのになと思った。何しろ土地が工業廃液や産業廃材に晒され続けていたから、元来そのセンで使うしかないのである。
 だが、ただでさえ計画外の床の盛り足しで強度に不安のある欠陥建屋ゆえ、ここに重い工作機械を多数持ち込んだりすることは到底ムリ。中が透けて見えるブースに区画分けしてあったりするのはデモ作業に向いてそうにも見えるんだが、いかんせん利権屋業者のインチキ設計で建った物件である事実は免れない。残念だが却下。
 うむう、一応はデカくて新しい建屋だし、モノ造りニッポンの新興文化発祥地にしてやれないかとも思ったが、こりゃちょっと無理があるかな。

 では発想を転換、重量物のない素材・薬剤の研究開発室アパートというのはどうだろうか。
 大学のケミカル系研究室なんかだと、無いとは言わないが大概は理科室レベル以上の重量級装置はあんまり見当たらず、一方で作業場換気や薬品廃棄の管理は最新機器できっちり整えておかねばならない。

 今後、化学・薬学系実験室あるいは精密機器組立工程のような『非プラント級』設備に関しては、恐らくは集合住宅あるいは一戸建て住宅地の一角に『テレラボ』を建てる形式が増えてくるのではないかと考えている。
 通勤負荷から解放されスーパーフレックスで自宅間近のテレラボに出勤してきた人々は、そこに隣接する託児所に子供を預けて気心知れた仲間内で面倒を見合うこととし、食事はちょいと帰宅して済ませることも可能だ。いつもテレラボで誰かがナニガシか仕事をしているのなら、宅配の受取窓口を置いてしまえば再配達の問題も解決できる。
 御社のナニナニ作業棟あるいはナニナニ実験棟なるものに、どなたが何回タッタカ走って往復しているかを調べ、もしかしてそれらの建屋を社宅に横付けした方が良い時代になってやしませんかというハナシである。
 こうなると、むしろ単純無機質な時短と四角四面な勤務管理なんか外した方が業務効率は上がるはず、まあ調子に乗って一杯ひっかけて仕事したりしないように気をつけるんでしょうな。

 この環境を得た人々が、どんな業態で、どんな家庭生活を組み立て始めるのか。
 これって注目度の高い社会実験になり、投資回収の見通しが立てられたりしないかね。

 …で、話を戻してそのトライアル実験の場として、豊洲の建屋なんか使えないかなと思ったワケです。近くに新しめの集合住宅も多そうだし。
 あの建屋が、だらしない邪心が建てちまった欠陥品なのはもうしょうがないとして、だからって建てたものを、全く使わず壊して更地に戻してタワーマンションってのももったいない。よっぽどの最終案にしとかないとバチが当たるぞ。
 元はケミカルプラントなんだからその素質には逆らわず、日本社会の将来像の模索に応じてアレンジ放題を試せる未来研究所の機能を持たせてやれないかと考えたのである。

 無理は禁物、きちんと考えて効果的な成立解を見つけるべきだ。モノは大事にしましょう♪

【532】安心安全の絶叫マシン乗車券 [ビジネス]

 高速道路のゴールデンウィーク渋滞予想を眺めていて、感心する。
 渋滞する場所と日時を特定した途端、それを見た人々がそこを回避しようとするはずなのだ。だからそのウラをかいて予想を組み立てるんだよな。でも何割かはそれを見越してウラ渋滞予想まで読んで高速に乗るはずで…
 AIが不得意とする『仮定の先の仮定』が何重にもなっており、これでは計算量が大爆発だ。

 もっとも毎年の『予想vs実績』事例を着々と蓄積し、『結局がところ、どう予想を発表すれば、どう渋滞するのか』という相関をハジき出すのは、やはり機械学習のお手のものということになる。
 皆さん、渋滞予想を見て自分なりにマジメ精一杯の思考検討で、善良かつ真摯に渋滞回避を目指しましょうね。
 素直な判断力に預けるなら、まず何はどうあれ『自分が実直な判りやすい対象でいる』ことを保証する心掛けが前提となる。

 姉が亡くなる前後、姉の住まいの面倒を見るため高速道路をかなりの頻度で利用したものだ。当時あの『高速料金一律1,000円』が施行されており、随分と助かったのを憶えている。
 逆走車と鉢合わせする可能性など夢にも思うことなく、深夜の時間帯も安心して飛ばしていたものだ。

 あの自動車専用道路の出口から侵入してしまう理由は不可解だが、その随分と先の本流にまで進んでしまう理由はもっと不可解である。私の感覚の限りでは、『つい』や『うっかり』の認識洩れがあったとして、本流に到達するまでの道程のどこかで気付いて然るべきとしか思えない。
 逆走事故が、実は認識洩れ以外の原因で起こっているのか、はたまた私の感覚が現実と食い違っているだけなのかは不明だが、いま現在とにかく逆走事故は散発している。

 逆走防止策については公募も行われていたようで、その内容も公開されているようだ。
 ふーん…と目を通し、私も帰省渋滞のテレビ映像で、灯火の大河を眺めていて思い付いた。
 小型のLED発光ユニットである。
 製品イメージはホームセンターで御馴染みの、ガーデニング用の太陽電池式ランプに近い。地面にぐさっと刺しておくと夜に勝手に光るアレ、あれをできるだけ小型化して輝度を上げ、耐候性を持たせてポール先端やガードレール上縁に固定できる形状にする。

 設置形態は簡単で、車が出口側から侵入しようとすると白色光が道の両側にずらりと並んで見えるようにする、ただそれだけ。
 自動点灯なんか不要の昼夜問わず点きっぱなしでもOK、ホントは夜間にずっと光ってて欲しいが、まずは開発期間とコストのミニマム化を最優先し、ユニット内臓の蓄電池でなりゆき頑張れる時間だけ光ってくれれば許す。
 一定輝度の白色光が運転者の視界に突き刺さって来れば、対向車のヘッドライトを連想して逆走に気付いてくれないかという狙いだ。視認輝度、水密性、耐久性、夜間発光時間や寿命など、諸性能を確保するための既存技術は今日一定の水準に達しており、誰でも作りやすいと思う。
 配線不要、自己完結デバイスのポン付けなので、光ってさえくれれば手あたり次第の数社製混在になっても問題は無い。思いつき都度、いつどこでも取り掛かれる。

 さて普通ならば、公開入札を経て発注先を2~3社程度に絞り込み、できる限り発注数をまとめて単価を下げたいところだが、ちょっと違うことを考えてみた。
 発注ロットの単位タマ数を割と少な目にし、いくつもの会社に各々のロットを頑張らせ競わせるのである。どうせブツがメカ的にしょぼいから、コストの非効率代は無茶な怪我にはならない。但し、現状の日本社会の空気だと利権仕込みなど悪いことをするヤツが出て来る恐れもあるので、この事業に関しては全てを無条件で完全公開とする。もちろん契約に関わる保管書類も全ページ海苔弁禁止だ。

 こうして需要の場と基本構造の提供までやっておいて、この『技術のベーシックインカム』に食いついた技術者連中が、何をどう面白く発展させて来るかが本丸の刈り取りターゲットだ。
 だからだが、むしろ潜在的な技術力はありそうなのに、不遇のピンチにあえいでいる中小企業なんかからやらせてみた方が効果的なのかも知れない。同時に公共工事のオープン化の雛型実績にもすると。

 もっとも、まず白色LED発光ユニットに逆走事故の防止効果があればの話なんだが…
 …とここまで書いたところで、珍しく途中で割り込まれてしまった。いいや、続けてみよう。

 若い人たちの感覚が自分たちのそれと異なるものであることを、我々世代は知っておく必要があると述べたが【518】、さっき自動運転機能車の購入相談を持ちかけられ、今度は高齢世代の感覚を切実に解説され衝撃を受けたのですよ。
 聞いた限りにおいて、『文字を読み取る』『表示を確認する』ことで自らの逆走を検知するコンセプトは、まだ運転者の自律能力に頼り過ぎだと思われる。
 お!『プチ・ハイビーム目潰し』の提案、なかなかいいセンいってるじゃないの。

 もともとが近眼でなかったお方なのだが、何しろ裸眼で焦点が合うのは2メートルより向こうというから、運転席の全ては基本的に完全明瞭に見えていない。
 中でもいちばん不便なのがナビ画面だという。老眼鏡をかければ良いとは言うけれど、2メートル以内では距離別の眼鏡が欲しくなるとのこと。

 ナビ画面の十数センチ上空に読書レンズみたいなのを後付けしたとしても、凸レンズだから拡大されてしまい画面全域が俯瞰できない。空調風は蹴られるし、だいたい収斂火災のドンピシャ自殺行為じゃないか。
 つい最近バックミラーに替わる後方視界モニターが解禁になったが、鏡でなくなるとディスプレイ画面のまさにその距離に焦点を合わせないと映っている画像が見えないから、これまた後ろが確認できずアウトである。
 いくら近眼が増えたとはいえ『非・近眼から加齢した高齢者』は結構な数がいると思われ、このあたりを冷や水で頑張られてしまうと、『周辺事情の認知vs車内の自己操作』が互いに激しく阻害し合いながらバーター進行するという、非常に危険な運転状態に陥ることになろう。
 逆走事故を起こした運転者の視力について調べると、何か相関が出るかもしれない。

 極め付けには、仮に自動運転が実用化されたとして『うわ~危ない危ない!もっとゆっくり!』と前方視界に視力がついていけず恐怖で気絶するかも知れない、とおっしゃる。
 なるほど確かにな。
 『人並以上の、車好きの運転好きが』だ。

 忘れないうちにと慌てて書いたので、随分まとまりが酷い回だが、そこそこ実用的な情報が載ってるのではないでしょうか?
 皆さま、どうか安全運転で楽しいゴールデンウィークを。
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