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【531】柔らかプラン、いつもの明日また明日 [ビジネス]

 もう少し、予動としての未来イメージの話を。
 この未来イメージ、必ずしも構成の詳細まで明確である必要はなく、時として精度も相当いい加減で大丈夫な場合が珍しくない。
 だからといって最初から確信犯の夢見ユルユル青写真ではどうしようもなく、要は『本人がその気になって、その予動から自然な動作を楽しく引き出せればオッケー』ということだ。

 いざやり始めてみたら予想とえらく違っていて、動作中に次々と方針変更が必要になるのは珍しくない。よって、ただの追及力不足になってしまわない限り、舵と加減速はいつでも自由自在にしておくのがよろしい。詰めてもしょうがない計画値まで唸って無理に詰め、実態が違ってきているのにその計画値にこだわっていても、負担が増して生産性が落ちるばかりだ。
 寿司屋を志して始めたが問題噴出、無我夢中で手を打ち続け、気付いてみたら大評判の洋食屋という成功事例は、何よりまずそれを許す柔軟性あってのことである。

 未来を先読みしてマジメにユルく意識する事前思考法は、このあたりを解ってうまく役立てたいものだ。
 計画立案に深く悩まず実績のなりゆきを重荷にしないタイプは、このさじ加減が上手いような気がする。少々の読み外しに構えの重心を持って行かれない技量と体力を備えたら、それを正確に自覚して、適宜未来イメージに融通を利かせて精度の追及をすっぱり切り上げるのだ。
 職場の精度予測の固定観念にとらわれて闇雲な過負荷計画に陥っている兆候を感じたら【117】、このコンセプトを敢えて強調しての再検討をお勧めしたい。

 何事も山あり谷あり、真珠を養殖する途中で波打ち際に格子沈めて貝を撒くステップがあるんなら【510】、それを確実に履行しないと先は無い。おのれの制御のまだ及ばない原始的な検討段階では、収穫成果は自然の確率に翻弄され増減するから、そのされるがままを見て考えて、手を打つトライアル工程が必ず発生する。末永くやりたいなら背水の陣は避け、この時間は大急ぎにしても必要ぶん丁寧にかけねばなるまい。
 万が一通りがかりに真珠の山に出遭っても、今日も安心して白御飯におしんこと味噌汁で食事ができるなら、浮足立たず浜辺の格子をメンテして、おっと高価な落し物の届けは出しておこうか、あとは帰っていつもの飯を機嫌よく食っとけばよかろう。
 良いメシを食うのは、いずれ最初の真珠一粒が採れた時のお祝いにして機会を待ってもバチは当たるまい。

 ひとつ採れたら、みっつを狙う。みっつ採れたら、5個を狙う。5個採れたら、次は10個だ。
 5年後に毎年10個が安定して手に入れば、継時劣化による市場のターンオーバー需要と十分釣り合うから、まずコイツが第一次至上目標でいくか…みたいな双六式のチャレンジがやり易いと思う。

 もっとも、ある日まったく劣化せず初期品質も天然と見分けがつかないような人造素材の真珠が開発されたりしたら、今度はこだわらず一気にコンピュータープログラマーにでも目標を鞍替えするんだろうな。
 今の時代、本筋の邪魔にならないなら、普段から他流オプションの準備に気を遣っておいて間違いは無い。抗えぬ時代の変遷に肩落としていても良いコト無いワケで。

 ところで、私の家系がハワイ入植の歴史を持つという話はした【355】
 当時すでにタイタニック級・全長200m超の大型船が就航しており、一応は安心サイズの外洋船があったものと思われるが、それでも電子航行機器なんか無かったはずで、改めて世界地図を眺めると、よくそれで広島から太平洋上のハワイ諸島にまでちゃんと行き着けたなと感心することしきりである。
 ちゃんと着いたとして、今度はいつカッチリ帰国するという計画が成り立っていたとも思えず、みんな見た事も無い渡航先ハワイで永住の可能性を随分と計算に入れ腹を括っていたのではなかろうか。事実ウチの祖先はあっちで何人か土に帰っちまって、墓参りにも行けないし。

 思うに、当時の世界観で桁外れに見当のつかない未来の振幅めがけて、長年なじみ切った自国の岸壁から漕ぎ出す瞬間があったはずなのだ。
 よほど国内の生活が困窮して行き詰まり、飛び出すしかなかったのか。
 『常夏の天国』とでも国政にそそのかされて、ついその気になったのか。
 でも胸躍って楽しかったろうな。ちょっと羨ましい。
 ハワイ着岸、そして初上陸の第一歩はどんな感触だったのだろうか。

 いま同じ気分を味わおうとしたら、出て行く先は宇宙になるのかも知れない。
 今の時代の特権だろう。若者たち、やってみたまえ!

 …とここまで焚き付けて注意を一点。
 この大まか極まる出たとこ勝負の未来絵図に飛び込むには、何よりもまず健康優良児でありたい。調子を崩したらオワリだとまでは言わないが、不本意のリミッターが効いている姿が自分でよく見える景色というのは、本当に悔しくもどかしいもんだ。この数年で思い知った。

 自分の学生時代を振り返って、テレビ・ラジオなどの深夜文化が元気だった時代とはいえ、いい子ちゃんの健康タイムスケジュールに喧嘩を売るかのように就寝時刻は午前3時過ぎが当たり前であった。もうちょっとトシ喰って、『健康が会話のネタになるともう年寄りだ』という定番の自虐基準もあったっけ。
 私の目に付く昨今の若い人には、この手の意味不明の反骨精神は目立たないような気もするのだが、実際のところどうなのだろう?

 いいから寝食は正常に確保、日頃を大事にしなさいって。おっさん悪いコト言わないからさ。

【530】人機対抗ドリームコンペの常勝者 [ビジネス]

 自分の若い頃を思い出すに、どんな道を選ぼうとも、仕事でそこそこ行けてる連中は『こうなりたい』というビジョンがはっきりしていたと思う。
 その場の尺を埋めるため、ただ質問を投げかけることそれ自体を目的にするのではなく、次の時代をチラ見するような軽やかな興味本位で、学生さんや新人世代に『あなたの夢は何ですか?』という質問をするが一昔前の会話作法の定番だった。
 答える方も深刻に考え込むほどもなく、『社長になってランボルギーニに乗る』とか『結婚して娘とケーキ屋さんをやる』とか、実はかなり具体性が高く実現ステップも明確に刻みやすい夢のイメージを、ごく自然に返してきていた気がする。そのために要する資本金の額や、社会からの認知度・羨望度あたりの低俗な?諸課題はちょいと横へ置いといて、『純粋に自分の好きなもの=自然体の理想像』を感じたままに組み上げた構想であることに注目しよう。

 三十路そこそこの私【525】から更に遡り、三十路チョイ前の時代のメモも発掘されている。

 『本来、生産活動の意義は単に生活の経済面維持だけであってはならず、精神的な充足を作り出すものでもあるべき』
 『自由競争社会に於いて組織を運営するにあたり、構成員の行動意欲を組織の収益活動に一致させることはマネジメントの最重要課題』
 『昇給システムでも福利厚生の充実化でもなく、仕事そのものに対する意識のポジティブ化こそ総力をあげて取り組むべきなのではないか』

 この時代、私は毎年迎える新人たちから『寝食を忘れるほど大好きな趣味』や『絶対こうなっていたい人生の夢』を聞き出すことを至上の楽しみとしていた。それらを基軸としたサラリーマン生活を各自が存分に組むために、自分はどんな接し方で育てれば良いのか、どんな仕事の形態を用意すれば幅広く皆が元気に頑張れるのか、そんなことばかり考えていた。
 『夢と業務目標を一致させるため』の、汎用性高い方法論を構築したかったのだろう。
 もちろん現実はそんなに崇高で格好いいモノでもなかったワケだが、まあ連日ドタバタと慌ただしく過ごすうち、若手くんが苦笑いしながら『作業場のみんなに、先輩と芸風が似てきたと笑われてしまいました…』と報告してくれた時にはまんざらでもなく、秘かにほくそ笑んだものである。
 これが世間一般の常識でもなかったと思うけれど、それにしても自分の関わる仕事が世代交代していく姿にワクワクした期待感が懐かしい。良い環境に恵まれて一番楽しんでいたのは私だったりして。

 これが今や『Q:就きたい職業は何ですか?/A:公務員』みたいな問答が、小学生相手で定番入りするような事態に変質してしまっているのである【476】
 基本、自分ならではの積極的な動機やそこに根差した働きかけとは全く別の事として、その立場を得るための関門さえクリアすれば後はラクとカネが手に入る、人生それでいい、仕事なんてそんなもんだという意味だろう。返すがえす、具体的な職種を答えてくれよ、頼むよ。

 こんな社会風潮で『働き方改革』なんぞと陳腐な寝言を口走ってみたところで、何の良いことも起こり得ないと保証する。まず手を打つべきは『こんな社会風潮』の方である。
 『こうしたい』『こうなりたい』と未来をイメージし、その実現過程を刻んで楽しみながら仕事をすることができなくなっているのが問題ではないのか。社会の生産活動において、『未来を描く』という予動がきちんと取れていないのだ。

 アナタは身をかがめず飛び上がることができるだろうか。
 到達点の狙いもつけず飛んだとして、適切な力加減を量れるだろうか。

 AI思考プロセス構築の技術的ハードルのひとつとしてあるのは、仮定の先の仮定がどんどん膨らんで計算量が爆発することだという【521】【522】
 手近な例を挙げるなら、今この作業が1分後に予定より1秒遅れたとすれば、その1秒の遅れが引き起こし得るトラブルの可能性とはどんなものになりそうか?
 次工程のスタートを1秒待たせる間に停電するかも知れない。異物が噛むかも知れない。
 とすると、それら種々のトラブルが各々その先で起こし得るトラブルとは…?
 みるみる枝葉が拡がり計算量が大爆発だ。どうせ迎える現実は、たった一本の道なのに。

 我々人間みたく時間の無駄に気付いて停止できないため、取り越し苦労というにはあまりに致命的な歩留りの悪さである。演算速度を上げれば上げるほど仮想事例数が増え、判断作業の材料として採るに値するかどうかの判定タスクも増える。高性能であればあるほど無駄が増える始末の悪さだ。ならば。

 AIに『先に将来の夢を与えてしまい、そこに向かって情報処理を収束させる』というコンセプトのプログラムは成立しないだろうか。まだまだ思いつき始めの放言に近い段階だが、誤解を恐れずエイヤっと乱暴に噛み砕いて述べると、こんな感じ。
 シンギュラリティ的な観点ではいきなり邪道な雰囲気も漂うものの、『いいから規定時間に目標台数ぶん組み立てて、とっとと歓喜の万歳コールやっちまおうよ』と固定の願望プログラムを先に人力で入力してしまう。…で、1時間に100台とか。
 まずはお気楽テキトーなラインスピードで動き出しといて、6分経過した時点で幾つ完成しているか見て、そこで次をどうするか決める。そうだな、30分も経ったところで30個にも届いていないようなら、その時点でアラーム発信と共にギブアップ停止。
 こうなったら人間くんが『1時間100台』を下方修正するか、ラインを物理的に改変して工程処理速度を上げるか、いずれかを選択するしかないし、そうすれば良い。
 人間くんも機械くんも、まず未来に向けて夢馳せるところから、楽しく生産性が高く成長の糧にもなる、充実した仕事が始まるのではないか。ダメなものはダメ、の見限りもまた然りだ。

 『働き方改革』とやらのトンチンカンたる所以を、ここなりに一回ぶん考察してみました。
 ニッポン技術立国を頑張ってAIの有効稼動が拡大するにつれ、いずれ活き活きと夢いっぱいで仕事を楽しむ機械くんを、しょぼくれやつれた人間どもが羨む姿が日常的になるのかも知れない。

 そのうちの一人にならないように、ゴールデンウィークのいつまでに、何をしましょうかね?

【529】漫然バケーションの時空ツアー日程 [ビジネス]

 前回の連結器の話を組織サイズでマクロ視すると、日本社会という巨大生物の自我が『よし、変わろう』と決心して節目付け、他の活動を1日休んで生産性の高い自分にグレードアップしたことになる。
 これよりも日本史上における重量感が段違いに増すけれど、明治維新なんかだと、自分自身の人生観が変わるか変わらないか・生き方を変えるか変えないか迷って葛藤し、ひと悶着もふた悶着もあって最終的に変わった・変えた感じだ。
 日本国組織のどんな自我が何を考え、どう歴史年表を通り抜けて来たのか推察してみると面白い。御社のマネジメント研修にいかがでしょうか。

 高度経済成長期があながち手放しの1億総天国というワケでもなかった話はしたが【515】、それでも今日より明日、何か便利になり、新しいモノが増え、いま以上の満足感で暮らしていけそうな気もする世の中であった。楽しいかどうかは別として、充実した未来の生活を計画するのが人生の必須課題であった。
 さあて、明日は何をしようか?5年後10年後にはどうなっていそうで、どうしていたいのか?
 いちいち気合を入れなくても、人々の頭の中にそのコトが自然発生していたのだ。

 これがバブル崩壊を機に、日本社会の全域から消失したように思う。
 自分や社会の将来像は訊かれてようやくヒネり出すモノとなり、『ただ今の時間を今あるままにやり過ごすだけで精一杯』の感ですっかり置き換わってしまったのである。
 日本国組織が将来展望としての未来自画像を見失い、『無意識』の時代の歴史を刻み始めたのだ【522】
 これ以降、携帯電話やパソコンに代表される情報通信機器などがそれなりの相応に進化はしたが、社会にデビューしてくる新価値にはやたら空虚感が付き纏い【20】【137】【138】【327】、『今の日本ってこんな国です、こんなことをやってます』という自己イメージが何とも怪しくなってしまった。
 まさにこの頃から、清算完了の決着をハナっから放棄した、だらしない無責任だけの国家債務が青天井で積み上がっていく。

 もういっちょ前回冒頭のダメノミクスの話も後付けで盛り足す形でいくと、それをやって良いコトありそうな勝算がガチでみんなの心に芽生えていたなら、もっともっと経済のあちこちから物価・賃金引上げを推進する協力的な姿勢が自発してきていたはずだ。『社会の自我がその気を起こしている』というのはそういうことである。
 裏返すと、もうダメノミクスなんか皆の幸福を願う誠実な経済改善案でないことを社会が確信しており、こんなものどうなっても、いやどう潰れようとも構わないと見限ったことになる。
 正々堂々道理に則った真剣勝負で国家経済を好転させようとせず、自分都合の悪いコトばかり企んで仕組んだのだから当然の帰結としか言いようがない。現政権の支持率がいくつだとか時々メディアでやっているが、そんな数字と国民の良心的・平和的同調は一切関係ない。
 裏切られた無念を認めた組織の自我は、底抜けに冷徹なものだ。

 知らぬが仏とは、まさにこのことだろうか。
 右傾ガッコ設立に絡むおのれの汚職の疑惑も薄ら誤魔化したまま、人目に付く場でわざと『忖度』という言葉を自分に当てつけて、『ボクちゃん効いてないもん、平気だもん、気にしてないもん♪』と幼い反抗心で意地を張って見せてしまったのには呆れた。まあひと頃は、やれリーダーだ、やれ責任者だと勇ましかったからねえ。
 その場では流れで笑ってくれた聴衆もいたようで、少しは気が済んだかも知れないが、失ったものは本人青ざめるほど大きいと思う。昔なら『立場上、思っても言わない方が良いコト』の感覚と自制心は身に付いてた年頃なんだが…

 日本社会の自我が具体的な将来展望を描けず無意識の生活を送っていたからには、日本国民の過半数が同じ状態に陥っているはずである。そこで質問。
 あなたは5年後10年後、どんな社会環境で、どうなっていたいだろうか?
 その社会環境は他人任せではなく狙って作り込んで行かないと実現しないし、自分自身の将来像となると尚更のことである。
 その社会は、周囲みんなが十分満たされて思い思いの生活を送っていて、あなた自身はそこで幸せに暮らしているだろうか?…なんか初回がフラッシュバックするなあ。
 で、現状からその未来絵図に到るまでの道程はどう刻まれていて、直近1行程を実現するために、今あなたは何をしているのだろうか?明日あなたは何をするのだろうか?

 それを自分で決めないから、『アホの巣窟』や『ドン』とやらの食い物にされてしまった。
 あれに任せていた事実は、身に沁みて後悔すべきだ。

 それじゃみんな面白くないでしょってことで良心的なお節介にひと肌脱いで、あなた方に先回りして万人向けのフェアな社会環境の構築から始めたのが、橋下政治勢力であり小池旋風なのだと思う。
 よって本来は旧態依然組を相手に、どっちが押した押された、あれで失点したぶんこれでやり返す、どこそこのナンタラ集団と遠い近い、だからくっつく離れるといった類の勢力合戦とは質の違う、『無意識離脱』なる社会フェーズの進展現象と理解するのが正しい。
 ただ議会制民主主義においては多数決で物事を進める原則があるため、『無意識離脱』推進派は法治国家の意思決定プロセスでその関門を勝ち抜く必要があり、つまるところベタで低俗な?ボーディング規模の獲得戦略が、決定的要件となって絡んで来ざるを得ない。

 この社会変遷現象と議席数確保戦略をきちんと分けて話ができているかどうかが、まずはマトモそうな議論か否かのひとつの目安だと思っている。

 以上、5年後10年後のことを真面目に夢見るゴールデンウィーク、いかがでしょうか。

【528】鉄ちゃん流イノベ日本史 [ビジネス]

 『脱デフレは大いなるイリュージョンだった』と流通大手イオンが値下げ路線への転換を表明、大手コンビニもすぐに続いた。日本経済の日常消費に最も身近な業界が、ダメノミクスの裸踊りに決別を宣言した訳だ。
 良心的に賃上げ率先をデモったのもこの業界であったことが思い出される。政策の少々のアラには目をつぶってでも、世のため皆のため好景気のためを優先して、『ウチはやる、みんなで頑張ろうぜ!』と調子を合わせてくれた、その業界に愛想を尽かされたってことだ。

 ハイお疲れさまでした、正解でしょ。前回も今回も、その公共心に敬意を表する。
 何しろ景気好転の一助となる心意気で物価上昇の一端を引き受けて、仮に実績らしきものが見えてしまっていたらその途端、『ほ~ら好景気だもんね、軽減税率やっていいんだもんね~』とばかりに、その貴重な努力代は超巨大無駄公務・一大利権帝国発足の引き金にされていた。実に、そのために毎年こっそりと奇妙な予算がつけられている【443】【514】
 誠実に頑張った成果の無残な行方を前に、バカを見てオシマイになる結末だったワケで。

 繰り返すが、仮に物価上昇や賃上げの見通しがついたらついたで、その実行に先立っては軽減税率の完全撲滅が必須条件である。
 あ、もちろんだが『消費税率の再引き上げには軽減税率導入がセット』なんて話は、まだ検討の段階からして微塵も始まっていないことを確認しておこう。
 『もし万が一、上記の予算が軽減税率の強行導入の準備につながるようなことでもあったら』のハナシだが、その時は『日本国民の経済意識を裏切る国家的詐欺』と表現しておかしくない進め方だと思う。
 利権外の一般国民で、これをやった方が【435】有難いという奇特な人間はどこにいる?

 さて、昔の常識なら空前の商売繁盛で、飛ぶ鳥をも落とす勢いだったはずの運送業界だが、この時代にあっては低価格・高サービスが度を越した結果の過剰繁忙であり、苛烈な現場事情に大幅な業態是正がなされたのは御存知の通りだ。
 踏切で電気機関車『桃太郎』に引かれるコンテナ列車の通過を待ちながら、今このコンテナで移動するのはどんな種類の貨物なのだろうと、ふと考えた。
 実は、この日本国において、かつて日取りを決めて輸送を一旦停止し、全ての鉄道車輌の連結器を一斉交換した歴史があるのだ。まずまず有名な話だから御存知の方も多いかな。

 古くは、鉄道車輌たちはみな『ねじ式連結器』でつなげられていた。
 ぶっちゃけネックレスの繋ぎ環みたいなもので、要は輪っかにカギをひっかける形式である。ただこれだと引張り方向はともかく、突き当て方向に力を受けると車輌同士がガチャガチャ衝突してしまい、うるさいし壊れる。
 だからなのだが、ほら欧州の鉄道なんかで連結器の左右両側に円筒みたいなのが1本ずつ伸びてたりするではないですか。あれにはバネが仕込まれており、押し込まれながらつながって、連結した相手車輌とお互い突張り合う仕掛けになっている。こうして連結器の繋ぎ環については、常に引張り状態に保つのである。

 では問題。輪っかと輪っか、カギとカギが出遭ってしまったらどうするのか?

 驚くなかれ、ベタにいちいち取り外してつけ直すのである。
 …え?鉄道の連結器って何キロあるんだ?と思うその感覚は正しく、実際タイヘンに時間がかかる線路上の危険な作業で、事故も死傷者も多かったという。

 ところで我々昭和世代が連結器といえば、片手を反転させ、両手で互いの指を掛け合い握り合う動作で真似るのが一般的だと思う。
 この形式を『自動連結器』と呼び、昭和40年代まではそこらの電車まで含めて、鉄道の連結器といえば基本全部がこれであった。引張り・突き当て両方向の荷重をこれ一本で受けとめることができ、輪っかとカギの区別もない。よって作業員が線路に降りる必要もなくなり事故も防げる優れモノである。
 人間の手と違って鋼鉄のマジックハンドが握り合うので、実は少しだが連結した時にガタを持っており、故に機関車が貨物列車を引いて発進する場合など、機関車にとっては貨車を1輌ずつ引き出すことになるので一気に牽引負荷がかからない。自動連結器は良いことずくめだったのである。

 そこで、と言ってしまうだけならホントに簡単だが、とにかく統計上『年間で一番輸送の需要が少ない日』を選んで鉄道を一日止め、ねじ式連結器から自動連結器に一斉交換したのである。
 今ちょっと調べてみたら1925年(大正14年)のこと、本州は7月17日、九州は7月20日と異なる日取りだったそうだ。もちろん車輌総数もまだ少なかったのだろうが、それにしても自動車や飛行機の輸送力が無かった時代によく思い切ったものだと感心する。
 その日は日本社会にとって、どんな一日だったのだろうか。連結器を交換する現場以外は、『今日は汽車が動かんからねえ』程度で済んでしまったような気もするが、なんかこういうの一度やってみたい気もするなあ。

 就職して割と早々の頃、『以前に自分たちでやったことを否定するのもおかしな話だから』という論法をたびたび耳にして不思議に思った。それでは過ちが正せないし、進歩もできないじゃないの。
 しかしすぐに理由が理解できてしまう。大きな開発組織で分業体制を採ると、物事を進めるのに大勢相手のある調整が動くことになるため、見解の転換が自分一人だけのことでなくなるのである。
 大勢に手間を発生させ面倒がられるし、全員にきちんと改変のコンセプトとその周辺事情を理解してもらわないと、始末に悪い新規トラブルだって散発する。

 なるほど~、だから過去を否定するのはやめとくのが良いんですね、ではない。
 そうなってしまうからこそ力不足は旧態依然に陥りがち、と理解するのが正しい。

 次が画期的なら、連結する相手や周辺まで巻き込んで、腕ずくで交換していくんだよ。
 今も貨物列車で現役の自動連結器が見れるはずだ。このゴールデン・ウィークのお手軽課題にしてみてはいかがだろうか。

【527】ニッポン保育園の給食改善工程表 [ビジネス]

 築地市場の改修案、7ヶ年で7百億台の前半か。
 裏の裏まであそこを歩き回ってこの目で確かめた訳じゃないが、プラントみたく重量級の特殊デバイスは無いだろうから非現実的な程の難工事では全然ないはず、額としちゃ少々積んだかなとも思うけど。
 まあ店子さんたちの一時退避その他、ブツにならない経費も乗ってくるはずなのか。公共工事の初期案だし、ケタは合ってるし、当面はこんなもんなんだろうな。関係者が多数絡むのと、高いところから低いところへどうにでも流れてしまう水回りが広範囲かつ複雑だろうから、分割した工区毎をうまくつないでいく詳細計画と進捗管理が面倒そうかな。

 成功条件が『築地で営業を続けたいと思う気持ちがどれだけ強いか』ってのが引掛る。
 だって元々そうするのが普通なんだし、普通にやれば?という言葉しか出て来ない。築地を改修・再整備しないなら、また他の土地探してゼロから新設するしかないだろう。

 氷山で底が抜けたタイタニック号じゃあるまいし、ただの地上建屋からなんで始終水を掻い出さなきゃならんのだ?ウォーターフロント最前線の埋立地だから潮汐の周期変動で地下水圧が押し引きを繰り返すし、外から浸み込むのはただの海水なのに、建屋地下室の底から浸み出すのは何故か強アルカリ水。途中に何が起こっているのか、まるで見当もつかない。
 この期に及んで開けてびっくり、こんなものハナから安心でも安全でもなく、法規適合性がどうたら議論する遥か以前の想定外の次元にある致命的欠陥であり、『状況が一切不明で、いま悪いモノしか出て来てないから食品市場には不適合』以上に言うことあるのか?
 ダメ押しに、坪1トンの面積掛けで計画外に積み足したという上階床のコンクリの件、みんな口つぐんでるが技術屋の常識目線なら強度計算があっさり破綻してるぞ。これを『問題ない』と言いたいなら、その診断やった奴を責任者に立てて公然とやらなきゃ通らない。気は確かか、どこのどいつがそう言った?

 よく戦争ネタで『当時の国家体制ゆえの1億総発狂』みたいなことを口走る左巻きがいるが、何のことはない、この現代社会でも利権に目が眩んでこんなに大勢が発狂してんじゃん。どんな体制のどんな意思決定でこんな破滅的失敗が起こるのか、必要都度リアルタイムの直談判インタビュー交えながら、がっつり研究できると思うんだがね。
 たまには若い人たち以外にも言ってやろう、戦争批判のその勢いで、やってみたまえ!

 さてここで、橋下大阪市長時代に大阪都構想の初期投資額が600億円で提案されていたことを思い出そう【371】
 大阪府市二重行政により、大阪府の中心に位置する大阪市域の中では、府と市の自治体運営機能が重複してしまっている。本来なら大阪府の形の板一枚があったとして、その運営機能はひとつあればよく、但し大阪市においては人口も機能も集中しているため、相応の自己完結性を持つ特別区に割って各々に自治を任せればよかろう。当時としては、こんなハナシであった。

 何しろ大阪府の板一枚の上から、真ん中だけ大阪市の形の板をもう一枚重ねて、府の板と市の板が利権動機の税金資本で威張りあいいがみ合うのだ。場当たりの不毛な役所間の競争に税金が湯水のように使い捨てられ、地域の将来展望がまともに維持できない事態に陥ったのも当然といえる。
 つまりは余計な板一枚分の厚みを削らなきゃダメでしょ、ということで、まず市の板つまり大阪市議会を解体して無くし、残った一枚分の厚みを、地域特色を各々打ち出す5区の組み合わせ板で埋めよう。こんな構想だったワケだ。

 【371】当時、私は600億の初期投資額をもって『倹約に感心する』と述べているが、今回ざっくりのざくざくでも感覚を養っておいていただけると嬉しい。役所建屋なら新設しても原則事務所機能に通信インフラで済むので、地盤改良や高機能建築に水道光熱・給排水もろもろの大変さが無い。とはいえ他の諸費目まで加えてこの額ということは、つまり『現有で使えるものは目いっぱい使う』を基本によく頑張ったんじゃないかなあという数字に見えたのですよ。
 ついでなので言及しておくと、今や馬鹿馬鹿しさが怖くて誰も口にしない新・国立競技場の建設費が、ずっこけた時点で3,000億、見直された時点で1,500億、これらが一体どんな計算で得られたものなのかを気にした方が良いと思う。
 そうそう、この機会にちょいと挟んでおくが『経済効果という単語=関連事業の総利益』と読み換えてはいけない。いつからの習慣だよ、これ?
 あなた自身が選挙を通して『あんたがたに任すよ』と信用して渡した先が、いつの間にかこんなことをしていた。いや、果たして『信用して渡して』いたのか?

 だからこんなことになった。
 みんな考え方、暮らし方を変える時期だと思うよ。直そうぜ!

 再び築地に話を戻して、数字だけ見ての概略イメージで悪いが、改修計画の詳細を詰めて工期・経費ともに2割削減でGO、いざ実行に移して噴出する諸問題を懸命に解決して、そこから1割ないし1割5分オーバーで全検収を上げてクローズ。こんな感じじゃないかな。

 グローバル高度情報社会において、日本国には知財を主とする情報機軸の経済戦略が生き残りの道だとする説は珍しくない。確かに現状の日本国は情報にまつわる技術領域で先進国だし、間違ってはいまい。
 だが情報それ自体は、煮ても焼いても、もちろん生でも、ビタ一文腹の足しにならない。情報の何をどう細工しようが、それを介して『カネ』という経済社会の約束事に過ぎない価値スケールをいかに押し上げようが、自らの手の届く範囲から食べ物が調達できなければ、我々人間は生きていけない。

 この先進技術社会にあって、託児所で子供たちがまともに食えてないとか、家庭の貧困率が上がり子供の栄養が給食頼みだとか、大人は大人で献立内容がめちゃくちゃになり成人病が多発しているとか、基本生命維持のレベルで人間の作動が狂ってしまっている。
 日本社会の自我にも、自然の畏敬を真剣に感じる『食育』が必要な時代なのだと思う。

【526】あすなろ数値シミュレーション [ビジネス]

 新年度企画を続けよう。実は職場単位でも、総観的な日本社会全体でも、『変わりたい、でも変わらない』と言いつつ随分といろいろなことが変わっている。

 そりゃそうでしょ、昭和式の職場文化なんて今や見る影も無い。
 毎年度『変えたい』と言いつつそれが実現できないのに、しばらく経って振り返るとあれからこれから変わっている。『変化』というものは、まず自分たちの思い通りにはさっぱり沿わない一方、そんなものとは無関係に、抗えない自然な流れが深く現実を塗り変えていくのだ。

 ほら、『身分証明書=誰もが持ってる運転免許証』なんて時代はとうの昔に終わっているし、昨今の学生さんはもうスマホ持ってるもんで、高価で面倒なパソコンなんぞ自前で持たないし大して欲しがらない。

 かなり昔のことになるが、『チーズはどこへ消えた?』という絵本がビジネス人種の間で話題になった。恐らく今も簡単に読めるだろうから、どこかで一度くらいは目を通しておくと良いだろう。
 いきなりネタバレってのもナンだが、要はチーズを見つけたネズミたちの話で、『これだけ沢山あるんだからもう大丈夫』派と『今の安泰は有限だから次を探さないと』派が分かれ、もちろんだが将来を真摯に見ていた後者が充実した展開を勝ち取るという内容である。
 そもそもがよく語られる筋の素直な寓話ということもあり、この程度を知ってしまったからといって楽しめなくなるとは思えないので、ばらしちゃいました。

 …とここまで書いて念のためネット検索してみたら、大上段の教訓としては一応合っていて完全デタラメだとは言わないまでも、相当にとんでもない勢いで詳細の記憶が崩れていることに気が付いた。がちょん。
 せっかく面白いので、このまま記録に残すことにしよう。私はいい加減な人間なのだ。

 さて、ここから本題である。
 いま新人たちを迎えている日本社会、やはりここ数年で様相が変わって来たかなと感じている。ちゃんと物事を気にして、考えて、失敗を直視しようとする意識が形になってきたように見える。
 東京五輪も築地改修も、10年前だったらもっと『どうしようもないコト』として諦め、ダメオヤジ裸劇団のなすがままに放任でオシマイだったことだろう。まだまだ核心に命中しているとは言い難いが、それにしてもここまでツッコミが入るとは誰も予想していなかったはずだ。

 約10年前、私は数値流体力学のシミュレーションソフトによる現象認識を否定しているが【8】、もちろん鵜呑みで良い訳はないにせよ、今日だとかなり使えるモノとなって実験本数を削減させていることだろう。
 当時ならまだ『現実と数値計算、双方の知見を蓄積した目で仮想現実を理解し、必要最低限のリアル実験を計画する』という日本語が通用したのだが、今はもうダメだな、きっと。
 10年前の私は、時代遅れになった。あ、当たり前か。失礼しました。

 一人の人間が、努力で学んで勘どころを働かせ切るには数値計算が凄くなり過ぎたのだ。少々乱暴だが、良い悪いは別として、ベテラン実験員も今年入った新人くんも、必要な数値を代入してシミュレーション結果を得る作業においては、もはや等価ということになる。
 そんなことあり得ない、許せない、認めないではない。これが技術の進歩だ。

 そもそもシミュレーションソフト開発者の立場からすれば、それってまさにソフトの開発目標だったワケで、長年の成果が徐々に実を結んできたという事実に過ぎない。現代の先輩は昔ほど得体のしれない実力者を装えないと述べたけれど【524】、その通り、間違いなく人知を注ぎ込んで『先輩不要=自動化・機械化』を進めて来たのだ。
 技術の進化は人間を追い上げ、人間に次なる進化を要求する。そうそう次いこう、次。

 この経験則を凌駕するような技術がかなりの完成度を得て既に存在しており、そこへ後から生まれた自分自身が飛び込んで、いきなりユーザー人生から始まっている。これが今の新人=デジタル・ネイティブなのだろう。私個人的には、この人材特性には大いに期待している。

 何しろ従来人種が、人間の曖昧さいい加減さを不正横行の大義名分に読み換えて、最初から失敗しかあり得ないような愚行をゴリ押ししたり、周囲が世の中そんなものと諦めて放置したりして、日本社会をこんな不採算だらけの無責任空間にしてしまったのである。
 反面、新人たちは良い意味で自身の経験不足に鈍感になって、最新の情報通信社会において正真正銘に優位に動き回れる条件となっているのだ。

 あれ?『チーズはどこへ消えた?』から始めて、もうちょっと可愛い気のあるハナシにまとめようと思ったのに、つい自分の技術意識の変遷に話が及んだ途端に見失い、なかなかの重苦しい系の回になってしまった。
 書き直すのは性分じゃないや。そんな訳で新人たち、恐れずガツンとやってみたまえ!

【525】タイムマシンで見る隠れ新興宗教の起源 [ビジネス]

 本棚を整理していたら、20年以上前の古い手帳が出てきた。
 ふむ、この時点で私の筆跡は完成されており、鑑定にかければ今の私と同一人物であることが簡単に判明するだろう。どこでとったメモだか詳細が不明だが、『自分にとって理想的なリーダー、自分がなりたいリーダー像とは?』というのを見つけて手が止まる。

  ・部下の踏み台、進化の1ステップ
  ・自分が5年かけた事を3年で行ってもらう。あとの2年は進化代。
  ・成長する方向は部下自身が決める。
  ・組織全体の進化を、長期的な観点で下支えする役割。
  ・部下の自由な成長を促進する役割。

 お、その通りだよ。なかなかよくできました、三十路そこそこの俺…いや、この20年ちっとも進歩していない物証だったらどうしよう?
 その先、『中間管理職の問題点』と銘打った箇条書きは、以下の通りである。恐らくは『上司には調子良く仕事を安請け合いし、部下に突発の負担をかけた同僚の事例』みたいなケースワークをやっていて、発言のポイントをさらさらっと並べて準備したのだと思う。
 彼の部下に相談されたとして、どう処置するか…みたいな想定かなあ。思い出せないや。

  ・形だけ褒めておけば良いというものではない。
  ・部下の能力を大事に考えなかったこと。
  ・上司への業務調整vs部下の過負荷を天秤にかけず上司優先とした。
  ・部下の時間と能力を無駄遣いしないよう注意する。

 ハイ、これもよくできました…っと。
 最前線たる直接業務をまず有効作動させる労務環境、これを保証する考え方も、この時点で確立されていることが見て取れる。たいして逡巡もせずにさらさらっと書き落としたように見え、ということはこの時点で私は明確な『フロー状態』【483】【485】の記憶を持っていたと思われる。
 20年前の自分を振り返って安心してもしょうがないのだが、悪くないじゃん。マル。

 人間、放っておいても呼吸して寝食して生きて暮らすはずだが、わざわざ職場に出て来て仕事して過ごす時間を選ぶのは何故なのか。
 少なくとも私は『面白いから、楽しいから』という理由があり、基本いつもナニガシかの課題や障害にぶつかりながらも、好きでその毎日を過ごしている。一方、同じ立場で真横にいるヤツが、同じように職場に出て来て仕事をしていて、人格を壊してしまったり、時には命まで落としてしまったりする。
 コイツらと自分は根本的に何か違う…のではない。同じ人間が同じことをしているだけだ。

 『面白い、楽しい』と感じる作動状態を意図的に造り込まないと『仕事』にならない。表裏一体で、命に係わる危険な心理状態に転じるような現実が同時進行中なのだ。気をつけないと。
 このあたりが三十路ちょっとの私にとっての、大上段の業務テーマだったように思う。

 私は体育会系よろしく精神論や根性論で高負荷を乗り切るような概念で、能力開発に取り組んだことは一度も無い。『やればできる』的に諦めなかった故の成功体験は得られるかも知れないが、制御の効く範囲で意図的に成果獲得を組み立てていなければ、本人にとって勝率計算に使える武器として身につかないと思うからだ。
 逆に、体育会系でない限りは随分と管理外のことをやり倒したものである。それが全面的の普遍的に正しかったとは言わないけれど、決して間違ってもおらず、他人も自分も『それをやらなかったよりは、やったほうがマシ』なくらいに能力向上はできていたと思う。

 働き方改革とやらは、本来取り合ってはいけない要因系まで闇雲ブラックボックスのまま過負荷計算で加味してしまっており、労務条件を改善される側の立場からしても生産効率を削がれ成長を邪魔されるようなジャンク政策となってしまった。
 当時の私が、上記の職域で対応を迫られたらどうしていただろう?怒り狂うのかなあ。

 いやいや絶対に、関係者一同をなだめすかしの騙くらかしで、結局はみっちり仕事に取組み、能力開発に勤しんでいたはずだ。不遇の世を理由に先陣が気を抜いてはいけませんぞ。

 賢い新風たちは、あなた方と一緒に諦めたりしたくない。

【524】初球狙いフルスイング指南書、新人スラッガー各位へ [ビジネス]

 新年度も始まり、各地で新人を迎える職場の姿が報じられている。定番の『あなた方の新鮮な感覚が必要だ』ってのも多かったようだ。
 そろそろ学生時代からここを覗きに来てくれている御贔屓さんが、就業年齢を迎え始めた頃ではないかなあ。もうちょいかなあ。

 随分と前の回になるが、【144】で職場風土改善を考えるにあたり、その『新鮮な感覚』にきちんと従って『古びた感覚』を入れ換えねばならないと述べた。これに先立ち【123】では、通常この入れ換えができない上に、毎回の『できない』に安住してしまう中毒症状が元凶となっていることにも触れている。
 結局『新鮮な感覚が必要だ』と問題意識のあるようなフリだけは演じるが、いざ現場で新人が素朴な疑問を口にしようものなら、あの手この手のああ言えばこう返すで、古びた感覚を仕込んでしまうのが現実といったところか。
 それで丸め込まれる新人たちの方も決して良いとは言わないが、少なくとも現状の日本社会においては、出勤初日のその日まで『社会人要件は職場の現場で、イチから習得し始めるもの』として、学校などでの事前準備を絶たれているのが実情である。だからどうしても自らの身の程知らずが気になってしまい、『新鮮な感覚』は旧態依然に呑み込まれて行くケースが圧倒的に多くなるのだ。
 いざ経験を積んで生意気を通せるくらいになる頃には、あちこち旧態依然組につけ込まれたり抑え込まれたりしており、迂闊に現状を批判し変革を提案しようものなら自分自身への負担がバカにならなくなってしまっている。だから。

 若者たち、この私が『勉強しよう、身体を動かそう、どんどん賢くなれ、もっともっと強くなれ、年寄りが邪魔なら迷わず倒せ』と繰り返すのは、いかに実力で裏付けた自信を固め、一刻も早いうちから『新鮮な感覚』を攻撃的に突き通す役回りを勝ち取るか、その挑戦マインドを目いっぱい焚き付けようとする意図に他ならない。
 我ながら少々引掛るそそのかし方になるが、老いぼれどもの強制や懐柔になびいてその場の面倒をやり過ごせたとして、5年後10年後のあなた方に何か良いコトあると思うかね?
 この手合いは自力で時代適応していく気概なんか持ち合わせていないから、ものの数年で誰からも必要とされなくなる。今のうち何にも知らない新人相手にどうにか効きそうな権力構造を、殊更に誇示して力関係を仕込もうとするんだろうが、そんなもの話半分であしらっておく以上の関わりは不要だ。

 今の時代、デジタルライフにしても、人付き合いの社会常識にしても、その変遷速度は加速し続けており、職場の労働環境もこれに引張られる形でどんどん変遷せざるを得ない。上記の通りそもそも職場が従来踏襲の傾向を宿しているとはいえ、もう『旧態依然を選別し相応の積極的に切り捨てていかないと、職場が生き残れない時代』にまでなっていると思う。

 この局面は、従来にないチャンスだと言えよう。
 古式文化が纏う漠然とした過去実績の雰囲気を『時代遅れ』の一点で蹴飛ばして、若者流の最新デバイスに新業態で押し潰してしまえる条件が整っているのだ。上司も先輩も、昔ほど得体の知れない実力者の化けの皮はかぶれない。
 お望み通りの新鮮な感覚で言ってやれ、『このデタラメな理不尽・非効率は何ですか?』
 キミが見ておかしいと思うなら、誰が見たっておかしい。訳を訊かれたら応えれば良い。
 自分が正しければ、退くな!負けるんじゃねえぞ!

 正真正銘の敏腕人材があちこち有効稼動しているのに落ち目から抜け出せないとか、完璧な管理体制を敷いているのに原因不明の損害が止まらないとか、いずれ本当に恐れるべきヤバい事態に直面する時が来る。
 いま日本の生産力の現場も経済力の現場も、確かに危機的状況にあるけれど、『誰が見ても悪政と判る失策を強行して、その通りの結果が顕れている』という、ある意味とても単純で素直な失敗モードが殆どなのだ。
 ありていに言えば、『アホを消して常識に任せれば、それだけで改善が保証される』という初歩的なレベルの不具合事例だと言える。肩慣らしの初戦としては、案外お手頃なのである。

 そんなこんなで近々のAI普及に一歩先んじて、今年こそはボケ老人の一つ覚えに終わらないリアル『新鮮な感覚』ってやつを、シケた日本社会に一発お見舞いしてやってくれんかね。
 やっちまったの見てから次を考えた方が断然面白いぞ。やってみたまえ!

【523】脱ゆとり国会の道徳ロールプレイ [ビジネス]

 大阪のガッコ設立汚職事件がダレてきた。そこで提案。
 例の『ソーリ大臣を辞める、議員を辞める』の発言、誰かが『あれは聞かなかったことにしようじゃないか』と宣言してやればよろしい。野党の方が体裁いいと思うなあ。
 つい勢いで口走ったことじゃないか。真に受ける頭があるからコジれるんだろ?

 あるところに荒れた国有地が遊んでいてゴミの不法投棄もされており、ある日そこへ私立小学校新設計画の吉報が舞い込んできた。これは近隣住民にとっても治安や美観の向上になるはずだし、普通なら自治体としてはドーゾドーゾで小学校にして欲しかったのだが、困ったことにこの創設者のオッサンが相応のカネを持ってなかったのだ。
 とりあえず件の国有地の価格を算出したら9億ぐらいの値段にはなりそうで、荒れ地が小学校に生まれ変わる喜ばしいオファーだとはいえ、いくらなんでも国民の財産を捨て値で厄介払いしたような行きがかりになってしまっては後々問題になる。ここはひとつ変化球を駆使して、当面の売買契約履行と小学校建設承認の調整をどうにかつけられないものか。
 多分こんな経緯だったのではないかと見受ける。

 ガッコの教育方針がスパルタとか厳しいとかいう表現を使うにしてもかなりアレだが、まあ子供たちの方がよっぽど賢いから実害は発生せず、要はちゃんと小学校としてのブツが建って、何カ年かの分割払いで結構なので適正価格にて土地が動いていれば、誰も問題視はしなかったろう。
 別に悪いことをしているのではないからだ。

 ところがガッコ創設者のオッサンおよびその周辺に、『荒れ地を小学校に変える善行をやるんだから、ルールはちょっとぐらい薄目で飛ばし飛ばしに読んで、あっちとこっちに各々モメない額で話を進め、その経過で自分らがカネくすねるのはセーフ』という自己正義の感覚世界ができちゃってたんじゃないかなあ。一連のやりくり1セット、当人らの間で『衝突なく交通整理を完遂して成立させる、計画性の高い収益事業』という扱いになっていたように見える。
 だがこれは間違いなく不正行為であり、同一事由に対して別額3通の契約書が動いた時点で完全アウト、よってコトが明るみに出れば制止され糾弾されることになる。
 で、そうなった…のだけれど。

 このオッサンなかなか大胆なステージで悪知恵の頭が回せる曲者で、何年かかけてママゴト気分の自称『保守』が喜ぶところを丁寧にくすぐり、巧妙に『親友』として家族ぐるみのお付き合いゾーンまで踏み込んで取り入ったのだ。

 そんな折、実はどこかの左巻きが『右傾の小学校建設計画がある』と噛み付いたのが発端だったそうだが、とにかく不正が発覚した。その途端ゴキゲンにお付き合いしていた自称『保守』どもは態度を翻し、共謀扱いされるのを恐れて『こんな人しらない、関係ない』と縁を切りにかかると。
 当然『切られてたまるか』の創設者オッサン一家は、自称『保守』どもとの深い親密の証左を次々とアピールし始めるワケだ。
 それがどこまで真実かはともかく、まんまと抱き込まれていた自称『保守』どもは、場当たりの言い訳や虚言も交えて、世にもみっともない卑怯卑劣な裏切り行為と映る答弁を強いられることになる。
 突然の状況大転換に辻褄の構築が追い付かず、うろたえまくりのグダグダで矛盾だらけの言動に陥るのも、まあ自然っちゃ自然だろうよ。

 人畜無害系のアッキーは目ざとく狙われちゃった気がするなあ。
 悪い気も起こさず邪心の所在を疑うこともなく、時に断るに断りきれず目論見のままに巻き付かれ利用されたんではないだろうか。脇が甘いと言えばその通りなんだが、他の奴等のやられ方とっちらかり方と見比べるに、やっぱり相手が悪すぎたんじゃないかと思う。
 これを責めちゃ、ちょっと可哀相だよ。

 話を冒頭に戻そう。
 『大臣を辞める、議員を辞める』の発言は本心でないと思われ、また誰に損害を与えるものでもない。
 心得不足があったとはいえ人身事故も物損も発生していないのなら、これ以上責任を問うべきではなく、むしろこんな激情に任せた台詞を言質にとって『進退問題に仕立てようとする邪心』の方が責められるべきなのではないか。こっちをまず根絶すべきなのではないか。
 馬鹿馬鹿しいのは認めるが、誰かが不問を宣言し、全員が調子を合わせれば片が付く。

 些細な過ちにまで目を凝らしてそれを摘まみ上げ、誰かを言い負かしたり、誰か相手に我を通すのが目的ではなかろう。時間の浪費を切り上げ、コトの顛末を解明するのが先決である。

 ああ、巷にひきずられてくだらない話題に丸一回使ってしまった。
 悔し紛れに、最後に横道。
 子供に『弱い立場の者をいじめるな』と教育的見地を決め込みたいなら、こんな場面で『つい間違えた弱みは明るく御破算にし、いち早く本来の正々堂々で勝負する』という正しい大人の分別をしっかりデモる必要があると思うのだが、いかがでしょう?
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