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【563】オールよりどり選択科目のオンリーワン評価順位 [ビジネス]

 『夏休みは42日間』という常識が薄れ始めて、もう何年か経つ。
 最初に聞いたその理由は『冬場の学級閉鎖などで失われた授業時間の不足を補うため』というものだった。それにしたって夏休みを削り込まなくても…なんて考えるのは昭和の感覚なのか、当の子供たちは、もちろん残念そうではあるものの、私が悔しがるほど夏休み42日への執着はないようにも見える。

 昨今の学園生活事情は昔とまるっきり違っており驚くのだが、同時に今の若い人たちに漠然と共通する雰囲気に整合するものであり、とても興味深い。
 そもそも各校毎の独自性に大きな乖離があり、例えば伝統の3期制と恐らくは大学式に近い2期制がほんの近隣校同士でも入り乱れていて、学生さん同世代での相場スケジュールがはっきり存在しないのだ。もっともひとつの学校がこの数年で2期制・3期制を往復で模索する例もあるから、当然と言えば当然か。
 昔なら小中学校までの友達づきあいは原則校内が世界の果て、それが高校進学で校区の生活圏外へ散って行き、高校からは『校内+校外の幼馴染み』という構成に移行する。『そっちは試験いつまでよ?』『ウチの休み、いつからいつまでなもんで』みたいな会話でお互い刷り合せながら、他校に人間関係を拡げて行ったものである。

 昔基準の交際社会層に自然な生活の同調がなくなっている反面、今はスマホ普及による高頻度の通信で、学校以外の生活情報についてはとんでもない個人的領域まで平然と共有しているから、おのずと『学園生活における自己成長』を自意識の基軸に据えにくい精神的環境であると考えられる。
 一律の基準で相対評価を下してくる学校文化に常識として生きながら、自他の得意分野を認め合い、おのれの興味や適性を見定めながら、『自分はこうなりたい、自分はこうなろう、自分はこうなるのが幸福な人間なんじゃないか?』と決められた時代は、人生青写真の決定フローが単純だったのだと思う。

 何というか、良くも悪くも今日の経済社会に目立っている『多岐のニーズに臨機応変で返す』単発企画型の多品種少量生産トレンドが共鳴して来ている感じである。
 高速大容量通信時代の今の子たちの交際空間は、昔に比べてすっかり学校枠や御近所枠にこだわらなくなっており、そこでの人間関係の組み上がり方や過ごす時間の優先度、それらを通じて見出す人生の夢や学習意欲の対象なんかも、我々とは大きく違った因果で決まっているとして良かろう。

 多品種少量生産から一見逆行しそうな感じだが、現状の子供たち学生さんたちの生活環境は、『何かやってみよう』あるいは『こんなことに没頭してみたい』のような、あらゆる偶発モチベーションの拡がりを許す解放感という尺度で見ると、かなり窮屈になっていると察する。
 『情報世界の果てが、分相応に狭く閉じている成長期』の方が自由なのではないか?
 その適正サイズの井戸の中を成長期の視程で見渡して、自分自身の現状や適性、そして目指す将来像まで、早々に自力で固めた方が、結局は『自己確定スキル』の獲得がラクで早かったのではなかろうか【71】

 人類みな兄弟式の3期制で『5段階評価の通信簿を開いて一喜一憂』が定番ネタだった時代、昔なら仲の良い友達とテキトーに絡んでつるんで、『通信簿ランク』の優劣判定に反目するかの勢いだけで内密バイトや反社会性趣味に首突っ込む冒険なんかもできて、それで『自分の好き』を推し通して幸せに済んだ。
 だが今は良いモノも悪いモノも、巧妙で極端なレベルに直結する世界の口がどこに開いているか判らず、何をするにもシチ面倒臭く健全で潔白な理由の保証と開示を要求される。これじゃどんなダントツ優等生だって、『自分の好きなコトをやり切った』ではなく『誰かの評価をクリアできた』という余計な行きがかりがついて回り、人生の達成感が曇ってしまうはずだ。
 心底安心して腹を割って飛込み、そこを起点に無心に頑張って満足できる空間とは、今の時代どんな要件を揃えたところなのだろう。これをどうしても見つけて実現する必要がある。

 ところで社会の高度通信化が進行するのは『技術の自我』【506】によるところであり、この環境変化は『バカな大人の失敗』という人為的不具合にはあたらない。
 最近くだらない問題を連発してしまった感のある文科省だが、うまくない部分は言い訳無用で仕方ないとして、少なくとも学校毎に試行錯誤を繰り返す管理層も、現場でその対応に右往左往する先生方も、いい加減な場当たり意識で逡巡や混乱を繰り返しているのではない。区別して理解しておきたい。

  『大学院まで行った方が良いのでしょうか?』
 つい先日、就活前の学生さんが私相手に会話を切り出した時の質問である。
  『何としても2年かけて完遂したい研究があるならYES。無ければ学卒を勧めます』
 学童時代・学生時代と、デスクワークも実技も大好きのままに没頭することが許され、自分のその局面では『学校なんかタルくてやってらんない、一刻も早く出てしまいたい』としか思わなかった私は、時代の差や世代の差を再認識しながらもこう答えた。

 当代経済社会の不安定さは肌で感じながら、『大手=安泰』への期待は情けなくも禁じ得ず、更にそれが決して確定的でないという現実まできちんと心得ており、迷いが伝わってくる。
 敢えて当方からお名前その他一切を訊かないまま数十分ありったけの情報をインプットして、その晩は某・国立研究機関のエライさんと一杯やりながら話し込んだ。
 公務ミッションで受ける研究業務にこの数年の過労防止ガイドラインが課す足枷の重さは深刻らしく、『就きたい職業は公務員』などと職業観を語ってしまう小学生たちにその溜息を聞かせて、目を覚まさせてやりたいものだ。

 帰宅したら、早速くだんの学生さんから自己紹介と丁寧な御礼が着信していた。
   ひとつまた人生の幅が広がったような気がします。
   是非もっとお話を聞かせていただきたいです。
 いや、こっちこそもっとお話を聞かせていただきたいし、万が一にも余計な外力に働かぬよう深く遠慮しながら、世間話だけで終わりたくもないんですけどね。

 不安を抱えた表情でも、その溌剌と未来を湛える若さは本当に羨ましい。
 さあ頑張れ、若者!
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笠原嘉

上の文章をざっと読ませていただきました。他人の付けた
通信簿に右往左往している時期がありました。今日、気が付いた
事なのですがよきにせよ悪きにせよ人間とは自分というぬい
ぐるみに入ってそこから抜け出せない生き物なのかぁ。
半世紀生きて、今の世の中ややこしくなっているなぁ。と
感じています。 ありがとうございます。!

by 笠原嘉 (2017-08-21 13:15) 

にすけん

 笠原嘉さま

 いらっしゃいませ、ここにとっては久しぶりのコメント投稿、どうもありがとうございます。

 社会が変わっていくことそのものは決して悪くないと思うのですが、社会人=今の大人が自分らのだらしない『逃げ』や『甘え』に、『自由』や『個性』の隠れ蓑を着せて横行させた結果、成長期の人間がよりどころにする基準が失われたことが問題だと思うんですね。

 でも言っても仕方ないし、言って治るくらいならバカな大人は最初からバカになっていませんよ(笑)
 若者たちには、いいから前を向け、先へ行け、迷惑な年寄りは躊躇なく倒せ、幸せになれ、で元気いっぱいにやっていただきましょう♪

 またのお越しをお待ち申し上げます。
 どうもありがとうございました。

by にすけん (2017-08-24 18:23) 

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