So-net無料ブログ作成

【539】事故多発交差点の中央突破 [ビジネス]

 前々回、『国際的なスタンスでテロ行為を防止したい意図は理解できる』と述べた。
 だが、現状日本政権の目的はそこにない。日本社会から立ち上がってくる都合の悪い活動勢力を合法的に封じ込める、ただそれだけのためだ。
 要は『政権の権益を邪魔する者をショっぴければ、テロが起ころうが何人死のうが別に構わない』つもりだと言い切って実態に逆らうことはなかろう。
 従って、現政権に理解する余地など無い。万人等しく身ひとつの1日24時間で物事は進むのだから、急ぐ理由はあるにしても、誰かだけ法案検討に必要な工程をスキップする訳には行かないのである。

 もう死力を振り絞って、議会で多数決の構図が成立するうちに、『ワシらがこう言えば、社会はその通りに動くもんだ』という強制力を仕込もうと、なりふり構っていられないところまで来ているのだ。ダメオヤジ利権帝国、断末魔の強権発動である。
 これまで何年も『その通り』になっていたから、日本の国家財務は返済不能の累積債務でメチャクチャになり、エネルギー政策なんかそっちのけの錬金施設としての原発だらけになり、何より一番元気に社会を創造し謳歌して生きていくはずの若い人たちの精神力が、手酷い荒れ方で傷んでしまった。

 ようやくこの数年、その馬鹿馬鹿しさに気付いた日本社会の自我が絶望に座り込むのをやめ、破滅的な利権シナリオを明確な反感でシカトし、暗黙の了解だった隠し事やお約束スルーを片っ端から晒しにかけるようになった。『ワシの言う通り』に対して『おいッ、それは違うだろう』と正面切って否定の態度を叩きつけ、『所詮はダメオヤジ、殴れば効く』の確かな実感を手に入れ始めた。
 ちょっと前よく話題になった言論弾圧も、いよいよ虚構の神通力がダレてきたってことさ。当然ダメオヤジ利権文化にとっては、ママゴト帝国が存亡の危機に瀕しているワケだ。
 反面、日本社会にとっては正常な民主主義文化に立ち戻るターニング・ポイントである。

 日本社会の過半数はこの現状を理解していると思われ、そこここで散見される世論調査が、イコール日本社会の真意だとまでは言わないが、すべからく反対意見が優勢と見受ける。
 当たり前だ、テロ等準備罪は社会でフェアに通用するルールとして、明らかに適用の対象を特定する内容が足りないのである。
 この『内容の不足』および『そこをどう埋めるか』の話ができない者に、民主主義議会の議員をやる資格など無い。皆でよく見ておいて、以降の選挙権行使に間違いなく反映されたい。

 日本国民の務めとして、しっかり社会の思考力・判断力を表明するべき大事な局面だとは思うのだが、程度の低い左巻きが、やれ戦前の治安維持法だ特高警察だ軍国主義への回帰だと気の狂った痴呆持論を口走ってしまい、いま混ぜてはいけない話と混ざりそうなので、今回はそこに歯止めをかけておこう。

 大東亜戦争までの日本国において、お国の意思決定に逆らう言論が厳しく規制された事実はあったようだ。引っ立てて殴る蹴るの暴行はもとより、刑具まで持ち出す恐怖性・猟奇性まで社会常識の範疇だったという【458】
 組織力は、それを構成する全員に、画一化された意志が徹底普及されているほど束が太く強力になる。欧米列強に食い物にされないため、小国の国力を一致団結させねばならなかった時代のことである。
 日本国は全力で国際的地位のランクを這い上がり、それを叩こうとする既存勢力と衝突して戦争に陥り、最後の最後まで戦い抜いた挙句に核兵器まで持ち出されてしまい、遂に力尽きて敗れた。終わってみると、脇目も振らず国じゅうの物資や人員を戦力に投じたため、赤貧の生活や悲しい家族喪失の苦難も乗り越えねばならなくなっていた。

 これを戦後ぬくぬくラクチンチンの立場から片手落ちの結果論で御高説を組み上げ、『組織の意志を画一的に徹底普及させるのは悪、危険な人間社会の性』と短絡させるのが、よくある左巻き論法である。
 もちろん組織一丸となって何かに取り組むこと自体に問題はなく、またその取り組みが正解か不正解かなんぞ誰にも判らない。大東亜戦争その時その場の決断と行動の選択をもって、『ここに邪心は無い』とロジカルに結論付けたのが、パール判事そのお方だ【307】

 左巻き人種は、まず『自分こそ、そこらの雑魚とは別格に物事を冷静視するクールな監視役なのさ』という、薄らいけすかない優越感を持っているのが普通だ。つまり大勢が形作るひとつの傾向、これは過半数に達して組織の自我となるものだが、これに対してケチをつけるコト逆らうコトそれ自体をもって自己主張のウリにし、声高に叫ぼうとする性向がある。
 枠組みに囚われないという意味で『リベラル』という言葉を拡大解釈して充てられることも多く、ちょっとした知性派アウトローを気取れるあたりも、左巻きスタイルの人気がなかなか廃れない理由のひとつなのかも知れない。
 いやまあ、それなりに横槍勢力って居た方が良いんですけどね【92】
 たま~に本当に頭の良いのがいて、こういうのは組織内の革新的・急進的マインドとして機能するのだが。

 ともあれ、いま大事なのは日本社会全体がまったくもってうまくいっておらず、みんなで頑張って明るい未来を作っていかねばならない、そのやる気を出さねばならないという課題意識だ。結論!!
 みんなで頑張るためには、みんなが納得できるフェアな社会生活の土壌を保証することが必要で、故にテロ等準備罪を始めとするダメオヤジ利権文化は完全撲滅せねばならない。
 みんなで頑張るためには、みんなで目指す社会像のベクトルを揃えることが必要で、故にかつて先進他国に危険視されるほど日本国が急成長した、一致団結の国民性は否定せず取り戻さねばならない。

 『自称保守』のダメオヤジ利権組も、『自称リベラル』の反勢力虚弱児組も、どっちも日本社会の自我の心を掴むにはフヌケの自分勝手・自己満に過ぎるのである。
 『保守』も『リベラル』も、元々は時の最適解を求めて選んだ社会勢力の基本コンセプトのことだが、現代日本社会においてはいずれも『自分のトクやラクやカッコつけのため』の薄っぺらい行動様式に落ちぶれており、今や語るに値しない枕詞でしかない。

 若者たち、どっちのバカ大人レッテルも貼られんなよ、あほの勲章だ。保守派と革新派が、フランス国会で右と左に座席取りを分けたのが例の語源だったりするのだが、そんな昔のハナシなんかどうでも良かろう。
 ショートかロングか、速攻か刻むかは選択肢。だが方向は常に『前』をお勧めしておく。
nice!(18)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 18

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

メッセージを送る