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【486】歪みの変化点 [ビジネス]

 今年も靖國神社に出向き、崇敬奉賛会の会費を納入してきたのだが、いや寒いって。
 足早に境内を見て回っていたら、桜開花の標準木をぐるりと囲む柵が新設されていた。簡単に跨げる高さだと言えばそれまでだが、なかなか頑丈な造りであり、幹に手を触れさせない意図が容易に見て取れる。
 昨今はどうにも気のふれた器物損壊行為が後を絶たないからなあ。まあこうなるのか。

 当然、遊就館も巡回視察である。
 あちこち傷みが目立っていた艦上爆撃機『彗星』の改修作業が終わり、ぴかぴかになったのが嬉しい。日本海軍機によく見られる背面ダークグリーン、腹面ライトグレーのツートンだが、以前より全体的にかなり明るい色調に塗装し直された。
 日の丸は、大戦初期の優勢時には明るい赤色、後に戦況の悪化と共に顔料の純度も落ちたのか、重く暗い赤色になっていったという。暗め色調も、ただ見るぶんには戦場感があってカッコ良いのだけれど、やはり実機に塗装して眺めるぶんには明るい日の丸の方が断然に力強く美しい。

 ところで残念な発見がひとつ。戦艦『大和』の主砲声が聞ける試聴機が廃止された。
 乱暴に扱われることも時にあったろうし、今どきヘッドフォンが何かの感染症の媒体になってしまうリスクも考えねばならないのだろうが、やはり惜しい。私が知る限り呉市海事歴史科学館、通称『大和ミュージアム』でさえ、この音源は公開していないはずだから、だとすると日本でいま聞ける所は無いということか。
 おごそかに鳴り響く海軍ラッパがイントロ、そのままこれをBGMとしつつ、文字通り耳をつんざく13発の砲声が次々と続くもので、何度聞いても全身を電流が突き抜けるような気分になる。
 訪れるたび必ず気付けに聞いていたのだが。これは是非ともの再展示を熱望する。

 そんなこんなで九段下から入ってきた靖國神社を後にして、飯田橋まで歩いてきて驚いた。
 JR飯田橋の駅がなくなっている!いや、正確には一時的に隣接した場所に移設されたのだが、何しろひと駅丸ごと移動させて作り直す大規模なものだ。
 再開発の話は前から聞いていたしどうするのか普通に興味もあった。しかしそれにしても、日本経済の活力の肌感覚に対して、どうにも現実感の湧かない光景であった。

 何でこんなことするんだろう?ここにこんなことして、何が良くなるんだろう?

 神楽坂から飯田橋近辺については来訪頻度が高く、ここでも何度か取り上げているが、いざ現実に現地に立った瞬間の、今回の素直な気持ちがこれである。

 今日はもう遅いので議論は次回以降にまわすことにしよう。とにかく『あれえ?』というデタラメな空気が凄くて、実に呆然と立ち尽くしてしまったのだ。
 開発試作品において機能完成度が見た感じに反映されるハナシ【77】と同じく、工事も『成功の工事』と『災厄の工事』は見て判る。むしろ部品ひとつでなく建設事業の光景ゆえ周囲の空気が大きく変わって、より強烈に直感に訴えかけてくるような気がする。

 豊洲、五輪競技場、都立広尾病院、こんなのまだまだ氷山の一角…小池都政改革の課題は膨大ってことか。ま、だからって負ける必要なんかないワケで。
 年明けになっちゃうんだろうけど、また見に行ってみよう。

【485】勝ち組教育要綱 [ビジネス]

 う~ん、ついフロー状態に言及したのだが、思いの外いろいろ書き連ねてしまうなあ。
 アレは信じられないくらい楽しいからなあ。

 仕事もバンバンやるけど、相当なペースでよく飲むし、あちこち仲間と遊びにも行く。
 これがまた、職場の雑談から週末シーズンオフの温泉街へ一泊飲み明かしにくり出す話になり、その通りに出かけて飲んで食って、日曜昼下がりに会社に戻ってきて夕方まで軽~くデータ取ってくかぁ、とか。どこまで仕事で、どこから余暇なんだか。
 製造業は稼働を細切れにすると効率が落ちるので、週ナカの旗日は全て出勤として、年末年始・ゴールデンウィーク・盆を長期集中休暇にしたりもするのだが、その休暇明け前夜など『あーいっぱい遊んで楽しかった!さあ明日からどんな攻め方で仕事をしてやろうか』と文字通りの現実として腕が鳴る。
 仕事をしていて『自分はコレをやるために生まれてきたんだ』という天職感に包まれ、いわゆる苦労やリスク覚悟が無くなったり減ったりする訳ではないのだが、『いやいや行ける、やれる、やってやる』の予感の方が凄くて、妙な表現だが尻尾が巻きたくても巻けなくなる。
 これに想像を超える仲間の協力やびっくりどっきりの幸運まで加わって、想定外の成果が得られるのだからたまらない。たぶん幸運に恵まれてリアルタイムで満足すると共に、未来が理屈抜きに楽しく面白く待ち遠しいモノになるからだと思うのだが、乱暴に言えば『いま普通に生活できてるなら、あとはどうでもいいじゃん』的な労働観になる。
 どうせ仕事が楽しくてあんまりカネ使う暇ないし、そこそこで良し。まあ高いカネくれれば、なお良しってとこだろうか。仕事も他も面白過ぎて、モメてる暇なんかないのである。

 ここで自分の人間性にまつわる負の記憶が何を意味するのか考えてみよう【70】
 記憶消去装置が発明されない限り、一度『自分は劣悪な人間だ』という事実の記憶を刻んでしまったら、それは残り一生あらゆる自分の心情にのしかかる。
 つまり両手拡げて、存分に好調や幸運を満喫できないのだ。好調や幸運に身を預け絶好調を謳歌してこそフロー状態が成立するのだが、もう最初からその素質を原理レベルで失ってしまっているのである。
 こういうのを本当の『人生負け組』というのではないだろうか。

 だからなのだが、子供が悪さをしたら、それをきちんと償ってキャンセルした記憶で完結できるよう、何としても大人が真剣に手を下してやらねばならない。時には苦痛の感覚に訴えてでも、時には強制使役の鞭を振るってでも。
 体罰ハンタイ、子供の人権、こんなナメた寝言を教育の場に持ち込んで大人たちが遊び始めて以降、子供たちは急速に生産力を失った。知識貧弱、思考力脆弱、精神力薄弱、よって体力も鍛えられず虚弱。
 悪いのはフロー素質に考えが及ばない無知で未熟な大人であり、子供は被害者なのだ。

 こうして負け組率が上がってしまった日本社会だから総じて生産力が伸びないのも当然であり、裏返せばここに手が打てない限り日本経済の好転はあり得ない。
 負け組率を下げたいなら、正々堂々と幸運を受取って大喜びできる優良な人間の比率をいかに上げるかが鍵となるはずだ。日銀がカネ刷ってばら撒いても、最低賃金額を上げても、労働時間上限値を抑えても、効きゃしないよ。
 財務破綻を確信しながら、バカ高の国家事業設備費を計上しようとしたり、軽減税率などという超ボロ利権の悪政を企んだり、こういうのは逆方向にギンギン効きまくってるよ。
 いくつ歳を喰ってようが、このへんを経験不足で理解できないのをガキという。

 くだんの原発いじめ、一体どんな処置を加害者に施せば、彼等の心の中で『悪い事をして叱られ、償って完済した』ことにしてやれるのだろう?
 中学生なら、間違いなくまだ直る。直してやりたい。直せ。
 腹の底から笑い、仲間と大騒ぎで生産し、大事な人に信頼してもらい、幸せになる資格を取り戻せる。

 彼等より先に、教育現場を人権ディベートや炎上ごっこのネタにした馬鹿な大人どもを張り倒すべきなんだろうが。

【484】デイドリーマー資格試験 [ビジネス]

 『原発いじめ』か。酷いなあってのはその通りだが、子供なら早々に思いつくことだろう。

 まず被害者の彼がつらい時間を耐え抜いて、今もしっかりやっているのは立派である。同じ境遇の大人まで勇気づけているから凄い。
 被害者の彼の訴えがそのまま真実なら、セン公は『子供の悪さを正す職務』を負いながら全く役に立っていない訳だが、では誰が加害者の子供を叱ってやれるのだろうか。
 被害者の苦悩もさることながら、加害者たちに課せられた宿命の厳しさは計り知れない。仲間を遊び半分に痛めつけ、年齢不相応の額のカネを巻き上げて遊んで使い捨て、叱っても直しても貰えないままその後を生きて中学生になってしまったのだ。いずれ高校生、その先にまでなってしまう。
 小学生から現在まで筋金入りの人間のクズ、このままでは人生オシマイが確定である。

 セン公も親どもも、なぜ真先に2、3発も張り倒して謝らせなかった?
 なぜ加害者の連中だけ放課後に集めて毎日学校中を徹底的に掃除させ、1週間に1万円ずつ渡して全額を被害者に返させてやらなかった?

 あ、出資元は当然、加害者の親である。当然だ、よろしく。

 複数いる子供の中でも最強の個体となって生存し遺伝子を残すため、社会性が未発達な子供には『いじめ』の原動力が備わっているという。だから叱って社会性を習得させねばならないのだ。
 当然それを実行するには、彼等が『正しい大人』として認めるだけの資格が要る。

 御覧の通り小学生にもなれば、原発事故の賠償金の仕組みはしっかり理解している。
 ということは、豊洲や五輪の汚職も全てお見通しなのだ。いつも自分のカネとトクのことしか頭にない、こんな大人どもに怒鳴られようが殴られようが、言うこと聞いて直せる訳が無いだろう。
 報じられる汚職や悪政が、それを強行しようとする当事者だけに反映されて子供たちに意識されると思っているなら大間違いだ。この憂鬱な社会を作り込んだのは一人の大人の所業ではない。大人全員が信用を失っていて、むしろ敵視さえされているとして過言ではない。
 例えば、豊洲移転や五輪計画にあたって『子供たちの目で見て』コイツはクロだと判定されるヤツを片っ端からひっ捕らえ、目前でアタマかち割って心臓に十字架を打ち込み、側溝に投げ込んだその大人に引っ叩いてもらわない限り、子供たちはまっすぐになれない。

 ちょっと話を前回の続きに振るが、『解ってるヤツ』と『解ってないヤツ』の違いをひとつ思いついた。フロー状態を知っているか、知らないかである。

 フロー状態を体験した人間は、仲間がいてくれること、同じ方向性の作動を志してくれることの大切さを心得ている。お互いで予想だにしない進化を次々と提供し合いながら、みんなで幸運を呼び込んで現実を面白く変えていく、エキサイティングな熱狂の時間を体で覚えているからだ。
 その胸躍る楽しさを信じる心がある限り、報酬を始めとする労働環境には肯定的な心情が働き、その一方で跳ね上がる生産力が、結果として組織の高効率作動を生み出す。安月給の長時間労働を厭わぬ催眠状態が良いとは言わないが、最低賃金保証だの残業上限設定だの、いかに現代社会人の多数が重篤な反フロー状態に閉じ込められているかの証明としか思えない。

 『働き方改革』や『一億総活躍』など現政権の政策タイトルには救いようの無い、卑しく貧しいセンスがあからさまである。
 『改革』とは何をどう改めるのか、『活躍』とは誰が何をする状態をいうのか。
 昔も今も汚い年寄りに褒めてもらっていくつ飴玉もらえるかが目標値、まともに頑張って働いて満足した経験もない甘ったれガキの思い付きなんか、せいぜいこの程度ということだろう。

 フロー状態を知る人間は原則、自分の会社がどこだとか、役職が何だとか、何人使ったとか、年収幾らだとかに一切興味がなくなる。一度その記憶を自分の世界観にストックできたなら、人生これフロー模索のゴキゲン開拓トライアルとも呼べる生き方となり、その試みがしばしば更なる大小のフロー状態を呼び起こす。
 逆にフロー状態を知らないから、仕事とはイヤな負担の印象からまず始まり、できることなら仕事はしたくない、ズルやってカネだけつかんで何人相手に威張るのか、嫉妬まみれの勝ち負けばかりにこだわるのだ。ママゴト力関係で首尾よく好位置を得たヤツほど真摯な努力から遠ざかるから、ますますフロー知らずの未熟者となり、それが横暴な権力を振り回して虚しい満足感を追い求める。
 ダメオヤジ裸劇『ハダカの王様』はこんな理屈で組み上がるんだろうな。

 ここまで解ったなら今から遅れ馳せでも結構だ、セン公と親たちは『原発いじめ』加害者の子供たちを責任もって引っ叩き、被害者に謝罪させ、償いの労働をさせてやれ。
 『あの時やり損ねた、そこは謝る。だがいま必要な事だ』と断れば子供たちは理解する。

 やってしまった記憶の傷跡と、時間遅れで支払った反省を、貴重な経験として自らの人生年表に刻み込んで、いつかフロー組織を率先し、フロー社会を目指す愉しみを味わえるように。

【483】超常式やまびこ発声TPO [ビジネス]

 せっかく滅多に触れない領域の『形態共鳴』について触れてみたので、もう少しだけ。
 こういうのは、社会への接点に応じて時と場所をわきまえ、役に立つ知識として楽しむよう心得ておきたいものである。

 例えば大きな航空機事故が1件起こると、何となく類似のケースが何件か続くように感じる話なんか、よく例に挙げられる。
 最近で言えば、高速道路の逆走事故が該当するかも知れない。道路の構成や標識の形状、自動車の構造など、逆走現象の発現因子と思われる諸事物に変化点があるとは思えない。運転者の高齢化が進んだのは間違いないが、それにしても報告件数がいきなり増え過ぎの感がある。
 とは言え我々が何をすべきかと考えてみれば結局は、特に高齢者の認知特性・運動特性の傾向に留意しつつ、昔も今も変わらぬ『現有科学の目で常識的な』思考ロジックに則って対策を急ぐことだろう。
 公の場で『これは形態共鳴が原因となっている可能性があり、ならば逆走しない共鳴を意図的に起こす研究を…』などと言い始めたら、ただの迷惑なオカルト野郎だ。

 いつだったかオンライン経済新聞を読んでいたら、かつてソニーが販売していたAIペット犬ロボットの開発者さんなのだが、インタビューでとても興味深い話をしている記事があった。
 【121】で私も書いているが、組織の取り組みが非常にうまく行っており、本人たちの期待を上回り続けるような作動と成果が得られている状態、これを『フロー状態』と呼ぶのだそうだ。米の心理学者ミハイ・チクセントミハイがその概念を提唱したという。

 ふうん、やっぱり『解ってるヤツ』はみんな、特別なコトとして意識してるんだな。
 で、ゼッタイ目標値にして、その実現プロセスを方法論化しようとするワケですね。

 この開発者さん、チクセントミハイ氏御本人と話をしており、そこで『フロー状態に突入すると、何故だか解らないが運が良くなる』とする実体験談を捻じ込んでいる。
 チクセントミハイ氏は気を遣いながらも、『自分は学者なので、合理的な発言しかできない』と頑張ったそうな。確かに学者さんとしては正しい対応である。
 この後、『運が良くなる』を学者さんの口に言わせたいvs学者なので言えません…の押し問答が続いたそうで、大笑いしながら読んだものだ。

 ここで私の見解を挟もう。
 おっしゃる通り、私も本当に『運が良くなる』というのが実感だ。
 何故だかは、これまたおっしゃる通り解らないが、半世紀にわたる私の人生の記憶を振り返って保証する。
 うまく活き活きとやれている人間に、望ましい事象が共鳴して来て噛み合うかのように。
 いいお仕事しておられたんだろうな。思わず口元が緩む。

 くだんの記事の更にその先がまた面白く、粘り続けていたらチクセントミハイ氏が『共時性』について語り始めたというのだ。難解ワードだが、ありていに言えば『運命が巡り合せる』『お互いの過ごす時間が交差する』みたいなものでしょうか。
 そういうものがフロー状態を呼び起こす因子として効いているのだと。この時、チクセントミハイ氏にとって『共時性』は学者OKのギリギリ合理的概念だったのかなあ。どうなんだろう?
 ちょっと【70】のアインシュタインさんの言葉にも共通するところがありそうな感じだが…

 ともかく、それを含めてフロー状態を実現する方策としては、『能力開発をきちんとやって、明朗快活な稼働を心掛けること』と実に王道式に結論付けられていた…とか、そんなオチだったと思う。
 何だか理屈が立ってるんだか立ってないんだかよく判らない話で申し訳ないが、組織の中で生産性向上に四苦八苦した技術者として、この二人の発言は確かに理解できるのだ。

 ま、頑張って良いコトして、ゴキゲンに暮らすのが運を呼び込む法則ってとこですか。
 『形態共鳴』みたいなハナシはこういう使い方を心掛けるのがよろしいかと。

【482】番待ち『叫び』のコール時刻 [ビジネス]

 うわー、やっぱりトランプ勝利か。いや予想していた訳じゃございません。
 正直のところ北米社会の政治の肌感覚なんぞ、私にはさっぱりわからない。だが北米社会が完全に行き詰まっており、従来踏襲ではとにかくダメ停滞の空気は濃厚であった。うむう。
 英のEU離脱騒ぎのことを思い出し、ここは黙って結果を待つ方が賢いと考えたのである。

 あれだけの差なら、直前の暴言だ私用メールだごときの影響で結果が変動するような事はなかったろう。ただ何しろアンチが多過ぎる勝者であることに間違いはない。他ならぬ北米だし、ここ最近では命の危険に一番近い大統領になってしまったような気がする。
 宗教や人種に関して、相手を蔑むスタンスの発言やっちゃってるからなあ。怖いなあ。
 何というか、過激だとか見識が偏っているとかだけでは済まない、政治家未経験であっても人並の大人なら不都合を予測して避けるはず、そんなノーコン発言が多過ぎるんだろうな。発言内容そのものズバリの刺さり方よりも、人格の社会性を疑いたくなる頭ワル系のデタラメっぷりで反感を稼いでいるように思う。

 以前にも書いたが、私は心霊や超常現象の類が大嫌いなタチである【98】
 だが現存の科学技術が明らかにしているものだけが全てだとは思っていない。楽器が人になつく話を始め、不可解・不思議な現実の存在は認めており、それらをわざわざ科学的解釈に帰着させたり、強引に解明を試みようと思わないだけのことである。
 そういう私なりのビミョーな準オカルト領域に、割と興味深く響いているアイテムがひとつ。

 『形態共鳴』だ。

 有名な事例が『100匹目の猿』というやつで、猿の群れが暮らす島でエサの芋を与えたところ、たまたま1匹の猿が波打ち際で砂を洗い落とすことを憶えたのだが、これが教え合うまでもなく島じゅうの猿に拡散したという。つまり猿たちは自然に『共鳴』したというのだ。
 さらに非生物の事例として『グリセリンの結晶』というのがあり、こちらは研究者たちがグリセリンの結晶化に成功できず苦労していたところ、たまたまある研究室でグリセリンが結晶化したのだが、その途端に世界中のあちこちで結晶化が実現するようになったという。各地の研究室で、グリセリンは自然に『共鳴』したというのだ。

 これら『形態共鳴』の諸事例がどこまで真実なのかはよく知らないし、確かめてないし、確かめようとも思わない。大嫌いなオカルト野郎になっちまいそうな気が致しましてね。
 でも楽器が人になついたり、丁寧にお付き合いしている道具や機械が好調で長寿命だったり、なんとな~くだが『形態共鳴の一事例としてあり得る』とも感じられて嫌いじゃないのである。
 ちょっと前にSTAP細胞の話題をやっていてこれが脳裏をよぎったが、科学的証明が問題の焦点になっている場面でこれを持ち出すのはちょいと止めとこう、と思いとどまった。

 さて、そこでだ。
  『閉塞した旧態依然を、接近戦で変革勢力が打ち破る』
 この現象モデルが、まず英EU離脱で始まり、米大統領選が続いた。
 次に共鳴が起こるのは、どこの国だろう?そもそも共鳴なんか起こるのだろうか?

 これこれ、そんなオカルト論調で語ると正気を疑われるぞ、この高速大容量通信社会において人々が他国の不安定性を目の当たりにして、無意識に類似の行動パターンが転写されているのだよ。バカ言ってるヒマに、今後の混乱をどう乗り切るかちゃんと考えるのが先決だろう。
 そんな話なのかも知れない。

 いや、どこもあまりに似たり寄ったりの騒ぎ方ばかりなもんで少々ひねってみたまでである。
 いずれにせよ、この狭い日本社会だけ隔離して意識し、その中で都合よく生きる自分だけを目的にするような世界観など、まるで塩の結晶一粒のように、グローバル社会変動が飲み込んで溶かし去る時代なのだ。 
 今その現実が目に見える形で、国政の国境線を壊して雪崩れ込んで来たのではないか。

 欲深そうな変な外人ぞろぞろ呼び集めて、失敗しかしない役立たずの惨めな老人並べて
  『な?な?ここまでやっちゃったんだから、高いとか言わずやっちゃおうぜ』
 こんな相談やってる場合じゃないんじゃないのか。
 設備は全てありもんのポン付け調達で、観客動員数なんか既存品ありき。

 それで不成立なら五輪旗2本まとめてくくって外人部隊の土産にし、次の『共鳴』でどうよ?

【481】友情栽培のメンタル・レシピ [ビジネス]

 姉の七回忌が無事に終了、所謂かぞえ式に積算するので没後満6年である。
 今さらだが、時の経つのは早いものだ。

 高校生の頃、姉は狭い街ナカの我が家での暮らしがあまりに窮屈だったと見えて、夏休みになると郊外地にある母方の祖父母のところへ身を寄せたものだ。
 垣根に囲まれたそこそこ広い敷地に何十年か前まで和菓子屋の店舗にしていた離れがあり、そこが普段は物置になっていた。祖父母に頼み込んでそこを片付け、大好きな緑に囲まれた自分だけの部屋として使わせてもらっていたのである。
 早朝に起き出して全身を藪蚊の総攻撃に晒されながら、蝉たちの羽化を飽きずにずっと眺めていたという。本人からも聞いたその話、改めて叔父が語って久し振りに思い出した。

 姉は人付き合いが得意な方でなかった反面、動物はもちろんのこと虫や植物にも心通わせる能力を持っていたようだ。
 友達が大事な植木を虫に喰われて困るので姉に相談したところ、葉っぱの齧り跡から即座にアゲハ蝶の幼虫の仕業と断定。恐らくは枝ぶりと幼虫くんの食欲ロジックからプロファイリングし、あっという間に保護色をものともせず居所を突きとめてしまったという。もちろんその命を奪うようなことはせず、飼うなり何なりして平和に解決したと記憶している。
 その昔、勤務先の敷地で桜の木が一本どうしても邪魔になり伐採する計画が持ち上がった時には、ひたすら反対し抵抗し続け、ただ独りありとあらゆる手を尽して代案を組んで、結局伐採を中止させてしまったらしい。桜はその伝説を得て今も元気に残っており、もう誰も切ろうなどとは言わなくなっているということだ。
 ちょっと弱った鉢植えなんかでも、姉の手元に来るとたちまち活き活きと葉を拡げ花を咲かせたのだから不思議である。超自然めいた愛情を交わす風もなく、ただお気楽に水や肥料をやるだけで、まさに洩れなく植物たちは生い茂った。

 自慢じゃないが、私の手に落ちた植物は例外なく枯れる。絶対に助からない。
 水のやり過ぎは根腐れするとされるポトスでも、多分ひと月生き延びたヤツはいない。サボテンであろうが多肉植物であろうが、むしろ放置を基本にしてくれと言われるような連中も、半年に到底とどかぬまま全て滅んだ。
 姉にその話をしてみたら、『植物には付き合い方があるから、面倒を見過ぎるといけないの』との回答が返ってきた。いや、だからそれやって枯れるんだってば。

 おのれが纏うこの呪われた結界については十分自覚があるから、自ら植物を購入するなどという愚かなマネはしないのだが、それでも時々はいただいてしまったりするケースが避けられない。そして枯らすと可哀相なので柄にもなくしょっちゅう気にかけて観察していると、果たして、端っこから微かに茶色くなり始めるのであった。ま、まさか、また?

 いま冷静に考え直すと、『ああ、どうか今度だけは元気になりますように』と切に願う心の隅っこで、『ああ、お前もダメだったね…』という陰惨な諦めが、心ならずも混じっちゃってたかも知れないのは認める。だがそれは望まぬ経験の蓄積と共に刷り込まれてしまった哀れな条件反射の所業であり、それこそが原因なのだと指摘されたらもう処置なしである。

 そう、私はターミネーターだ。

 道具や機械はみんな仲良くしてくれて、長く付き合ってくれるんだがなあ。確かに、ただ大事がって磨くばかりでは故障するし、うまくやってくれている時は遠慮なく放置プレイで任すユルさも必要だ。
 他人から見れば、私もモノと自在に会話する不思議な能力を持ち合せているように映るのだろうか。それならそれで、大変に誇らしいハナシなのだが。

【480】続・超絶スピリチュアル技法画展 [ビジネス]

 そうそう、伊藤若冲でひとつ書き忘れていた。この話題でもう一回やろう。

 まさに異次元と呼びたくなる精緻な画力に圧倒されるのだが、しばしば木の枝の現実性が無視されているのが特徴的だ。
 いきなり植物にあるまじき直角エルボーで曲げが入っていたり、そうして急に方向転換した枝が、エッシャーの絵のように遠近法に矛盾して他と交わっていたりもする。さらには一本の木の枝が二股に分かれた先でまた合流し輪を作っているなど、デフォルメと呼ぶにも不可解すぎる処置がなされているのだ。そこに、あんまり理由らしきものは感じられない。
 まあ若冲解説には必ず触れてある初歩の初歩、馴染みの方には今さらのハナシであろう。

 何事も薄っぺらな流行り事ばかりが横行する昨今ゆえ、定番から落ちてマイナー扱いになってしまっているのかも知れないが、他方で建築の描写にも不思議な次元空間処置が見られるのを御存知だろうか。いま平積みされている若冲本群には見つけられなかった。
 何しろ30年ほど前なので作品タイトル始め詳細情報は御勘弁いただくが、縁側付近からずっと奥まった座敷の深部の対象物を描くために、部分的に柱が延長され欄間が不自然に高められていたと記憶している。建物を俯瞰して本当なら深く被っているはずの屋根が被っておらず、つまりは覗き込む角度がそこだけおかしいのだが、しかし立ち並ぶ柱とエッシャー式にしれっとつながっている。そんな感じだった。

 何故こんな描き方をするのだろう?何が良いと思ったのだろう?
 勝手に他人様の心情を憶測で論ずるような失礼をするつもりなどないが、あれほど桁外れの画力を持ちながら『ちゃんと描かない』ところが大好きである。

 このあたりから再び大学時代のレポートを思い出しながら続ける訳だが、遠近法や光学的な色彩変換などを追及する写実主義は『視覚=受動知覚至上メディア』、これに対して描きたい対象を描きたいように描く若冲は『意識=能動思考至上メディア』とする見方が成立するのではないか。
 『描きたいように描く』と言ってしまえばオレさま主義であるとも受け取れるのだが、『彼なりの感性で、描くべきように描く』と言い換えれば、ある意味これは写実主義以上の写実主義と考えられるのではないか。若冲は対象物を見て、それを自分の世界観で捉えたその意識まで含めて、正確・精密に記録する方法論を確立していた。
 そうそう、そしてここで『描きたいように』ではなく、やはり自意識・自分の心情を無視して『描くべきように描く』という方策の心掛けが効いてくるはずなのだ。疲れ知らずの緻密な機械的作業をもって、視覚映像が限る制約に囚われない自由な構図で描くと、割と誰もがこの強烈な成果に近づくことができるのではなかろうか。
 何だかそんな話でまとめたように思う。

 若冲の作品は、その価値が当の日本人にきちんと理解されず、かなりの数が海外に流出していたんではなかったかなあ。その後バブルを経てかれこれ30年だから、今はどんな事情なのかよく知らないけれど。

 たまたま本屋を散歩していて若冲の画集が所狭しと並べられているのを見つけ、懐かしく手に取って眺めるうち、徐々に昔の記憶が蘇ってきたのである。
 はて、あの建築描写の面白かった絵は何だっけ…と片っ端から探してみたものの、どれもこれも似たり寄ったりの作品構成になっていて、残念ながらどれにも見つからなかった。
 放っておくと忘れてしまい、二度と思い出さないまま永遠のお蔵入りになりそうな気がしたので、取り急ぎ書き落としてみました。
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