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【536】今昔開運プログラム教室 [ビジネス]

 組織の自我は集団の過半数の意志で決まると述べた【251】
 2020東京五輪だって、あれやこれやは拘らずコイツで行っちまえ、それで構わないんじゃないのと都民国民の過半数が割り切って納得してしまえる案があるならば、本来的な平和の祭典=良いコトとしての成就は十分あり得る。
 先のことは文字通り先送りにし、先を急ぐ行動に移って、勝算が見込める。

 裏返すと、利権屋のカネ儲けを『目的達成=成功』においた動機が見え隠れする限り、それが運営要職ポストの何番目あたりから、ナニがどう決まったと宣言されようが、日本社会からは無視され放置され敵視され、いずれ自滅の末路を辿ることになる。

 大勢の人間が関わる組織が起こすコトは、組織の自我にその決定権があるのだ。
 だから、神さま仏さまお天道さまには隠し事や偽り事をしないよう教わるんだろうな。

 …と再認識して、ちょっと東京五輪のハナシは一区切りつけよう。
 またで申し訳ないが、人工知能の普及につれどんな事態になりそうかというハナシである。

 まずは通信網の高速化・大容量化によりテレワークやテレラボ【533】が成立し、それらが上げてくる成果を集約処理する情報センターは、恐らく他に比べて機械化率が高くなる。どんな理屈を小難しく主張したところで結局のところ、所詮は『情報の判定と整理および保管』でしかないからだ。
 ここに人間が頻繁・多様に出入りする必要は、あんまり無いはずである。

 つまり通勤という最も日常的な人間の移動がまず数量的に減ることになり、さらにこれを個々人毎で見るなら、日常生活から通勤が減ればそれに付帯する移動もまた無くなる。これは社会が総じて出不精の引きこもりになる傾向だとして間違いは無かろう。
 通勤で出掛ける必要がなくなったのなら、わあい他の用事で出掛けようではなく、出掛けることそのものが無くていいじゃんとなり、出掛けなくて全生活を成立させていく側に向かう。そんな気がしていたのである。

 先日たまたまシンギュラリティをテーマにした討論会で、『人間は引きこもりになっていく』との将来予測が耳に入り、これが自分だけの感覚ではないのだなと思った。
 もっとも、これがいけない傾向かというと、高度経済成長期にあった御近所主体型の庶民生活ぐらいの雰囲気に戻るだけという見方もできるワケで、まあ手放しではダメなんだろうが、古き良き御近所コミュニティの再来を探る時代が来るのかも知れない。
 もちろんそうなったとして温故知新を売りにしたいなら、自分自身がオリジナルの時代を『善良で優れた実例』として生きておく必要があるのだけれど。

 最近NHKで放映されている『アトム・ザ・ビギニング』という漫画がなかなか面白く、特に『AIの最適解判定ロジックと人間の情操反応の共通点』を意識させるような描写が散見され興味深い。
 無邪気に正義の味方として振舞っていたオリジナルの鉄腕アトムだが、『アトム・ザ・ビギニング』のA106(エー・テン・シックス)は、あれの開発段階という設定だったんじゃないかなあ。たまたま番宣を見て、まんまと釣られ視聴している。

 あとAIなるテーマの考え方とは関係ないが、大学の研究室で課題に取り組む理系学生のイメージが、白衣の品行方正な優等生ではなく、勉強が得意なだけの逸脱した無頼漢という人物描写になっており、これは私個人の感覚としてかなり実態に近い。
 事情を知らない一般ピープルによる『いかにも』の頭脳労働者の姿は、想定としては月並だが実は激しく現実離れしているのだ。この『アトム・ザ・ビギニング』の提唱する研究者像には共感が持てる。外乱を遮断して、思考の現実化を完遂する素質のひとつだと思う。

 今回なんだか話があっちこっち行ってしまったが、一応ひとつの思考が走っており、みんなに肯定的に捉えてもらえる=組織を動かすような行動ロジックというものが普遍的に存在し、それは社会の高度情報化という変遷を経ても時代を超えて通用するもので、それって人間が実際にAIに組んで人工物として実現できるモノなのではないか。

 つまり人工物が、組織の自我を動かし始める日が訪れる。
 久し振りの『スカイネットの原理』で考える、組織のシンギュラリティの定義でした。
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