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【504】モテ光線コンペのシンギュラリティ攻略法 [ビジネス]

 日本国内だと橋下さんの活躍で一般化した感があるが、デジタル通信メディアでの発信が世論に及ぼす影響を見抜いて効果的に使う、これが現代の社会運用の重要ツールのひとつだと言われる。
 直近だと、トランプ君のツイッターが連日のように話題として取り上げられているのは御存知の通りだ。

 もうそろそろAIつまり人工知能のニュースが出て来てもいい頃じゃないかな。
 狙いの事象を網にかけられそうなキーワードを餌にして検索をかけ、インターネット上を飛び交う会話から関連情報を漁る。少々精度が危うくなる可能性まで呑んでしまうなら、ざくざくっと肯定語vs否定語あたりで判定ルーチンを組めば、『トランプ経済政策、YES or NO?』みたいな結論は出せそうだ。その下にネタ元列挙および単純計算で平均化した文章をぶら下げるのである。
 この判定コンセプトの平易な解説をつけて、『この結論は単純な計算結果なのでよろしく。算出の材料は、ネタ元情報の上位いくつを以下にナマ陳列しておきます』ぐらいの内容構成にしておけば、見るヤツは見て相応の事実認識が可能だろう。
 当初は平均化した結論文の日本語がヨレていても御愛嬌、解って読めば絶対に面白い。

 これが実現すると、機械くんがドライに情報処理した結果を表示させるだけだから、権力による広報の弾圧や歪曲操作が遮断されることになる。マスメディアに対する、政治家や役人の恫喝や嫌がらせが効かなくなるのだ。
 AIニュース会社としては、『ウチはただ計算処理を機械くんにやらして結果を公開しているだけ』であり、いったん走り始めてしまえば、あっという間に情報の信憑性で他と歴然と差が付くだろうから、同じく権力の圧力下にあるスポンサーたちも既存のメディアから乗り換えて来ざるを得なくなる。そういう系が好きな人種向けに『嫁キャラ』仕立てのボーカロイドでも作って、キャラクター商品なんかをうまくリンクさせれば、採算性も現実的なセンに乗っかりそうだ。

 そして一部の社会権力が私利私欲に走り一般大衆の生活が辛くなればなるほど、時間もカネも責任もかからない電子情報の世界で人々が暮らす度合は高くなる。ますますこの業態は追い風を受けることになり、AIは社会の自我にどんどん割り込んでくるはずである。

 だとすると、将来もマスメディアの一環として機能していたい立場の人間たちは、早々に『あっけらかんとドライ、冷徹なまでに天真爛漫なAI』を敵にまわして、一般大衆が本当にいいコト・面白いコト・嬉しいコトとして受け取り幸せになる公開情報を捻り出さねばならない。
 『社会全体にとって望ましいこととは何なのか』をAIが競合してくる事で追い込まれて、ようやく人間が真剣に考えるようになるというのも因果なハナシだが、とにかく自ら生み出したAIに処刑されないため、人間社会の成立性の原点にまで立ち戻る謙虚さを求められる時代なのである。

 いま北米政権に関するメディアの批評、特にテレビに関しては結構バラツキもあるけれど『他国の政権を気味悪いくらい執拗に否定する』異常事態が散発している。
 さすがに日本国内でトランプ氏をどんなにコキ下ろしたところで、北米世論への影響など全く期待できないことぐらい誰もが判っているはずだが、だとするとこの薄ら奇妙に歪んだ意思表示の動機は一体なんなのか。他国政権への大きなお世話をこれだけ派手にやって何か良いことなんかあるのだろうか。

 今も小学校では『日本は加工貿易国だ』という表現を使っているのだろうか?
 日本列島には工業製品の原料となる地下資源がほとんど無いため、原材料を輸入して完成品を輸出する貿易形態で国際社会を生きているのだと。
 何よりまず、安く良質の原材料を仕入れて価値の高い工業製品を生産し、日本社会を維持できる程度の価格で販売できれば良いのだ。これが叶った上で『自分の故郷は自分で平和に管理する』を原点に、そこからの乖離代となる諸事情を加味して、現状国政の落としどころと将来戦略が決まる。
 ひとまずここまで、いったん我が日本国の実情を整理して、他国事情はその次だ。このくらいなら利権や弾圧に揺すられず当たり障りなくやれるだろうから、マスメディアが忘れた我を取り戻すお題としていかがだろうか。

 このままでは、時代の申し子として殴り込んでくるAI相手にひとたまりもなく駆逐される。
 機械くんより自分たちが魅力的なワケ、その手前味噌の醸造工期に出遅れなきことを。

【503】不器用契約のチャレンジャー保証人 [ビジネス]

 TPPの交渉から永久離脱、再交渉にも応じないとの大統領令にサインが入った。
 ま、肝の落ちた署名シーンだったよな。さすがにあのでっかいビル建てる超ヤリ手だけあって、彼なりの『だってこうしなきゃ北米経済が持たんじゃないか』の定量的根拠をもって決断している。
 誰それくんが一番偉いことねー、誰それくんの言うコトはきくことねー、のママゴト馴れ合いで決めた小国の利権都合なんぞ、まるで取り合うに足らないといったところか。どこで聞き覚えるのか知らんが、日本のダメオヤジどもが『粛々と』『大胆に』『躊躇なく』なんて、じっつにどうでもいい場面で使う枕詞、現実の本気にはこんな感じで行使されるもんだよ。

 最初にちゃんと言っときゃ良かったんじゃん。
 『日本国はTPPにより自国景気が向上すると見込んでいる。北米はこれに合意・協調の方向で動いているものと当方は認識しているんだが、それで間違いないよね?』
 まあハナタレのガキにこんな質問されたくらいでトランプ氏の回答が変わるはずもなく、要はこう尋ねておけば、その場で『いいーや、アテにするのは日本の勝手だが、北米は北米の都合を最優先する』と当然の反応が刈り取れていて、今頃オロオロする事態は避けられたんじゃないのかなあ。トランプ君、かなりハチャメチャだけど、直球で訊かれれば、少なくともその場で彼自身が保証できる範囲の直球で返してきた可能性が高いと思うのだが。
 このへん信用できる男だぜ、たぶん。

 この否定的な回答を文字通りに聞いてしまうのが怖い青瓢箪が、『アナタ日本のこと嫌いじゃないよね』程度の一文を会話の途中に滑り込ませ、『もちろん大切なパートナーさ』と予想通りの社交辞令をまず返事させたってワケだ。
 で、ここぞとばかりに寄ってたかって、この言葉を殊更あげつらって『北米は日本を重要視している、TPPを離脱するハズがない』などと、これまた言いふらしてカドの立たなさそうなところ、具体的には日本国内にのみ向けて、繰り返し繰り返し吹聴してみたと。
 そのココロは、トランプ氏が『ありゃ、つい社交辞令で日本を肯定したら、日本がTPPで同調すると思い込んじゃったよ。しょうがないなあ、モメるのもナンだし、とりあえず我が北米もその流れで行っとこうか』とあり得ない忖度をしてくれる可能性に縋りつきたかったのだ。
 この馬鹿馬鹿しい自己都合・夢物語の妄想シナリオが軽く一蹴されて、今がある。

 ときにトランプ氏、70歳でこのキビキビ感の演出ができるのは大したもんである。
 にちゃにちゃぬちゅぬちゅの一人芝居を踊って終わった日本が、つくづく情けない。

 それはそれとして、前回に続き北米工業力の潜在的不安として、クルマ大好きの私は20世紀に『日本車キラー』と銘打ってGMが市場投入した『サターン』のことを思い出してしまう。
 当時すでに日本車で普及し尽していた4速ATが乗せられず、昭和=自動車発展途上時代の遺物のような3速ATだったのが衝撃的、それを含めて全体的に無理と呼ぶにも無理があり過ぎるコスト不成立をゴリ押して、実現させてはいけないガラクタ商品を実現させてしまった感が凄かった。車好きならずとも、あまりの貧相に気後れして試乗する気さえしない。
 他ならぬ北米現地で車好きの仕事仲間が言うには、『車軸のベアリングが密封構造になってないんだよ。GMの販売員に幾ら何でもそれマズいだろと言ったら、異物も水も、開口部から入った以上は反対側から出ていくだろうって。気は確かかね、アイツら』
 ともあれそんな出来だったため、結局は当の北米市場でさえロクなセールスにならず、今や現存するサターンを修理して乗り潰そうにも、アフターケアの体制は完膚なきまでに崩壊しており、部品もなかなか入手できないという。

 薬品顆粒を小さじにすくい、山盛り部をヘラで真っ平らに落とし、規定量を袋詰めし密封。
 インパクトレンチを片手に、ビス4本を舐めさせず確実にネジ山に乗せて規定トルク締め。

 こんな作業を、御近所そこらに張り紙を出して数日で集めたパートのオバチャンたちが黙々とサボりもせず完璧にこなす国、それが今なお全世界が目を見張る工業生産力を秘めた我が日本国だ。
 極限の厳しさを承知したつもりとはいえ、所詮『やればできる』『やるしかない』の気合いごときでこれに太刀打ちできると思っているなら、今度はトランプ氏が世間知らず・現場知らずな幻想リスクに打ちのめされるのも時間の問題だと言えよう。

 ま、腹の据わった筆圧でなされたあの署名のことだから、いずれ立ちはだかる北米工業生産力の限界を前にした時、どんな展開を見せるかがまた興味深いのだけれど。

【502】命懸け片道遠足のおやつ上限額 [ビジネス]

 トランプ氏が北米経済の内需ループ強化を志向しているのはその通り。だがこの日本から、何もかもひっくるめた形で『内向き』と呼ぶのは、大きなお世話もいいところだと思う。
 アメリカ合衆国として対外的に元気に振る舞おうとするなら、まずアメリカ合衆国それ自体が自らの納得いくレベルで健全運営されていなければならないため、所謂『内向き』志向の自国向けアピールは必要だ。しかしそんなもの対外的にもウチワ納得的にも、アメリカ合衆国の問題である。
 自立できない日本国のだらしなさを棚上げして、御立派な態度の識者さんやコメンテーターさんとやらが、したり顔の上から目線を決め込んで批評してみたところで、現実のナニがどうなるものでもなかろうに。

 まあいいや。さて図らずも前回、未開地の人材事情の話に及んだので、この機会に。
 いかにもボロっちい、この教養と品格のなさこそ、社会性を身に付ける以前の『素の個人』の姿なのではないかと私は思っている。性善説も性悪説もいかにも呑気、そんなもの善悪なる意識文化が確立されてからの論議だ。

 ここに注意すべきは、くだんの原住民が『ラクして報酬だけ取ってトクしてやろう』などという計算でやっているのではないということだ。欲しいモノは欲しい、やれとは言われたがやらなくて済んでしまう時間が一日あり、何も言われなかったのでそれを過ごしたまでである。ただそれだけであり、損得の計算や事実の偽証などという高度な情報処理が介在するよりも遥か以前の段階にあるのだ。
 そりゃ拡がる原野に草木が生えてて、薄らぼんやりしていたら飢えて死ぬだけ。血族中心に自然発生した集落にどうにか帰って寝る程度で、食えるものを探して採って日々生きているんだからそうなるのも当然だろう。カネなどという余計な知恵も仕込まれず、動物園や保護区域で安泰に群れで暮らすゾウやチンパンジーの方が、まだ幾らか共同生活に長けているのではないだろうか。
 警察や軍の統治も無い中、伝染病に猛獣など大自然の脅威に晒されながら、よくこんなの相手にアンテナ建てるよな。そもそも何語が通じるんだろうか?

 アナタが日本地図のどこかダーツの矢が刺さった場所に、裸一貫で放り出されるとしよう。
 その瞬間からかなりの確率で人の生活が視野に入り、そこらへんを見回して適宜ゴミを漁るなりすれば、まずは隠したいところを隠す程度の装いは可能なはずだ。深い山奥でも自販機は普通に目に付くし、這いつくばって機械の下や周辺の排水溝を覗く作業を厭わなければ、小銭は一日のうちに手に入る。
 それらの作業を文字通り実行するにせよ、親切な通りがかりの人の世話になるにせよ、自分も相手も読み書き算盤の通じる相手として、日本語を交わして明日以降を生きる道がある。他人を襲って略奪するより、取り入った方が断然に気楽で快適な未来が期待できるのだ。
 この地球上に、これほど豊かで恵まれ、他力を頼って安全に暮らせる空間がどれだけあるだろう?日本は本当に格別格段の特上だが、メキシコから見た北米も十二分に暮らしやすい、いや生きやすい文明国なのである。

 北米南西部、ロスよりも南方の一帯を車で走っていると、陽炎が揺らぐフリーウェイの路肩をあてどなく歩き続ける人影が点々と散見される。
 やはりというか中南米系とおぼしき黒い肌で貧しい身なりの、そして結構な数の子連れの家族が目立っていたように記憶している。目指すとすると大都市ロスだからなのか、それとも内陸は気候が厳し過ぎるからなのか、アリゾナよりは西岸沿いのカリフォルニア州に多かったと思う。幹線道路の路肩を延々だから、コンビニはおろか公衆便所の水道すら無い。
 『まかり間違っても乗せるなよ。ベーリー・デンジェラス!!』 が現地スタッフの教えであった。

 日本に地続きの国境があったなら、一体どんなことになっていただろう?

 因みにフリーウェイで車が故障したら、ボンネットを開けて車内に戻り、いかに暑かろうが窓を閉めドアロックして待つ、これが基本だと聞いた。警備の飛行機が道路に沿って巡回飛行しており、前が開いているのが『故障中、SOS』申請のお約束なのだそうだ。まあ今は携帯電話が普及し尽したから、随分と見つけてもらいやすくはなっているのだろうが。
 国境からロスまでの距離を一度地図で確認していただきたいのだが、それでも一定確率で歩き切って移住には成功するらしく、ロスのオフィス街のはずれには、まさにこの中南米系と見受ける人種の貧困街がある。車で道を間違えて迷い込んだことがあるが、赤信号では一応停まるにしても周囲からの接近者に常に注意し、ここでは歩行者との接触があっても停まるな降りるなと言われたものだ。

 いや、世界の常識がどのあたりにあるか認識し直して、ネットカフェ難民も段ボール村のホームレスも満足して幸せを噛み締めろという話ではない。日本列島という閉じた空間に、これほど豊かな生存空間を作り上げた日本社会の有難味を振り返って、各自がその維持管理のため『きちんと日本人の一員として機能する』意識を改める時期が来ていると思う。
 少なくとも、社会空間の一般常識に影響を及ぼし得るような億単位以上の公金を、くだらない力関係やウチワ満足のママゴトに使い捨て、『空気のように決まって行った』『そのくらい出せないのか』みたいな言い分が通ると勘違いするような劣悪な個体は身ぐるみ剥いでどこか下界へ叩き出さないと、経済健全化への第一歩は踏み出せない。
 これを見せかけ無しの現実に推し進める象徴的事業として、豊洲移転判断の責任追及は手を抜かず徹底的にやるんだろうな。もちろん五輪事業の採算性管理もだ。

 お金という紙切れや金属片は、社会を生きる仲間同士で『生産力や物品にフェアに換算する』という信頼が成り立ってこそ、文明的な価値を含んで流通してくれる。それがくまなく廻って分相応に行きわたるから、身ひとつでもとりあえず生きられる平和な社会が維持される。
 この信頼を管理できるかどうかが、経済政策の実効力および実現性のカナメだと思う。

【501】YOUは何しに労働市場へ!? [ビジネス]

 英EU離脱がいよいよ現実化してきた。確かに、長きにわたって自国民が安心して一生を遂げられるよう整備してきた社会保障制度を最優先で守らないと、国民の意識の中で国家が空中分解してしまいそうだよな。

 一方どこまで真実を反映しているかが疑問視されもする訳だが、北米では支持率最低を報じられながらトランプ政権がスタートを切ろうとしている。
 もっとも支持率最低が本当だったとして、それならそれで一旦は北米社会組織の自我の判断に従いトランプ政権を実現させた上で、現実を認識した組織の自我が『トランプじゃ駄目だ』と判定を下す事実を経てからでないと、北米国政の方向転換は不可能である。
 何だか人目につく立場の連中は、本心はともかく『一応は暴言トランプを否定しておかないと良識を疑われる』という根拠で立ち位置を決めているように見えるなあ。このあたりトランプ氏の愚直さ朴訥さというか、口汚く罵るなら上手くコトバを選べない頭の悪さだと言えよう。
 ただこれとて、必ず北米社会の流れが目に見えて変わってくるという勝率を見込んでのことならば、コイツなかなか骨があるという見方もできる。会社員として採用するなら、先が楽しみなタイプの人材じゃないすかね。

 しかし相手は北米社会だ。世界中から人間を集めた正規分布の拡がりは途方もない。
 手先の細かいヤツは緻密などという日本語如きではとても表現できるものではない。逆に大雑把なヤツは上と下、右と左の区別も怪しいくらいの漫然さである。
 頭の良いヤツはぶっ飛び過ぎてて何を言っているのかさっぱり理解できない。逆に頭の悪いヤツは、コイツよくこの知能で心臓動かして呼吸してるなと感心するくらいのバカである。
 ふーん、人間なんてこの勢いでばらつくんだろうな。日本人なんか、この分布の上から2、3割あたりの幅だけ切り出して、それを正規分布の全体像で割って騒いでるようなもんだよ。つくづくそう思ったものである。

 だがこれがまだ甘かった。この丸ごとみんな『理性で北米社会が良いと判断する能力をもった人間』というふるいにかかっていたことを後に知る。

 アフリカや中東の奥地など、海外の未開地で無線通信アンテナを敷設する仕事をしていた人と話をしたことがある。
 我々先進国では電報・電話などの有線通信網がまず発達し、次いでこれが無線化され携帯電話が普及していった訳だが、この無線化時代到来の段階でまだ何も通信網が整備されていなかった地域では、延々とケーブルを敷設するよりむしろ中継アンテナを点々と設置していく方が安価で手軽なため、何も無い社会にいきなり携帯電話から爆発的に普及していった。
 中継アンテナの設置工事だから組立キットを現場まで運び込んだら後は組むだけ、つまり工事現場の労働力は現地調達でやることになる。公共交通機関なんかとは無縁の貧しい野生生活の村を訪れ、作業内容を説明し報酬を提示して人員を募るのだという。

 大自然の中、体力勝負の日常生活に慣れている素朴な村民は、大喜びで応募しよく働く。
 …ワケではない。むしろその真逆に近いらしい。

 極端な話、朝に作業指示を出して夕方また来てみて作業がまるっきり進んでいないこともあり、だが『働いたので報酬をくれ』と手を出すというのだ。進捗ゼロを叱り、幼児にも通じる根拠で言い逃れを絶つと、今度は呆れ返るようなバレバレの作り話を並べ始める。取り合わないと不満を露わにし、騒ぎ出してこれまた面倒きわまりない…
 人間同士は会話して合意し決め事に沿った行動を取らなければならない、そうしないと文明社会における共同生活は成立しない。ちゃんとお互い言った通りに普通に動こうよ。
 その意識を芽生えさせるところからスタートする必要があり、これが果てしなく疲れるというハナシであった。

 中南米からの不法侵入者による北米南部地域の雇用悪化をトランプ氏は指摘するが、されど彼等は『北米社会にメリットを見い出し、北米社会に何とか居着く努力をして暮らす』という積極的な懐柔の動機を備え持つ連中なのだ。
 つまり、北米における人間の質の拡がりは、全世界的に見ればなお相当に優秀寄りにバイアスがかかっていることになる。

 トランプ氏が北米経済の内需ループ強化方針を取りたいと思うのは理に適っているとして、横道の派生回路や周辺に向かう枝道を剪定して内需ループを明確化したところで、まず経済価値を生み出しそこを循環させる肝心の駆動力がついてこない。ループ回路だけあっても、そこを経済力が循環しなければ経済活力としては何ひとつ向上しない。
 ここから上記の、激安かつ同化モチベーション豊かな労働力を締め出そうというのだ。
 結果は推して知るべし。私はそう読んでいる。

 国内の生産力、殊に将来の稼働を担う若年層の生産力に
  『昨日できていなかったコトを今日はできるようにパワーアップさせてやる』
  『今日できるようになったなら、明日はもっと凄いヤツを目指すよう元気付けてやる』
 このガチな能力開発を、いま食える現実のものとして保証してやらない限り、社会経済体力の構築など土台ムリである。

 ま、給付型奨学金がどうたらとか、どこぞの国も完全落第レベルなんだけれど。

【500】先手必勝、気付いてアーハー体験 [ビジネス]

 手つかずの話題が山積なのに、9年数ヵ月を経て500回目を迎えてしまった。
 元製造業大手のエンジニアが『モノをつくる』ことを原点に考えをめぐらせているところです…と自己紹介をぶら下げてあるな。何だか懐かしい。

 その原点に帰って述べよう。技術は正直、できあがったものは現実を語る。
 豊洲のガラクタは、食料品を扱う市場にはとても使えない。危険なので使ってはいけない。
 推進するもしないもない。ダメなものはダメ、人間の意向ごときでどうこうなるものではない。

 そもそもの目的が『やりたい放題に利権を食うため』であり、『効率的に安全な食品を流通させるため』ではないのだ。ケミカルハザードなんか知ったことか、自分たちが威張り威張られカネさえ掴めりゃ、誰にどれだけ健康被害が出ようが何人死のうが関係ない。間違いなくその目的意識で設計され、施工され、現実にブツが完成した。
 だから調べれば調べるほど、それを裏付ける通りの事実しか積み上がってこない。コトの因果としては、別に騒ぐようなハナシではなかろう。当たり前である。

 この事実が隠蔽されたまま移転を進めてしまい、今なり将来なりにこの不適格性が明らかになっていたとしたら、市場丸ごとが食品流通緊急停止でその期限は不明、想像を絶するレベルで東京都の食品流通業界が大打撃を受けていた。移転前の発覚が叶ったのは、九死に一生を得たと理解すべきだろう。
 具体的に述べるなら、市場の店子たちは移転に待ったをかけた小池都政に感謝こそすれ、非難を浴びせる憂さ晴らしなど全くの筋違いということだ。非を問うべきは、破滅の移転を強行しようとした過去の都政、および事情はともかくそれに従ってしまった自分たちである。市場側にもグルになってたヤツが少なからずいて、それがどいつかも判ってるはずだぜ?
 コトここに到ってまだ万一の事態逆転の想定にシッポ巻いて、ウチワのワルには気付かぬふりで小池都政の非難だけ演じているヤツも多々いると見受ける。そんなことだから、時流の節目でおのれの卑屈の清算をこうして突きつけられ困窮するのだ。
 到底同情には値しないし、こんなの公金で補償なんてとんでもないことだとも思う。

 今日、国民個々人の意識の中で、自分なりの経済生活を成立させることと、国家社会に帰属することが別事象になってしまっている。何故か。
 『自分が一生懸命に暮らす平和で豊かな社会文明的生活を、他ならぬ日本国組織がお世話してくれている』という実感が失われているからだ。
 国家行政を大義にした一部の強欲バカの割ばかり喰わされるのはまっぴら御免、グローバル経済空間との直結接点を最大限に活用して、自分ひとりの生活だけを守って豊かにしないとやってられない、こんなところだろう。だがこれでは、国家が築き上げてきた文明社会システムを維持するための、精神面・労力面・金銭面のあらゆる良心的出資が枯渇してしまう。

 何よりもまず誰がどの立場から何を叫ぼうが、社会全方位のグローバル化には抗えない。
 通信網も交通網も既に十分以上のレベルにまでグローバル化が進んでおり、たかがルールでどう禁じても現実に対しては無力だ。
 この環境において、将来日本国を発展方向に仕向けたいのだとすると、良質な国民が居残り優秀な移民が転入するような日本国社会を用意し、その優位性を世界に向けて発信する必要がある。そうしないと、このグローバル経済社会で生き残れない。

 日本という国に関して、普通にそこらの学校で習う教科書レベルの知識しかない外国人がいたとしよう。その外国人が、文明社会で経済生活を送る一員として非常に優秀な人材だったとして、日本に移住する気があるかどうか質問したら、どう答えるだろうか。

 『大事な子供や孫に返すあてのない借金の不安を負わせるなんて絶対あり得ない、断る』
と一言のもとに拒否されるのがオチではないのか。
 『アーハー、ごもっとも』 これだけ返したら、我々に続ける言葉は無い。

 何だかんだで今のままの日本人が、今のままの特性を持つ日本社会を成立させていることを前提に、ちょっとした指標値の試算を掲げて少子高齢化がいけないだの、経済成長以外に道は無いだの空論を弄ぶ。空間の拡がり方向にも、時間軸の伸びる方向にも、あまりにも狭い視野で『どうにかなっている』つもりに過ぎるのが日本人の悪いクセだと思う。
 いつまで時代遅れの利権アンフェア文化のまま、だらだら未来を心配するふりだけして済ますつもりだ。

 過去を冷静に振り返って、思い出していただきたい。
 ちょっと前なら、誰の目にも明らかなデタラメと映るのを確信しつつも、黙認スルーを当然のこととして汚い年寄りが偉そうに我を通す大ウソの声明が、あちこち報道の一環として流されていた。今はどうだろうか?
 まだ立場上あからさまな反旗は翻せないのが相当数いるものの、日本社会が変わってきているのだ。いくら早々に気付いていても表立っての意志表明に躊躇してしまい、『後になって周囲を見回して態度を変えた』と他人の目に映る行きがかりになっては言い訳が立たない。
 豊洲建屋が物語る通り、悪い気を起こした事実は物証としてあちこちに残っており、社会の気運が方向転換した途端、全ては暴かれ糾弾されていく。イチ抜けが賢明、逃げ遅れると共犯にされて面倒だぞ。

 訪れた潮目には積極的に舵を切り、舳先を吉方位に向ける努力が功を奏する。
 神風を帆一杯に受けとめたいのなら、まず針路が希望の新天地を向いていなくては。

【499】直球ロジカル暴君の未来鎖国 [ビジネス]

 やれトランプ氏がああ言っただのこう言っただの、うろたえ過ぎなのではないか。
 かなりムチャなのは間違いないが、解りやすいと言えば解りやすい男だと思う。

 グローバル経済時代の到来により、日本国内でのカネまわり=内需ループが十分な流量を割り込んで久しいのに、この前時代式の内需ループを前提とした財政に固執するところに日本国の問題があると述べた【337】
 昨年の正月には、カネの価値があまりにノーコントロールで大変動するため国家経済の設計が難しくなっており、必要最小限を分離してでも鎖国式の経済領域を新設するコンセプトが必要だとも、私は述べている【418】
 トランプ氏が謳う関税強化や移民阻止の基本コンセプト、理に適ったものと見受けるが。

 ただ、安価な生産力を求めて国外に伸びた経済回路を断ち切る訳だから、いったん国内労働力市場は厳しい競争から解放され気も楽になるのだろうが、次に待っているのは高価かつ低品質の国内製品への不満爆発である。
 恐らくトランプ氏も解っていないはずがなく、それでも閉塞し切った北米社会の過半数がナウ当面、明日の希望的展開を思い描けるのは、『アメリカ・ファースト』に分があると見たということだろう。
 北米の工業生産力や品質管理力の実態を知る一人としては、実はトランプ氏の想像を超えて分が悪い勝負だと思うのだけれど、まあ憶測同士をここで戦わせることに意味は無いか。

 私が小学生だった昭和40年代には『舶来品』というコトバがあり、無論これは海外の製品という意味だが、一般的には『欧米製で造りが日本製より優れている贅沢品』という認識で使われていたものである。玩具やゲームなんて無い時代、せいぜい置時計や万年筆あたりで『MADE IN U.S.A.』の刻印が入っているモノを有難がったものだ。

 これが高校生ぐらいになってふと気づくと、北米産は『ガタイは頑丈だが無駄に大造りで粗雑、劣化や故障も早い』というイメージに変わっていたように思う。もう舶来品の神通力など忘却の彼方に消え失せており、まず安価、そして丈夫で長持ち、更には修理しやすくアフターケアも万全な日本国産品に圧倒的な信頼を寄せていた。故に手軽に普及し過ぎて、一部の欧州製にシャレオツ感では負けてた…のかな。
 御存知の通り、程なく韓国製や中国製さらに東南アジア製なども台頭してくるワケだが、このあたりで生産現地の労働力が極端に安価になり、『修理するより新品を買う方が安い』という製造業界の文化フェーズ移行まで加わってきた。

 こんな変遷を遂げてきた日本市場に一歩先んじて、この日本に生産力を追い上げられ苦しんでいたのが北米だから、労働力市場閉塞の泥沼の深さは日本より1ステップ重篤な段階にあると考えて良かろう。
 社会の変革ニーズが我々の想像を超えて強烈だったのでトランプ政権となったはずだが、いずれ避けられない『何でこの高いコストで、こんなガラクタしかできねーんだよ』の強烈な反動が恐ろしい。だが生産・消費の現場のどこでどう表出するか、これは注意深く観察しきっちりと研究しておきたい。
 領域限定にせよ、日本社会だって同じ目を見る行き合わせにはなっているからだ。
 トランプ氏を他人事かつ受動的に捉え過ぎ、しかも怖気づいての意図的でそれをやり過ぎていると思う。

 さて、国家経済の成長期がピークを迎えて衰退する過程を見てきた我々世代だが、これは経済成長に伴う、不可避の必然的な展開として受け入れるべきものだろうか?

 『成長戦略』という痴語が繰り返されるようになったのはいつからだろう?
 まず既存既知の社会システムありきで、日本国の将来像をその延長線上に閉じ込め、『成長し続けるしかない』という結論を得て、何をやっても行き詰まるばかりというアレである。

 まず望むと望まざると人口が減るのに成長しようとする無い物ねだりの根源的な矛盾も問題だが、何より『高度経済成長期に夢中になっていた成長の楽しさに、日本社会が飽きた』という認識が持てていない。薄らぼやんとしていると上記の必然的展開をただ受け入れて社会が活力を失うに終わるが、飽きた自分を自覚して、退屈に反発し『自ら動く意識』を探しにかかることができればこの限りではない。

 飽きちゃってるんなら、あの手この手で面白くしてやらないといけないのだ。飽きて動けなくなった自分がどう翻弄されるかに怯えている場合ではないのである。
 悔し紛れの負け惜しみでも、先回り型・攻撃型のトランプ分析って無いもんかねえ。

【498】風任せサステナブル組織のペースメーカーたち [ビジネス]

 例によって結論から行こう。
 人間をガサっと底からさらえて、『動くヤツ』と『動かないヤツ』に分けるとする。
 『動かないヤツ』は物事に飽きる。そういうことだと思っている。

 記憶消去装置が発明されない限り、人間の記憶は自分では消せない。どんなインパクトのある出来事も、いずれ既知の情報として記憶に蓄積されていく。
 『わあ凄い、面白い!』が『いつも楽しい』に変わり、『うんうん楽しいのは知ってる』を過ぎて『もう自分はいいかな』で終了…標準プロセスとしてはこんなもんだと思う。対象を『自分に向かって楽しく働きかけてくれるモノ』と位置付け、漫然となりゆきに身を任せているとこうなる。
 興味や好奇心というのは、今まだ足りないのを埋めていく過程と、さっき埋めた成果を反芻するところに満足感が発生するためだ。放っておくといずれ十分以上に埋まり切って、心が落ち着いてしまう。期間限定、一過性のものなのだ。

 『セパレイト・ウェイズ』の事例では、人気が至高のピークに到達したところで、それを『ここまでやってきた努力の結晶』みたいな積算型の財産じみた扱いもしなかったし、『全米トップクラスの地位に登り詰めた』みたいな登山型ゴール到達の安泰イメージも遮断できていた。
 好調や幸運は偶然が介入して手に入るものだから、裏返せばどんなに正しく立派に頑張っていても、いずれ不可抗力で落日は訪れる。『何事も山あり谷あり』というと大抵が軽々しく同意するくせに、嬉しい時間ばかりが自動的に想い出の基準値に収まり、だから通常稼働で出遭うちょっとした面倒が気に障って、それを不満につなげてしまう。中には頂点の幸せに執着して正気に戻れなくなるのもいる。
 『破綻せず日常そこそこ普通にやれている』という幸福の楽しさを忘れがちになるのだ。

 頂点からは下り坂しかあり得ない。とすると、意図的を感じさせる幕引きを演じて金字塔が風化する前に成果達成のイメージを御破算にし、好調期の蓄財を活用しながら再び通常稼働で先を模索した方が、むしろ次の成功を狙うには有利である。
 いっとき舞い上がっても、結局それで身を滅ぼしてしまっては元も子も無いではないか。

 ま、そうは言っても大勢いる会社組織なんかだと、好調期に『業績上がったんだから待遇上げろや』と組合が騒ぐし、実際そこそこ応えないと士気やモラルに悪い影響も出て来そうで、結局のところ程度はともかく事態の風化を喰らってしまうのが通例であろう。
 これは嫌がってもしょうがない。『組織なんてそんなもん、定めじゃ♪』と割切って、解ってるヤツらが被害の最小化と、その先の継続的展開を探る姿勢が正しい。
 『呑気に盛り上がりを喰い潰して鎮火してしまった組織を、致命傷の手前で蘇らせる』
 組織運営の中枢部位に、この業態モデルが常時ストック&スタンバイできているかどうかが、よくいうサステナビリティ=継続性の成立要件なのだ。
 全員が一斉に鎮火した時点で組織は寿命を迎えにかかる。だから。

 どんな時にも浮かれも沈みもしない側から、飽きず懲りず明るい発展性を見込んだエンタメ混乱事件を企んで遊び続けるヤツが必要なのだ。これこそが冒頭に述べた『動くヤツ』の定義である。
 典型的なありがち失敗事例を挙げておくと、支配的立場にあると思い込んだ自称リーダーが『ものども奮い立てい、だらしないぞ』と吠えるパターン。活力を失くした人間に『活力を出せ』と命じてどうにかなると思う精神構造には、自分が口を動かせば現実が言う通りに追従するというバカ殿式勘違いが背景にあり、つまりはママゴト人生を歩むと閉塞の底なし沼から這い上がる実力が身に付かないのだと理解しておこう。

 どうせ大衆が興味を示して響いてくれるかどうかなんて、確率問題に過ぎない。10発タマ撃ってボウズの全滅、100発タマ撃ってようやく一発命中したと思ったら僅か1ヵ月で突然死。
 ならば101発目を撃てば良い。それでダメなら102発目、他に打開策などありはしない。
 その目的意識を説明するのは難しいが、強いて言うなら『面白いから』だろう。対象を『自分に向かって楽しく働きかけてくれるモノ』とせず、『自分からちょっかいを出して、未知の展開を起動させ面白がる』というスタンスで長く長く付き合う道を選ぶ。
 薄らぼんやり波の途絶えた水面を眺める退屈に立ち尽くす時間がもったいない、だから適宜に釣り場を移し餌を取り換えもしながら、引きの無い浮きを眺めてじっと待つ時間を楽しみ続ける。

 理屈としてこの方法論は成り立つのだが、本当に実行に移せるかどうかには条件がある。
 こうして『自ら動く元気』を組織内の有効数が持ち合せていなければならないのだ。まず動いてコトを起こしたがる素質と、その元気を出せるだけの精神的および体力的両面の余裕、このふたつが十分な数量規模で揃って、初めて組織としてこれが叶う。

 正月早々この場から『失われたウン十年』みたいなシケた空気の淀みに向けて、特に若い人たちに照準を合わせ、元気を注入できるネタはないものか。う~ん…
 その答が昭和時代の懐かしライブだったという種明かしで新年企画をまとめるとしよう。

 ここも通算500回が目前となった。私はあんまり物事に飽きないタイプなのかも知れない。

【497】エンドレス熱狂ライブの企画立案 [ビジネス]

 音楽の話題をやり始めると終わらないので実はずっと意識して避けており、いつかどこかで専用枠の括りで行く構想があるのだが、ついでなのでもう少しだけ。

 今度はチャンスの大国アメリカで、大成功を狙ってその通り成功させた事例について。
 題材は『ジャーニー グレイテストヒッツDVD 1978-1997』、これもお財布に優しいです。

 私が高校生だった1980年代、ジャーニーは全米ヒットチャート首位で毎週の連続記録を更新し続けていた。この時代、主たる販売メディアといえば多分LPレコード盤とカセットテープぐらいしかなく、余談だが、この時点でカラオケなる社会文化はまだこの世に生まれていない。
 LP新譜が発売されるとそのタイトルを掲げた全米ツアーやワールドツアーが組まれ、各地でライブコンサートが開催される。またLPのセールスやコンサートの興行が順調だと、LP収録曲から目ぼしい曲が順次シングルカットされ追加発売されていった。
 当時はLP『エスケイプ』が大ヒットしており、全10曲中の最後となるB面5曲目の『オープン・アームズ』がヒットチャートを席巻していたのである。

 くだんのDVDだが、この『エスケイプ』ツアーにおける1981年ヒューストンのライブ映像が相当数含まれており、さすが大国アメリカの音楽ビジネス成功例だけあって、その完成度の高さを存分に確認できる。『人種のるつぼ』北米の巨大市場で大ヒットを目指すアメリカン・ロックは、反社会的にとんがった攻撃性の様式美を追いかける英式に比べれば、遥かにシンプルに整理され、パワフルにしても随分と大らかで健康的だ。
 まあそんな成り立ちにつき、こちらはサブカル的ツッコミ無用というか、全員ちゃんと正常にカッコ良い。ステージ上にいるのは5人の楽器奏者だけで、レーザーもスモークも、凝った演出機材なんかひとつも使わず聴衆を熱狂させているところに注目である。
 『金属的』と表現され賛否両論で評されたリードボーカル、スティーブ・ペリーが場の空気の主導権を握っており、所せましと走り回って聴衆を盛り上げる。これに呼応してニール・ショーンのギターが華やかに鳴りまくり、『ドント・ストップ・ビリービン』『お気に召すまま』『クライング・ナウ』『ストーン・イン・ラブ』なんか本当に良いステージになっていると思う。
 今の時代『アーティストのライブコンサート』とは、どの視点で見て誰が何をすると定義された催しなのだろう?この圧巻を見て再考する時代なのではないか。

 折り入った話がしたかったのは実はここからで、このDVDには『セパレイト・ウェイズ』という曲のTV用プロモーション・ビデオが収録されている。『エスケイプ』の空前の大ヒットの後、同じ路線を踏襲してLP『フロンティアーズ』が発売されたのだが、そのA面1曲目つまり看板曲だ。だが…!

 『セパレイト・ウェイズ』PVの酷さはファンならずとも結構な語り草であり、波止場でガラクタを楽器代わりにしてアテブリするだけという呆れるほど安普請の造りとなっている。当時はまだ『エスケイプ』ツアーの勢いも続いており、では一体何故こんなことになったのか?

 『エスケイプ』人気が既に頂点に達しており、程なく下向きに転ずると判断した賢いヤツがいて、この企画への投資をあっさり停止したのではないかと私は考えている。丁度この頃、5人メンバーのうち2人が独自路線のソロ・アルバムを発売していることからも、それが窺えるように思う。
 私にとってこの一連の出来事は、ひとつの象徴的イメージを伴う大成功や絶好調に遭遇した時、その先の将来展開を見越して準備にかかることの大切さの教訓となった。ここで周囲の困惑を気にして『浮かれた』調子を合わせ込みに行ってしまうと、おのれの現実を事態の風化に付き合せてしまう破目になるのだ。
 ちょっと前まで至福の空気の余韻を求めていた大衆は、ある日いともあっさりその興味を忘れ去り、今度はこちらがいくら笛を吹いても二度と踊り出すことは無い。

 久し振りに組織と人間がフラクタル関係にあるという話をしよう。人間=あなたの話だ。
 マイブームという言葉があるではないですか。ブームって熱が冷めて終わるでしょ。
 そう、人間は飽きる。そこに理由は無い。さらに考えて欲しい。
 『自分はこれが好きだったはずだ、熱が冷めるなんておかしい、そんなことあり得ない』と、飽きる前を取り戻そうと必死になったことはあるだろうか?

 いつからか、社会組織という生物も飽きるのではないかと思うようになった。
 【171】『クルマ産業失速の真相』で、私は業界側の姿勢に宿る問題を指摘しており、確かにその要素は小さくないとも思う。だが社会は社会で、かつての『楽しいクルマ』に飽きてしまったのではないか?
 【453】では、感情の暴走がある日ぽっくりと息絶えると述べた。子供同士のコミュニティで『流行りの遊び』『一番の仲良し』が一定期間毎に移り変わっていく現象、大人では文化サークルや定例集会が心ならず過疎る現象の例も挙げた。これらも組織が飽きたが故のことなのではないのか?

 『セパレイト・ウェイズ』の件は、文句なしのデカい成果を一発当てられたんだし業界そんなもん…と、それを宿命と受け止め抗わない戦略を採った事例だろう。流行の先を読んで動いたというやつだ。
 …ふむ。組織を飽きさせない、つまり継続した生産性を保ち積極的運営の風土を整備するヒントって、このへんに見当たらんかな。
 はて、自分が飽きず懲りず続いているコトって何だっけな…?

 一緒に、楽しいコトを楽しく続けるために、好きなモノを好きなまま頑張るために。
 そういう思考ネタに到達したところで備忘のため慌てて書き落とし、今回はこれにて。

【496】反抗型爆音組織のエントリーシート [ビジネス]

 明けましておめでとうございます。
 新年早々重い話や暗い話はやめといて、実に久し振りにエンタメ系の話題から。
 つい見つけて懐かしさのあまり手を出してしまったDVD、『マイケル・シェンカー・グループ ロック・パラスト1981』を紹介する。
 家庭用ビデオなんか無い時代のことであり、私はこの映像と音声を知らず当時を過ごした。

 この手の音楽は『ブリティッシュ・ハードロック』と呼ばれ、後にファッションを極端に派手にしながら進化していく『ヘビーメタル』の祖先…のはずである。染めない長髪、ジーンズにTシャツ革ジャンが定番ファッションであった。手間もカネもかからんしかける気も無いし、当時の洋楽かぶれが便利した基本流儀である。
 ちょっと解説しておくと、標準的なロックバンドというのは原則5パートあり、ど真ん中が歌手=リードボーカル、次にダントツ主役のソロ楽器としてリードギター、これをコードでサポートするのがキーボード、更にコードの要所を図太い低音でなぞりリズムの背骨を入れるベースと、ビートを多層構成で打ち出すドラムス、以上で構成されている。

 このマイケル・シェンカー氏、ギターの神様だけあって指が動くこと動くこと、いやはやお見事の一言に尽きる。最近は誤用も随分と減った『カリスマ』【55】という言葉、本来はギター小僧たちにとっての彼のような存在を指して使うものだ。1曲目『アームド・アンド・レディ』のイントロなんか、エレキギターを持っている奴はそれこそ全員が弾いていた。楽器店でもしょっちゅう試し弾きするのが聞こえていたものである。
 いっぽう壁一面に積み上げられたマーシャルのアンプ群の中央で、荒削り感をドラマチックに昇華しながらストレートに突走るコージー・パウエルのドラムが死ぬ程カッコよい。

 だがこのライブステージの見所は他にある。

 まずロックステージの顔となるリード・ボーカルの、ゲイリー・バーデンだ。
 とにかく嬉しそうで楽しそうで、観ているこっちまで意味も無く元気にしてくれるショーマンの鏡なのだが、顔つきもアクションも何しろ嘘くさい。
 実はこのヒト可哀相なくらいヘタクソで有名なのだが、まあシャウトの部分にちょっと注意すれば誰でもすぐ判る通り、言われてしょうがないと言えばしょうがないというのもある。だが微塵も怖気づいておらず、得意満面の絶好調で終始ステージを引張り続けるのである。
 そう、どうせやるんなら、オドオドやビクビクは気前よくかなぐり捨てた方が運気と勝率は上がるのだ。
 コイツが正統派一流の二枚目だったら、こんなにいいライブにはなっていない。

 ウワサ通りを受け売りするなら、ドイツ人のマイケル君は英語がうまくなく、社交コミュニケーションに躓いた酒浸りの引きこもり…いや孤独の影をひきずるニヒルなギタリストであった。よってステージ上手側のちょい奥で、かなり手元目線がちで孤高にフライングVを弾きまくるスタイルが目立つ。
 バンドの金看板が雲行きのおかしな間違え方でヨレているぶん、超天然B級リードボーカルと最高の相性が実現しているのだ。これは組織研究の観点から、真面目にタイヘン興味深い。

 そしてもうひとり、面白すぎるのがキーボードのポール・レイモンド。
 バンドの脇役にあたるサイドギターもこなし、そのまま適宜キーボードの所へ行ってそっちもこなしちゃうという、バンド的には物凄く便利で有難い器用な男なのだが、これまたゲイリー君と並んで明らかに目立ち過ぎである。
 左利きらしいのだが、右利き用のギターを逆さに持ってノリノリでコードを掻き鳴らしており、これが宴会芸的にFUN満載の雰囲気を演出。二枚目仕立ての自画像に拘るナルシストだったら許せないルックスだろうから、コイツ本当にライブステージが好きで、みんなで騒ぐためにこの役回りに収まるのが好きなんだと思う。
 調べたところ何と弦を逆順に張り替えたりせず右利き用そのまんまでやっているらしい。
 っえええー!と調べて初めて知ったのだが、右利きギターをそのまんま逆さに持つ左利きギタリストは珍しくないようだ。ネックの上から折った左手の親指で触れて5弦や6弦をミュートするのはどう再現するのだろう?これは調査せねば。

 一人だけ言及しないのも不公平なので、クリス・グレン氏が7曲目のインスト・ナンバー『イントゥ・ジ・アリーナ』において、ドライブ感満点のベース・ソロをばっちり決めている話でもしておこうか。どう考えても何か正統派の構想があって人選し、それが叶った結果とは思えない、闇鍋のようなデコボコ5人組の中で、フツーに仕事ができる真人間が一人だけ混じってて、きっちりやっていると。
 これもまた、このステージが成功している要因のひとつであることは間違いない。

 この協業の成果を眺める時、全員が優秀である必要も無ければ、何かの企てが思惑通りの完璧に実現している必要も無いことに気付かされる。

 たぶん断片的にネットで動画も出回ってるんだろうが、この年代のものにしては音質も良いし、見所の多い資料だと思うので購入をお薦めする。お値段もリーズナブルだ。
 いや、年末年始に某ロックバンドの不倫騒動の話が蒸し返されておりまして、アレが今の日本の売れ筋かよ…なんて、昭和のオッサンは改めてげんなり肩を落としたワケです。

 さあ今年も面白い年になりますようにー!!
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