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【479】超絶スピリチュアル技法画展 [ビジネス]

 重苦しい話題ばかり続いたので、全然関係ない話題で一回休みにしよう。
 日本画家の伊藤若冲が人気を確立して、もう随分になる。

 私が大学1年生の時に一般教養で美術の講義があり、その先生が若冲の研究者であった。あまり深く考えず美術は好きだからと選択したのだが、まず取り扱う題材が日本画と知った段階で、正直のところ『しまった失敗した』と思った。
 何しろ理系男子らしく?好きな美術ジャンルといえば、もちろん真先に時空超越型シュールレアリズムが頭に浮かぶ。ベタ王道式で、サルバドール・ダリにルネ・マグリットあたりがワンツー・フィニッシュである。当然、エッシャーやキリコも大好物。
 お目当ては極限まで緻密な表現技巧であり、それを機械的な正確さの尺度で測って深く感心するのが、当時の私なりの『絵画の楽しみ方』になっていたように思う。墨一色で書かれた山河や神仏、よもやサムライに坊主の絵なんか面白くも何ともねえや。墨の滲みや筆の勢いみたいな偶然絡みのワビサビは、書道家にでも任せておけばよかろう。
 ハイ、いかにも視野の狭い、未熟で憎たらしい馬鹿ガキでございました。

 記憶があやふやなのだが、パソコンもプレゼ用ソフトも無い当時の事だから、きっとフィルム式のスライドでスクリーンに投影して講義をやったのだと思う。初めて若冲を見せられて、まさに目からウロコが落ちた気分になったのをよく憶えている。
  『日本にも、こんな画家がいたのか』
 この感想は後に、この講義の年度締めくくりで提出したレポートの第一行目となる。

 今や多くの方が『ああ、あれね』と御周知の通り、その精緻を尽くした画風は日本画として極めて特異なものだ。まだ知名度の低かった当時は決して人気がある方ではなかった…というか、むしろ知る人ぞ知るマニア向けの画家という位置付けであり、課題を出されて週末に美術館に見に行くにしても、閑散とした静かな館内で作品と対峙しながら存分に作文に打ち込めた。いま思えば素敵な時間だったなあ。

 ひたすら工数をかけまくって、一切の手を抜かずにニワトリさんの羽毛の一本一本、花弁の一片ひとひらを描き込んでいるのである。自分が求める精密さ正確さの完成度が大上段の絶対目標として存在し、工期はもとより、もしかすると自分の精神状態や体調さえも『取るに足らない雑音』の扱いだったのではないかと感じた。
 しかし直感的には『あり得ない超人技』の第一印象を受けるけれど、画家・芸術家のあり方として、ある意味いちばん解りやすく自然な姿ではないか。
 裏返せば、『そこまでやってられない』『時間がない』とぞんざいなレベルを知りつつ本来目的を放棄する一般人の常識って、いったい何なのだろう?上手い下手はそれなりにあるにしても、腹を据えて本人なりに丁寧に取り組むだけで、恐らく誰もが十分に感心する凄さを湛えた成果は手に入るのに。

 ここまで書いて思い出してきたが、たぶん大学生当時の私のレポートもこれに近い内容だったような気がする。
 結論は、自意識を無視する精神的鍛練を重ね、自分の能力を機械的に駆使して物事を処理する技術を持てば、できあがってみての壮大な成果が得られる。そういう文化活動モードがあるんじゃないだろうか…とか、そういう話でまとめたんじゃなかったっけ。
 スイマセン、さすがに詳細は忘れてますけど…

 …で、話題はやっぱりここに帰着してしまうのだが、『豊洲も五輪も判断リミットがいついつで、そこまでに何とかならなかったら小池都知事は大きく力を失う』という戦略デマを潰しておきたい。
 その『判断リミット』なる期限の現実的根拠って、実のところ何なのだろうか?

 『希望』を腐らせ歪んだ現実のいいなり隷属を吹き込もうとする『邪心通用の慣習』である。
 3千人近くも集まったんなら、そこそこ大勢のみんなで成敗する実感も楽しめるだろう。
 まずは大盛況に拍手!

【478】架空と現実の異種格闘戦 [ビジネス]

 ありゃりゃりゃ、こんなコトでしたか~…ってなカンジだ。
 五輪って結構あちこちの開催国で役人の汚職ネタにされ、『負の遺産』なる廃墟を数々晒しておるではないですか。
 当面IOC外人部隊の発言聞く限り、そりゃそうなるんだろうな。何が平和の祭典だよ。

 迷う必要なんか全然無い。結論から行こう。
  『将来財務を圧迫する不採算の五輪なんか、東京都も日本国もやらない』
 東京都が撤回の『やめちゃう宣言』でもして、国内外の世論の反応が見たいもんだ。

 小学校高学年ならもう十分に理解して、コトのなりゆきを見ているはずである。
 一瞬は嬉しい雰囲気も流れた『お・も・て・な・し』の東京五輪招致だが、悪い大人が将来財務の破綻を知りながら私利私欲のカネ儲けを企んだだけだった。
 一部の悪人が五輪事業を利用して横領めいた悪事を滑り込ませているのではなく、五輪事業そのものが採算性無視の公金浪費を正当化する汚職ネタなんじゃないのかよ。
 はは~ん、あんだけ騒いだ感動の五輪って、真実はこんなもんなんだ。

 あっさりバラしてしまうと、五輪開催がまず無条件にポジティブ印象で受け入れられる前提なんぞ、とうの昔に崩れ去っている。外人部隊にあんまりグズグズむずからせていて、若年層中心に『これは東京の問題だ、日本の問題だ。余計な口挟む外人どもはとっとと帰れ!』なんて、あらぬ反発勢力が鎌首もたげてきても知らないぞ。
 今や日本社会の軽々過半数、『もう五輪なんか、やるもやらないもどっちでもいいよ、ジブン困んねーし』が本音になっているはずである。つまりもう勝負は決まっており、採算性を保証した事業運営を皆が確信できるなら、そりゃ五輪は五輪だし興味も持つけれど、そうでなければシカトと粗探しの大炎上でなぶり殺しの処刑あるのみ。
 だがこの認識がいま日本社会で共有され『空気』になってしまうと、まだ裸劇シナリオを諦め切れないダメオヤジ帝国的には面倒なことになるので、アレコレ含みの忖度により誰も表立ってコトバにせず気付かぬフリに徹している。そういうことである。

 ダメオヤジ裸劇でママゴト配役として『ドン』が決まるのは御存知の通り。だから今、誰をドンにすれば皆が調子を合わせてくるか、とっかえひっかえ様子を見ているのだ。
 ボートくん撃沈、会長くんが軽くあしらわれちゃって、んじゃ副会長くんGO!みたいな。
 それでも旗色が良くないので、もう各種スポーツ協会だの連盟だのの国内代表くんたちも妨害工作に総出となっている。嫌がらせゴマメ群の一斉援護射撃ってやつだ。
 将来世代を食い物にして私欲を満たそうとする面々が、どれも醜く汚らしい老い方で共通している事実を確認しておこう。人間の内面はそのまま外見に露呈する。

 いっぽう小池都知事は東京都のリーダーとして、東京都組織の自我に沿わない意思決定が意味を持たないことをよく心得ていると見受ける。
 そう、子供向けの対戦ゲームじゃあるまいし『相手より強そうなキャラクターを選べば勝てる』みたいな思考回路で現実は動かない。従って、どんな『ドン』に威圧されても懐柔されても首を縦に振る必要などないし、知事が東京都組織の自我の決定力を背負っている以上、『ドン』も『ゴマメ』も何らの影響力も持ち得ない。
 仮に小池ねえさん個人がダメオヤジ攻撃に疲れ屈してバカ高五輪計画を容認したとしても、東京都組織がそれを認めないため現実がついてこないのだ。

 それにしても、ただの不運として汚職騒ぎに巻き込まれてしまい、利用され人生を翻弄され、その挙句に社会から意識外通告を受ける立場になってしまっている『被害者』の方々は気の毒としか言いようがない。泣く泣く裸劇シナリオに乗らざるを得なかった人も少なくないだろう。
 だが少なくとも現時点では、この社会の自我に逆らう努力は実を結ばないと思う。

 『手始めにあれこれスタックさせたが、まだ諸悪の根源、黒幕の本丸には全く手が付いていない』というのは事実だと思う。だが手始めはそれで結構、小池都知事の孤軍奮闘だけで都政改革が進む訳ではないからだ。
 時代の変遷というのは、みんなで進めるものなのである。

【477】暴発連鎖の巻き添え片道切符 [ビジネス]

 五輪騒動が何だか妙なことになってきた。
 正直よく判らないのだが、ボート会場をあの『海の森』とやらに建設する計画には、随分な規模で利権絡みの裏事情がぶら下がっているように見える。もう強引とも呼べないただのメチャクチャ、世間にどう映ろうが何を言われようが、なりふり構わずここに工事を落とそうとする意図の顕れが尋常ではない。

 過去に遡って海の森計画に関わっていたくさい奴等が、普通なら知らぬ存ぜぬで身を隠して知らん顔で逃げ切るんだろうに、何だかあちこち自分から口挟みに出て来てないか?どれがどいつか、いちいち確認してないのが申し訳ないんだが。
 中には言って良いコト悪いコトの常識が身に付いておらず、『当初の計画額は、五輪招致のためだけの見せ値だ』なんて公言してしまうバカまで出てくる始末で、にっちもさっちも収拾がつかない惨状となっている。

 『JOCは過少見積でIOCを騙し、東京五輪を勝ち取った』と証言したようなもんなんだが。

 さすがにこれはマズいとばかり部外者の口を調達にかかった結果が、ボート連盟の会長だか何だかの外人のオッサンだろう。突然東京に呼び出され幾ら握らされたのか知らないが、手付け工事が始まったばかりの埋立地の景色に『ボートとカヌーの競技場に適した素晴らしい場所だ』なんて気が狂っているとしか思えない独り言を吐き、これがまた哀れにも誰にも耳を貸して貰えず撃沈。
 そのあっけなさに慌てたにしても、今度はいきなり事務局IOC親玉のシューマンだかベートーベンだかまで引っ立てて来たのには驚いた。曲がりなりにも先進国と言われる側に立つ近代独立国家が、国際祭典の開催地選定ごときで事務局の判断を頼るというのも恥ずかしい外交姿勢だと思うけれど、頼られて来る方も来る方で、普通なら『開催国の責任のもと好きに計らってくれ』以上の話なんかできようがない。内政干渉の批判を喰らうのもイヤだし時間もったいないし、断りたいだろう。
 諸々まさに不透明になっているが、コイツもともと来日の予定なんか無かったはずだよなあ…?当面のところ招致段階で日本から裏金が流れたという『疑惑』があるワケだが、こんな不自然極まる介入を見るに『ああ、やっぱりな』という結論を確信せざるを得ない。

 これに先立って、選手たちから定評のある埼玉の案が急浮上したのも、宮城・東北復興案の妨害が目的だったと考えて間違い無かろう。だが後の世論の反応からして宮城案潰しには役に立ちそうにないと見切るや否や、意味不明の理由でフェードアウトにしてしまった。
 まあ元々が海の森に最終決着させることが前提であり、『宮城より埼玉が最適!』と現役選手に言わせるためだけの咬ませ犬の扱いだったから、退きの速さはこんなもんかね。どこまで本気にしたかは知らんけど一瞬でも盛り上がった地元の一般住民がいたとすれば、えらい迷惑である。
 つまりは近隣の自治体まで捨て駒動員して、海の森計画に執着する理由が何かあるのだ。

 ちょっと落ち着いて考えてみなされ。
 誰が開催地変更のキーマンだ、都とJOCのどっちが指示命令系の上位だ、そんな議論にばかり持ち込みたがる向きのいかに多いことか。
 『誰それさんが決裁者であり、この人がいうんだから議論禁止の問答無用でこれにて決着』
という論法の下ごしらえをしたくてしょうがないのだ。
 そして御存知の通り、もう国内世論に嫌われ尽して挽回できないと諦めたサメ脳が、舶来の事務局親玉氏を代弁役に祭り上げて、ダメオヤジ裸劇シナリオにGOをかけさせる段取を仕組んだ。

 ただ舶来親玉氏がみすみす言いなりになるとも思えない。
 五輪が負の遺産になるかどうかなんて、本来は開催国の自己責任で勝手に決めるべき話であり、こんなところで自分が片棒担がされるのはまっぴら御免だろう。
 彼がカネに目が眩んでどんな愚行にも手を染めるタイプなのかどうかは判らない。ただシミだらけの汚らしい老人に悪事をそそのかされ、人前で『兄弟』なんて粘りつかれたのにはさすがに嫌悪感を抑え切れなかったと見える。一応の友好的な社交辞令は維持しながらも、普通あの相対年齢差で『弟』呼ばわりはないと思う。あれが蜜月って、気は確かか?

 IOCが四者会議を提案したとなると、誰も反対はできまい。これでJOCおよび国政に対する都知事の主導性を無力化し、そのあと四者会議でIOCを抱き込んじまえばこっちのもんだ。
 まずは前半戦、首尾よく成功!

 ダメオヤジ裸劇団の新演目はこんなところだろう。
 しかし実はもう時代は変わっており、四者のうちの誰が何をどう決めようが、社会の自我たる都民国民が、それを許すかどうか判断する心づもりを固めている。おかしな結論には、またまた現実が付いて来ずに硬直する、泥沼の展開が待っているのだ。
 舶来親玉氏、エサに釣られて巻き込まれちまったよな。死ぬほど厄介な責任参集に【66】

 そんな訳で小池都政改革、もちろん楽観視はゆめゆめ禁物だが、追い詰められての苦境なんてモノでもないだろう。できる限りの現実解を誠実かつオープンに進めるなら、社会の自我は必ず味方につく。
 ひとまずIOCが平和の国際祭典に相応しい機関かどうか拝見いたしましょうかね。

【476】熾烈と安穏の分かれ道 [ビジネス]

 私がまだ子供だった高度経済成長期、公務員といえば『安月給で地味だが、親方日の丸で倒産の心配が無いのが取り柄の職業』であった。
 みんなが『好きなモノを作る』『大出世して社長になる』『自分の店を持つ』など思い思いの人生絵図を胸に抱いて世に揉まれる一方、そんな日本社会の世話人というか学級委員というか裏方役というか、誰かがやらねばならない事務仕事に素朴に徹するイメージだったと思う。

 実際、母に連れられて区役所を訪れた時の記憶は、色気も飾り気もない受付とその奥に書類山積みのグレー事務机群、更にその向こうは天井まである書棚の列。こんな事務所エリアを、角が擦り切れて傷んだビニル張りの低い長椅子で、ただ延々と眺めながら待たされた。窓口に座っているのは、七三分けで白いワイシャツにネクタイ、袖カバーを付けた無愛想な職員である。
 まるで『自分たちが住民のためにやってやっている』と言わんばかりの逆さ接客態度、子供が解らないなりにも無駄に長すぎる待ち時間は公務員の職業イメージによく合致しており、良いとは思わないが、まあしょうがないのかなと納得もしたものだ。

 もっとも、この時代から民間なら完全に意味不明の手当てはあったろうし、不祥事に対しては驚きの軽い処分で済ませもしていただろう。それでもやはり、『淡々と定時で稼働する、素朴で地味でカタい職業』には間違いなかった。
 昨今はこんなことまで昔話を交えて解説せねばならないのかと不思議な気分になるが、年二回、業績に応じて賞与が支給されるのは、もちろん民間会社の給与システムならではのものであり、業績の浮き沈みとは無縁の公務員にボーナスがつく理由など無い。よって、当然ボーナスなんか無かった。ボーナスって業績良好時の臨時報酬だぜ?

 当時ちょこっとデキの良さそうな若者によく言われたのは、『大きな会社に入って出世するのが成功』というキャリアイメージであり、反面まあ首尾よく大きな会社に入っても『出世できずに一生ヒラ』みたいな到達点で決着するケースも多々あると。
 おのれの運と可能性を心に念じて『モーレツ社員』『企業戦士』の名のもとに深残・休出を繰り返し、子供の教育に始まる家の一切を妻に押し付け、殺伐とした会社人生での業績アップをノーチョイスの生き甲斐として暮らしていくのだ。
 ま、それでも大抵は勤労生涯の成果として、『ウサギ小屋』と揶揄される手狭な一軒家を建てるくらいにはなっていたように思う。終身雇用がまだ成立していた時代であり、業務スキルが並以下でも『窓際族』なるポストに甘んじて定年退職を迎える結末が普通だったためだ。

 どこに身を置く破目になるかはともかく、そんなギスギスした競争社会で心身を削るなんて自分には向いてない、定時帰宅とカレンダー休日でささやかな幸福を育みたい、そんな人生計画を描くタイプが公務員の道を選ぶ。何だかんだで昭和いっぱいまでは、こんなハナシだったように思う。
 あの時代の公務員は、地味で、ビンボーで、平坦な毎日を無難にやり過ごすだけの、相対的に不幸な人生だったのだろうか?

 いや、日本社会全体を俯瞰した時、社会への自分の業務稼動の関わりと、それに自然に見合うカネ流れの中に我が身を置く安心感は、どこの誰にも後ろめたさの無い『収まり』という財産になっていたはずである。
 今日いい御歳まで淡々と、しかし驚異的なレベルで、肝の落ちた高オリジナリティの根気と技巧の趣味を続けておられる方って、公務員率がかなり高いと思うのは私の気のせいかなあ。どうも人間としての真面目さ堅実さと肩の力を抜いたマイペースが、職業を通した一定速の人生とよく噛み合っているパターンが目立つように思うのだが。

 かつて子供のなりたい職業と言えば、プロスポーツ選手、タレント、航空パイロット、あと女の子ならケーキ屋さんにお花屋さんと賑やかだったものだが、ここ最近の小学生相手だと結構な高順位に『公務員』がランクされるという。
 いや、警察官とか消防士とか、実務作業まで特定して答えようよ、頼むから。

 都民に黙って伏せて汚職を仕事にする、事実経緯を暴かれて隠す騙す、訊かれてニセ書類を作り嘘をつく、とても使い物にならない建物をそうと知って作る、全員でやっておいて誰のせいでもないとトボけて誤魔化し、税金は不毛に使い捨てたまま補償責任はばっくれを決め込んで、今や頭の中は自分ひとり逃げ切る事だけ…
 日本一優秀で、日本一高給な公務員というのは、日本一たくさんカネを貰うから、日本一幸せなのだろうか。

 『なりたい職業』を既存の職業から選べない時代、選ばなくていい時代である。
 キャバクラ嬢やYou Tuberより面白いコトを考え出すのは簡単だろう。やってみたまえ!

【475】教えて、おじいちゃん♪ [ビジネス]

 あの世で好きなだけ新札刷って一般市場にばら撒くだけなら、簡単なハナシじゃないの。
 どうしてもっと早くやらなかったのか。

 その答は、まさにこんなことになるからである。
 経済の自由性が損なわれ、皆が等しく効率的運営による利益性を目標に、自由競争に励むことができなくなるのだ。生かしてもらうために、生かしてくれるヤツのトクになることしかしなくなる。市場全体として活力が失われ、不景気にしかなり得ない。
 以前の日本国がバラマキ政策を知らなかった訳ではなく、長期的な不景気に喘ぎながら、バラマキその後の妙案を思い付けず逡巡していただけである。いい頃には『日銀が市場介入を敢行』という言い訳がましい努力アピールがチラつくものの、常に副作用を極度に恐れたちょろ撒きに留まっていたため、撒いても撒いても砂丘の熱砂にコップ一杯よろしく次々と吸い込まれ蒸発し、消え去って行った。

 どうせやるんなら市場の十分な割合がその効果を実感できるレベルにしないと、結局はダラダラ損失にしかならないという考え方は当たっている。だから従来にない規模にこれを引上げ、『異次元』という仰々しいタイトルなんかぶら下げてみたと。ただの物量作戦です。

 だが重篤な副作用が避けられないことは判っているのだから、その一時的な効果で確実に上昇気流を掴み切る心づもりと本格作動への実効解が不可欠である。この覚悟がさっぱりできておらず、もちろん実効解に対しても完全なる無策であった。本来はずせないところが空っぽのまま、看板だけ調子良く連呼して回ったのがダメノミクスのダメたる根拠だ。
 一時的に儲かった気になりゃ皆それなりにカネをばら撒き、そこから各自なんとかするんじゃねーの。日本経済、まだまだ底力はあるはずさ。んなら、景気はどうにかなるんじゃねーの。
 僅かでも実体経済の現場で採算合わせに関わった者なら、到底あり得ないと呆れかえるような能天気の皮算用だが、この未熟な願望を財務政策扱いできると勘違いしたのだ。

 過去に何度か書いたと思うが、きちんと勝算を確保した上で、リスクを恐れず実行に踏み切ることをチャレンジという。
 いっぽう肝心の勝算も整えず他力本願のなりゆき任せで無責任にコトをぶち上げて、雲行きが怪しくなってから自分の勝手な思い込みを皆に押し付けて脅したがそこまで、全員に振られて行き詰まったのがダメノミクスの現状だ。
 冷静に見れば、要は無価値な紙切れを市場に大量投入しただけだから、それ単独で何も起こらないのは必然の結果である。例えば『市場に潜在的な活力が育ち始めているのに、長期的な停滞による警戒マインドが過剰に蔓延していて景気好転がついてこない』というケースなら試す価値はあったはず、裏返せばこの手のカンフル剤は、きちんと勝算の土壌を作り込む誠実な動機にのみ試す資格があり、一定の確率で成功が約束されるのだと言えよう。

 実のところ日本経済全体の活力なんか二の次で、まず役人と政治家が死ぬまでラクしてカネつかむための軽減税率導入が最優先、そのためには物価上昇率2%で景気活力十分を宣言せねばならず、まあ際限なくあの世でカネ刷ってばら撒いていけば、いつかは2%行くんじゃないの。それにしても進みが遅いから、もう物価上昇率なんかと無関係に軽減税率導入をこっそり決めてあちこち手を付けて、後戻りできなくすればいいじゃん。

 国税庁のサイトを御覧なさい。軽減税率導入は2019年確定として書かれており、『確定的に書いてあるから』それを根拠にした公務として、そこらでゴキブリが卵を産んで殖え始めてると思うぞ。

 一応日本は近代法治国家であり、弱い立場の人間にも正当な発言権は保証されている。資本注入されたのを言い訳に邪心と戦う負担から逃げ、アンフェアをわざと見過ごしたり、あまつさえその片棒を担いだりするのは、日本国に生きる社会人として責任放棄というものだろう。
 ダメノミクスの称号のもと世襲のガキが不景気に乗じて仕込んで回った、総負け犬社会の空気ただようダメオヤジ帝国。こんなもの次の世代に引き渡せるかよ。
 以前なら豊洲にせよ五輪会場にせよ、まさかここまでやっちゃったもの変更できる訳なんかないという結末もあり得た。だが、もう時代は変わっている。

 『五輪が役人と政治家の根深い汚職ネタになっており、日本国にとって不幸の象徴になろうとしているが、それで良いと思うか?』
 IOC会長とやらにはこの質問で始めて、答えるまでとことん追い詰めるってのはいかが?

【474】あの世とこの世、思惑と現実 [ビジネス]

  『日本銀行とは、あの世のことです』
 中学社会科の授業を思い出す。我々世代にとって面白くも解りやすい説明だったと思う。

 あの世ではカネがカネではない。ただの紙切れに過ぎない。みんなが生きているこの世からお金を日銀に持ち込んだその瞬間、千円札も1万円札も何の価値もなくなる。紙幣として流通している『日本銀行券』は、完全無欠のただの紙切れと化すのだ。
 下界から寿命の尽きた紙幣を回収し、新品の紙幣をこの世に送り出す仕事なんかもやってたりする訳だが、日銀じゃどうせ紙切れなんだから、いっとき考えた都合で回収処分しっぱなしの時もあれば、気分次第でホイホイと大枚刷り足す時もある。
 そしてこの『どうにでもなる無価値の紙切れ』は、日銀から出た瞬間、額面相応の物品やサービスと自在に交換できる『カネ』として神通力を帯び、下界に放たれて行くのだ。

 ダメノミクスが苦し紛れに成果を主張するにあたり、よく持ち出すのが『株価上昇』である。民主党政権時代は1万円を切っていたが、それを倍増させたのだと。

 日銀というあの世で好きなだけ紙切れを印刷し、それをカネとしてこの世に持ち込んで株を買い上げる。買いがたくさんつく訳だから、他は『何にも起こらないまま』で株価は上がる。端的に、これがダメノミクスのいう株価上昇の成果だ。
 株がたくさん売れたんだから、それと引き換えた大金が企業に渡っている。つまり企業はカネ持ちになっているのだから、あっちこっち大盤振る舞いするのがスジだろう。そうすれば、企業から投資や従業員給与としてばら撒かれたカネが社会に溢れ、流通する物品やサービスの総量に対してカネがだぶつく方向に行くから、物価が上がることになる。
 めでたく景気は好転し、物価上昇率2%が達成され、みんなカネに潤うんだから消費税率は10%に上げて良くて、ここで大上段の本来目的である軽減税率を導入し、このダメオヤジ新帝国の発足により役人と政治家は利権でウッハウハ。定年後の公務員再雇用枠は日本中に莫大な数で用意できるし、ロートルの公務員崩れは事務所で『軽減ぶんの還付金が欲しけりゃ、下民は書類そろえて受け取りに来いや』とふんぞり返っていれば良い。役人も政治家もますます手を組んでやりやすくなる。
 あの世・日銀で苦労もなくカネ刷るだけで濡れ手に粟の巨大利権天国、一応一般社会は好景気により誰も本気で問題視はしない…これがダメノミクスの描く青写真であった。

 だが社会全体さっぱり先の見えないこの不景気で、企業にしてみれば株価は上がったにしても『何にも起こらないまま』なんだから、投資には及び腰にならざるを得ないし、従業員給与のベースアップも恐ろしくて思い切れない。
 『何だよ株買ってカネ食わしただけ損じゃんよー、内部留保せずにちゃんとバラ撒けよー』
 この脅しがちょっと前に何回かやった投資と賃金に関わる官民対話というやつなのだが、企業は倒産したらオシマイだから、何を言われようが背に腹は代えられない。従業員も給料を上げて欲しいのは山々だが会社が潰れてしまっては自分が路頭に迷うだけだし、据え置き額に甘んじて平衡点成立である。
 行き詰まっても他に手段を思い付けないものだから『カネさえもっと大量に流通させれば物価は上がる』と日銀が見境なくカネを注ぎ足し、それでも効かないとなると遂にとち狂ってマイナス金利…というデタラメ極まる流れで現在に到る。

 マイナス金利については、またどこかでやろう。いっぽう最近ちょくちょく見かけるようになってきているのが、東証1部上場企業の実に4社に1社の割合で、『公的マネー』が筆頭株主になっているという報道である。あの世で限度知らずに紙切れ刷りまくって株を買いまくったんだから、道理としてそうなる。
 『言論弾圧なんか無い』といいつつ、な~んだか社会全体が何だかんだでダメオヤジ帝国を見て見ぬふりでスルーし、今なお隙あらばママゴト再構築に揺り戻すかのような言動が見え隠れする理由が解るだろう。
 『景気対策としてのカネ回り促進』を隠れ蓑にし、実は大事な税金で公が民間企業の主体性を買い漁って、醜く老いさらばえた私利私欲の利権強化を押し進める。この筋書きでやれると当て込んでいたところが、日本経済の体力が底を突いてしまい、どうにも動くに動けなくなっているのが現状なのである。もともと成功すべきでないが、ダメノミクスは完全なる失敗だ。

 カネなんか幾らばら撒いたって日本経済は元気にならない。必要なのは、社会の生産力が『よし頑張るぞ!』と元気を出せるような精神的環境、現状の立場および現状からの努力で手に入る人生の期待値に、みんな納得できるようなフェアネス保証だ。
 そして社会が何をどこまでやってくれるかではなく、何より大事なのは、他ならぬ自分自身がどれだけ創造力・生産力を伸ばせているか。だから、あれもこれも『やってみたまえ』と言っている。

 以上、偶然に思い出した中学の先生の例え話を、瞬間芸で今風に膨らませてみました。

【473】新刊おとなのとも編集部 [ビジネス]

 図らずも話に出したので、いつかやろうと思いつつお流れが続いていた話題を。
 情報の表記方式を目的別に使い分けるコンセプトについて紹介しておく。

 まず前回のケースでは、『いま自分が知っている事実を、記憶が劣化する前に自分用に取り置く』という目的がある。
 だからまず頭の中に残っているがままを紙面に落としていく訳だが、ここで記号なんか使うと、自分流の『記号に籠めた意味』が意外にも不安定かつ流動的なため、今も未来も普遍的な日本語できっちり書き落としておくべきというハナシであった。裏返せば意味の通る日本語になっている限り、文章の洗練度は一切不問である。

 反面、ギャラリー相手のプレゼンテーションでは『自分が話している内容を、直感領域で理解してもらう』という目的がある。
 こんな場面でダラダラと文字だらけの長文を映したりすると、聴講者の目がそれを読みに行ってしまい、話を聞く聴覚の受信感度が犠牲にされる。なまじ言及している事柄のキーワードが文中に散見されるが故に、聴講者はその相互関係を文中に読み解こうとして非・直感領域の頭までムダに起動させてしまい、ますます自分の解読作業と耳から聞こえてくる話のどっちに集中すべきか迷うのだ。

 つまり『言いたいコトをシンプルに書き並べる』のではなく『聴講者に解って欲しいコトを、視覚と聴覚の組み合わせを工夫して発信する』心掛けが大事であり、ここでキーワード列挙や記号化が重要な戦術なのだと理解しよう。
 文字数は望小特性として可能な限り削り込むのが原則。矢印は便利だが、あんまり同じ向きで使いすぎると目が飽きてくる。文字色とフォントサイズでもかなり語れるが、やり過ぎの一線に注意。
 ややこしい装飾型のアニメ動作は聴講者の意識を余計に占有するし、もちろん何度目かのバージョンアップで廃止され使えなくなる可能性が高い。単調な基本機能に留めておくのが無難だろう。

 こうしてプレゼ用スライドを整備すると、まあ一般に機能的で見やすい印象にはなる。だがこの好印象に浮かれて目的意識も不明確なまま、あれもこれも見境なく図式化したところであんまり良いコトは無い。
 最初は成果を得られた感じもして盛り上がるんだろうが、飽きて忘れて、いずれ意味を失う落書きだけが大量に残る結末が待っている。

 ところで、漫画のひとコマをそのまま画面に出したようなスライドがあったとしよう。登場人物の静止画が描かれ、各々吹き出しには台詞がモロ書きにされている映像を思い浮かべていただきたい。
 これ、上に述べるお仕事モードのプレゼ的にはダッサダサで、仮にプレゼ指導中に何かの拍子で転がり出てきたりなんかすると瞬殺したくなるような画面構成だが、小学生の子供たちにとって何の抵抗も無く受け入れられるのを御存知だろうか。知って最初は驚いた。
 『事前に文字情報が完全開示され、それをプレゼンターが読み進めるだけ』と言ってしまえば身も蓋も無いのだが、情報伝達の形態としては、彼等がつい最近まで接していたであろう絵本の読み聞かせと一致する。

 そういえば子供向けの理科番組なんかでは案外よく見かける画面構成だよな、と気が付いた。大人が完成された五感や思考回路で解りやすく快適と感じるプレゼと、子供が成長期のそれらで自然に受け入れるプレゼは違うモノだと思っておいた方が良さそうである。

 実はこの形式、『新米プレゼンターが度胸だけのぶっつけ本番で演台に立ち、画面を聴講者と一緒に眺めながら読み進める』という目からウロコのプレゼ業務標準を可能にする。
 溌剌と声さえ通れば演技力のレベルを問わず堂々デビュー、その日からオン・ザ・ジョブで能力開発が始められるのだ。仲間同士が講師を持ち回って評価し合うも良し、一人で聴講者の反応を見ながら工夫を重ねていくも良し。

 【459】【460】のような身近な戦史の記録メモを、こんな電子絵本にして各地の学校、病院、役所や福祉センターなんかで整理・保管・交流できないものか。
 まずは白地にテキストのみが最小限の出発点、挿絵の方は得意な人が手分けして語り部へのインタビューと作画で調達するとか、あるいは叶うなら語り部御本人にラフスケッチ程度でも描いてもらえれば、それだけで挿絵と言わず直筆の貴重な資料にもなる。現地のいま現在の写真でも構わないだろうし、近所の寺や神社に古い地図でもあれば、その写真で十分以上に事足りる。あまり小難しくせず何でもアリにしておき、お手軽を最優先で素案スライドを組んでは随時グレードアップを狙う方が、継続しやすい企画になるだろう。
 これが揃えば、福祉施設の御近所史実セミナー【459】でお爺ちゃんやお婆ちゃんがネタ切れ・ド忘れの心配なく話ができるし、むしろ体調の変化点を職員さんが察知するきっかけになるかも知れない。そしてその頃には引き継ぐ人間が周囲に複数育っていると思われる。

 何しろ記録方式がシンプルだから、少々細かいところがバラついても大抵は日本中で運用可能だろう。高齢者の健康寿命を延ばし、若年層と引き合わせ、引き合わされた若年層が強く賢くなりながらお互いに交流し、全国あちこちで貴重な史実が記録される。

 …と、本当にそんなにうまく行くのかどうかは、やってみないと判らない。
 だから、やってみたまえ!

【472】デスノート作文術 [ビジネス]

 都庁職員の皆さんも、設計・施工業者の皆さんも、あと議員の皆さんも、『本当はマズいと思ってた』『行動を起こせなかったが自分はマトモだ』と自覚のある人は全員だ。
 いま知っていることを速やかに書き留めておこう。

 あの会議で、あの人が判断したじゃないか。そうそう、あそこで何か受け取ってたように見えたんだよな。あの夜の会合の後、たぶん接待があったんだろうなあ…
 自分の記憶は、『まだ明確に覚えている』という感覚だけはそのままに、意外な勢いで劣化している。いざという局面に到って、すらすらと思い出せるつもりで話し始めたら思いがけずあやふやでパニック状態、みるみる自分の中にある情報をコトバにできなくなり発散…実はこれ、普通の人の標準的な展開だとして過言ではない。
 これを読んだ今この瞬間に思い立って記録を始めるにしても、相当数の人がこのパターンに陥るはずである。

 そこで、ちょっとしたコツを紹介しておこう。思いっきり『自分に正直になる』のである。
 誰にでもできる方法論として語るなら、頭の中のコトバを一旦まるまま書き落とすところから始めると良い。文法も気にしなくていいし、あれ何だっけな~出てこね~の単語は即刻見捨てて、いかに不細工でもとりあえず違う表現で、自分に嘘にならないよう書き進める。いつか思い出して直せば良いのだ。

 『第何回目かの調整会議の終わりで、課長がここは空けとくしかないなと言った。マル秘よろしく!の口チャックでお開き。日付は忘れたが会議室を出たら夏の夕日が見え、たぶん仲良しの同僚Aと誘い合って焼鳥屋で飲んだと思う』式に、どんどん書き連ねていくのである。
 これが何ヵ月か後に偶然A君に確かめる日が訪れ、『あーあれは7月21日だよ、息子の誕生日の翌日だったんで気軽に飲めたんだ。そうそう、オマエ何だかやり切れないお疲れモードだったよな』みたいにウラが取れたりする。
 『7月21日第7回調整会議において、誰それ課長が構造の不備を知りながらGOをかけ、居合わせた関係者一同に口封じをした』という事実情報の完成である。

 最初にとにかく自分から引き出せる情報を、『たぶん…だと思う』『何となく…な気がした』と遠慮なく不確定表現まで織り交ぜて書き落としていくのだ。早ければ早いほど良く、まずはこれをやっておくだけで記録の確度が断然高くなる。
 大概の人はいわゆる定番の議事録形式で、『場所:G棟7階コンファレンスルームNo.11、日時:…あれ?いつだっけ?』と自分の記憶の不確定に戸惑ったところで書き進めなくなり、力尽きてしまうのだ。
 そうじゃなくて、自分が不確定ならそれも事実と捉え、どんどん文字情報にして取り置くのである。いま時点でどれだけ役立ちそうかは関係なし、情報量は多ければ多いほど良い。
 その後たまたま『ふと思い出したこと』が出てきたら、その場で何としても書き落としておこう。自分なんて信用できないもので、数分後には呆れるほどさっぱり忘れてしまい激しく後悔することになるからだ。

 なお絶対に避けるべきは、キーワード列挙式および記号の使用である。少し前『図式にすれば何でも解る』みたいな三文三流仕事術の痴呆マニュアル本が流行りかけたが、とんでもない話だ。
 きちんと日本語の文章にしておかないと、『キーワード情報がどう作用したか』の記憶が飛んでしまえば全てチンプンカンプンだし、矢印だの丸囲みだの『何の作用を表現したものなのか』の自分ルールなんて、来週には忘却の彼方だと思ってあながちハズレではない。

 ともあれ、これで日本社会のあちこちで悪事の一斉記録がつけられ、暴露の時を待つ準備が整う訳だ。いったん文字情報の姿にしてしまえば、そのまま流すなり、精度向上を図るなり、事態の進展に応じて次の展開が訪れることになるだろう。
 ただ成果を眺めているうち、これまでの理不尽な負担感が特定の個人相手の報復感情に化けてしまわないよう、くれぐれも注意されたい。せっかくの貴重な記録ゆえ、感情任せのリスキー運用などもったいないだけであり、よもや御自分が悪者にでもなってしまったら本末転倒もいいところだ。
 これをもって真実の記録が日本中そこかしこにスタンバイ完了となると、都庁の調査報告も、都議会での発言も、もう滅多な嘘ゴマカシはやれなくなる。これが今回の目的だ。
 再び誰にでもできる方法論として語るなら、まず記録を整えたら機械的に静観するに留める。もうネタは手元にあるのだ。既にぱらっぱらっ…とどこからか過去の資料も明るみに出されてきているし、コトのなりゆきを見切りながら慎重に処置を考えていけば良い。

 ところでこの書き下ろし作業、次々と記憶の展開に合わせてだーっと書き落としていくにあたり、特に初回はそこそこ時間を喰ってしまう場合が多い。数分毎の細切れ時間よりは、企画書・報告書のラフ構成を組むくらいのボリューム勘定はしておくのが望ましい。
 この作業の時間をいつも楽しみにできる人は、日記が習慣として定着している人なのではないかなあ。私は、必要を感じて特定の事柄について一気にやるのは得意だがそこまでで、普段はからっきしその気になれないタイプだ。よって日記や日誌は全くの不得手、だらしないの一言に尽きる。

 以上の通り意外な発見もあって面白いので、豊洲や五輪関係者の方々には事実関係の記録をお薦めしておきたい。隅っこに二重枠で囲って『積年の希望』なんて添えとくと、いずれ現実になるかもよ。

【471】時限式ヒエラルキー融解装置 [ビジネス]

 一応ここは日本だから、完全独裁の『将軍さま』という表現は、思いついたが止めておいた。

 組織視点のポイントは、数多くの国民がいてその生産力が国を支えており、だが邪心にかられた国家組織の一部が支配的な立場でそれを食い物にしているというところにある。その構図においては、残念ながら我が日本国も、大陸のあの国やその国と同じであり、同じことをやる連中が似たような顔つきと似たような行動パターンになるのは自然ななりゆきだ。
 そこをきちんと理解できれば、『どこかの国みたい』と評するのも別に侮辱に当たらないと解るだろう。民主党崩れに肩入れする気はないが、時代遅れのママゴト組織観に酔払う光景、大陸でやるのは非・文化的でマズくて、自分らなら高尚でOKなんていう差別意識は感心しない。一同御満悦で拍手を共有するその様子、いっそ普通のスーツより人民服の方がよく似合うと思うぞ。

 さて、ある程度の予想はついていたが、やはり現時点ではまだ『ダメオヤジ帝国の崩壊』まで確信できないため、ヒエラルキーの上と下が守りあってしまい『不正工事の原因は何だったか判明しませんでした』に終わっている。まあ従来路線が長かったし、まだまだ時間を後戻りさせようとする魂胆は掃いて捨てるほど残ってるんだろうし、現場の小集団単位で緊急招集でもかけて『お前ら、裏切ったらどうなるかわかってるだろうな?』あたりの脅し、いや組織力の再確認ぐらいはあちこちやったんだろう。
 あの大工事にあたって『よく判らんが、この解釈で行っとこう』と独断で動ける人間などいるはずもなく、つまりは前にも書いたが推進派の節目ポストにいるヤツは全員が全員、よくよく施工業者からこれで良いのか確認され知り置いている。
 証言台でSATAケーブルくわえさせてデータ転送し、頭の中をディスプレイ映像で公開しながら隅々までガサ入れ…という追及ができれば良いのだが、現実は『知らない』『記憶に無い』とシラを切られたら当面そこまでだ。

 既にそう向かいつつあると見受けるが、こういったケースには『時効無しの内部告発促進』で処置するのが適切である。
 『上と下が守り合って成立する隠蔽工作』において、『下』は今あるものを失う覚悟さえ決めれば『上』の弱みを握れるのだ。これはママゴト配役が定義する指示命令系を根底から破壊する力として作用する。
  『コイツの立場を守って、自分がこの立場に甘んじる理由って何だっけ?』
 この疑問を『下』に持たれたら、威張り散らしていた『上』はひとたまりもない。こんなピンチも一応は先読みして、普段から何くれとなく世話を焼くような素振りで『下』に懐柔もするわけだが、ま、ここ最近の空気からして、餌付けマネジメントで忠誠心をつなぎとめておけるものでもないと思う。
 無関心だった社会がダメオヤジ帝国に腹を立て始めているのだ。裏切った方が賢いとは言わないまでも、最初に『上』から持ちかけられた馴れ合いの経緯を冷静に振り返れば、それがどんな真意を秘めたもので、このまま維持継続していて幸せになれるかどうか答は簡単に出るはずである。

 こうしてヒエラルキーのぐらつきが進むにつれ、時限爆弾式に隠蔽工作が解かれて真相が暴露され、それがまた次の誘爆モチベーションとなっていく。
 5年後、10年後、それ以上後でも構わない。真相の発覚都度、なりゆき環境のもとで一定の『隠蔽体質撲滅、開かれた都政』を推し進める効果が期待できると考える。

 IOCの某エライさんが会場の変更検討に『信頼を壊す』と懸念を示したらしい。
 本当か嘘か知らんが、というか、一度受けた報告がやり直しになるから端的に面倒臭いのと、根深くモメてるようなので失敗されるとますます面倒臭そうで牽制しときたいのと、せいぜいそのへん気にした愚痴なんだと思うけれど、また『馬鹿がナンボか握らして言わせた』みたいな話でないことを祈りたい。

 とにかく、ここは2020年の開催予定国・日本だ。
 IOCにとっちゃ他人事でしかないのだろうが、邪心をもった一部の政治家・役人・業者の悪巧みにより、呼び込み当初に聞いた額の何倍もの、兆単位にまで膨れ上がった費用を見せられた日本国民が、JOCその他に信頼を一方的に壊されて一番困惑し憤慨している。
 当然、日本国民が納得して五輪事業を公務として認めない限り先へは進めない訳で、悪いがIOCの信頼なんぞ物の道理として二の次にしかならない。

 そもそもアンタは『費用も場所もコンパクトな五輪』で約束したはずだぞとJOCを問い詰めないのか?
 3会場の工事中止に意味不明の特段で目を付けて、『会場をレガシーにする』の約束遵守にだけ執着するのは何故だ?会場は日本なんだ、任せろや。

 …とマジメに考えてはいけないとすぐ気付こう。このハナシ、組織委員会事務総長と副知事が、IOCのエライさんとテレビ会議やったんだってさ。ほほう。
 副知事が混じってるんなら話は早いや、『開かれた都政』なんだからこれ全面開示しようぜ!
 IOCのエライさん、まさか日本の報道でこんなコト言わされてるとは想像もしてないんじゃないの?誰か教えてあげたら?

 百億、千億、兆単位の国家プロジェクトに口挟ませたいなら、せめて書面の形でもらわないと信憑性もナニもあったもんじゃないと思うんだがなあ。
 文書通信のセンス、もうちょっと磨こうよ。
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