So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

【555】電流火花がアタマを走る [ビジネス]

 NHKが、社会の課題をAIに尋ねるという企画をやっていたようだ。悪いがツカミの数分をちらっと覗きかけるだけに終わってしまった。
 社会の様々な指標値のビッグデータをジャンル横断で入力し、機械任せで検出された相関性の高い事象同士を結び付けて考察型討論のお題にするというコンセプトは理解できるが、そもそものお題の採択にどうしてもおセンチで陳腐な人間の感情が絡んでしまっているようで。

 いきなりガツンと悪魔の発言をしよう。
  『少子高齢化社会の問題を解決したいなら、高齢者から順に殺処分すれば良い』
 唖然とする殺伐とした内容だが、絶対にAIが返してくる回答の一例のはずなのだ。
 慌てて『人を殺してはならない』と条件を追加すると、今度は島流しなり姥捨て山なり、一般社会からの隔離を回答してくることになるだろう。
 ヌルいマンネリ時事展望の漫談に終わらせたくなければ、本来このシビアな死活問答と血みどろで取組み合う公開デスマッチにせねばならない。AIは、少なくとも初期段階では、慈悲も手加減も知らないし、そこにブレイクスルーのきっかけがあるのだから。

 人工知能=AIなるコトバが盛んに飛び交うようになったが、簡単に分類しておきたい。
 まずはステップ1から。

 例えばチェス、将棋、囲碁などが解りやすいと思うが、一定の規則世界における事例を多数記憶させてライブラリー化し、目前の現実と類似性を照合して『最も勝率の高い次の手』を導出する形態、これが『機械学習』だ。
 規則一般に基づく勝率の高低のみならず、プレイヤーの個人的なクセなど個別の傾向まで、常に最新の事情を反映しながら、計算式相応に完全ニュートラルな結論を出力する。十分な記憶容量と計算速度および使いやすい出力形式さえ叶うなら、人間に勝ち目は無い。
 ホントいうと人工知能というコトバで語るにはちょびっと物足りない領域なのだが、実はこれだけで、経験則がウリの商売に従事する人間はごっそりお払い箱になる。

 その一歩先に話を進めよう。ステップ2だ。
 莫大な情報を記憶した機械くんが、何をやり始めるのか=何をしようと『動機づく』のか、つまり人間以外の社会活動の単位として機能し始めるコト、これを巻き起こすのが『ディープ・ラーニング』である。
 例えば日本国の年齢別人口分布を前にして、まず乳幼児に高致死率の伝染病が流行ったのか、中高年の移民が多数流入したのか、どんな可能性を選出して関連事項の情報ストックで演算を開始するのか。
 つまり、いわゆる『関心事』や『思惑』みたいなモノに基づく処理プロセスが何通りかあったとして、それを採択するステップが訪れるのだが、そこに『人間が知性・理性を見出せる何か』が顕れるコトが『人工知』であり、その人工知のグレードアップが機械くんの自己完結として進行する概念のことをディープ・ラーニングという。
 こうなってくると『うおおお、確かにそういう見方もあるか、こりゃ人間マイッタ!』的な発想力勝負の押し引きで、人間の『ひらめき』みたいな領域が脅かされてくる。
 小学生たち、まだ若いのにユーチューバ―なんぞに憧れるのは時代遅れだと思うぞ。

 さて『シンギュラリティ』なる表現が充てられ、『超知能』や『超知性』が引き起こす社会現象の不確定性が議論されるのは、本来この先のコトのはずなのだ。これがステップ3、課題の概念が皆無の状態から知的作動が発現する、いわゆる『人工意識』である。
 このへんになると、相手あっての事情まで絡んできて『意識があると他から見える』で済むのか、ひとりぼっちで本気の『意識性自立現象を起こす』ところまで行くのか、物凄いコンピューターを作るだけで『意識は自然発生する』のか、いやその目的で組む『意識プログラムが必要になる』のか、議論がめちゃくちゃ面倒臭くなってくるのだが、いずれにせよ従来の人間にあり得る範疇の限界を超える事象が転がり出てくる可能性が想定される。
 人間の範疇を越えたものを目前にした人間が、『ああ、これは人間の外側だなあ』と正確に認識できるかどうかはイマイチ怪しいものの、ともあれそんな驚愕の瞬間は到来しそうである。これがいわゆる『シンギュラリティ』の象徴的な節目のラフスケッチなのではないかと思う。

 この日本で凄いスーパーコンピューターといえば、やはり『京』が最も有名なところだろう。
 いまコイツが11ペタフロップスの演算速度である。フロップスとは1秒あたりの浮動小数点演算回数のこと、ペタとは10の15乗のことを意味する。
 これをいきなり『知能』や『意識』の定量評価尺度に読み換えるのが妥当だとは言い切れないが、神経細胞14億個で脳を構成する原始的なサルくらいの能力に匹敵するのだそうだ。
 人間の脳を同じ尺度で見ると、もちろん神経細胞が遥かに多くて860億個あり、これに対応する情報処理速度は1エクサフロップスとなる。エクサとは10の18乗のことだ。

 2022年には、人間の脳機能のシミュレーション実験が始まるという。
 これを担う次期型=ポスト京の演算能力は、まさにその1エクサフロップス。早や5年後にはそこに到達していることを、あなたは御存知だろうか。

 何かひとつの事に専念すると、人間は身ひとつしかないので、他の手が止まってしまう。
 だから仲間と協力して組織をなし複数の事を同時に進めたくもなるのだが、その仲間が不安定な人間なので、必ずしも狙い通りに業務処理能力の倍増が得られるとは限らない。
 それどころか、ここで長々とやってきたような組織運営の苦労話ばかりが嵩んできたのですな。AIで人間を置き換えればすっかり安心できるとも思えないが、組織運営に新概念の時代が始まることは確かだろう。
 さて、そこでだ。

 ここ何回か『組織の高齢化』とは、人間のどんな一般的性向が引き起こす、組織のどんな非・生産的傾向なのかを解説してきた。御自分の身の回りで、結構あるあるだったり図星だったりしたのではないかと思う。
 その組織体質で、ここまで身近に接近しているシンギュラリティ時代を生き抜けるのか?

 皆さんAIに頼るまでもなく、合理的回答は電光石火で実感できていると思いますがね。

【554】特養老人ホームの斜陽経営陣 [ビジネス]

 一週間が経過し、引き取られるべきモノは全て引き取られて概ね旅立って行き、お別れすべきモノはこの手で破砕ピットに葬った。どうにか及第点の進捗かな。
 オーブンレンジに電子レンジ各1台ずつ、懐かしのラジカセ、ミル付コーヒーメーカー、電熱炊飯器から土鍋から御膳から姿見から、単品サイズが幾分マシになっただけで、先週に勝るとも劣らぬ数の品々を次のユーザーに引継ぎ成功、一気にやっちゃえば何とかなるものだ。
 実はかなり貴重な偶然に助けられ、こうして安心して先を急ぐことができているのだが、ともあれモノは大切にしておいて間違いは無い。いつか良いコトありますように。

 で、まだ続く『組織の高齢化』説の検証である。何度もだらだらとやる話題でもないと思うので、こちらも一気通貫式に行ってしまいたい。
 今や『知らなかった』でも『知りたくない』でも済まない局面だし、解って無策を決め込むならそれも結構、将来の自分や自組織がどんな事態になるかも予想がつくはずだ。

 過去に一度、老人ホームの経営者が語るその実態について書いた【194】

 『例えば食堂の席、入浴の時間、さらには旅行した出先での座り位置まで、実は誰がどこと全て決まっているのだ。皆の顔色を窺いつつ、そこに自分の居場所を作り出さねばならないのである』
 『上記のような問題を抱えがちになるのは年齢相応の傾向として自然なことであり、だからこそ入居する人もさせる人も、施設の雰囲気と入居者本人の適性を見極め、そこでの生活と絡んで楽しめるかどうかをよく考えるべきだ、という話である』

 まさにドンピシャで高齢化率の高まった組織の自我が示す傾向を言い当てているワケだが、当時これをくくりにかかった私の見解はこう。手前味噌だがクリーンヒットである。

 『さてここまでの話を、まだ見ぬ老後のこと、隔離された特殊な世界のこととして読まれた方、本当にそうだろうか。私には、大企業や役所の出世競争に役員人事など、まさにそのイメージと感じられたのだが』

 この老人ホームの内情は、もちろん経営者が『そうするのが良い』と計画的に狙った方針ではない。
 前回の『演技と演出』の紹介に続いて、つまり『特に意識して努力しないラクチンな状態』としてなりゆき任せにしておくと、自然とこの『不明瞭なのにガッチガチに融通の利かない掟社会』に安泰するという皮肉な現実を語る事例である。

 もうひとつ触れておこう。高齢化組織の弊害が散見されながらも、揉めゴト荒れゴトを起こさず上手くやれているケースには、優れた調整役が必ずいるものだが、それはつまりこういうことではないだろうか。

 『従って、職員が外力として入居者コミュニティに働きかけ、それと感じさせない支配力で、いかに入居者間の軋轢を緩和・解消するかが運営の鍵となるそうだ』

 利益性をしっかり保証しつつ、これまで継続もできている老人ホームの経営者が、仕事のノウハウとして語った言葉である。
 威張り合いで架空の力関係が組み上がり、それを確かめあう表向きの日常が流れながらも、裏では然るべき運営能力が静かに働いている…と言えばどこかの職場の実情みたいに聞こえるが、さにあらず。
 役職ポストで架空の力関係が組み上がり、その機能を演じる表向きの日常が流れながらも、裏では議会を偏向させる水面下の運営能力が秘かに働いている…と読めてしまったりもしないだろうか。
 で、ここ最近いろいろあるらしく、職員さんたちが職務放棄し始めて、入居者の軋轢を暴露しあう状況になりつつあるとか。

 邪心の議会操作が機能不全に陥るのは、あながち悪いコトでも無さそうな気がするのだけれど、その先に漂う憂鬱な不透明感は、まさに高齢化組織の将来像のそれに一致する。
 だって将来世代の絶対数が少ないのはもう確実で、将来生産力の絶対値が大したことないのも、もう確実なんだもん。
 だから現状、全ての政策は現実の限界まで予算緊縮すべきであり、いっぽうガチで将来世代が助走距離にして飛び立てるような政策をいち早く固めて、いま削る分を目一杯そこに潤沢に注ぎ込むべきなのだ。

 これで東京五輪汚職や豊洲欠陥建屋に関する、私の一連の立ち位置が御理解いただけることと思う。
 まず加齢臭から隔絶した空間を立ち上げる。日本国の喫緊の課題はこれではなかろうか。

【553】亡霊の正体見たり枯れ社員 [ビジネス]

 参った。掘っても掘ってもモノが出てくる。急がないと。
 姉が急逝し、それまでの姉の日常生活が丸々遺品としてどかんと残り、とりあえず片っ端から引き上げたはいいが、その処置をしようとしたところで突然自分が使い物にならなくなったんだもんな。
 遅まきながらも、軒並もらい手さんのところへ引き渡しが進んでいるので良しとしようか。

 まだもう少し『組織の高齢化』説の検証をやっておく。
 ジブン的に『ああ、これもそうだったってことか』とハタと手を打ったのが、『職場の亡霊』シリーズである【117】~【119】
 普通に考えて実現できっこない業務計画を、そうと重々判って業務管理に組み、毎年度末には茶番丸出しのウソ大法螺でっち上げで、成果欄を埋めるためだけの作業をやっつける慣習。何故こんなことになる?
 外の人間から見れば完全にタダの無能バカであり、こんなものに時間を割き給料を出していたら、工数も財務もきつくならない方がどうかしている。小学生でもわかることだが、中の人間にしてみれば『解っちゃいるけど、言いっこナシ』で従来踏襲する自堕落から、どうしても腰が上がらない。

 いくら『今がどう理屈に合っていなくてダメなのか』を懇切丁寧に解説したところで、ラチが開かないのも当然なのだ。
 知らないものに出遭いたい、いま頭に無いものを思い付きたい、これまでなかった新しいことがしたい。未知の空白に向かって建設的な想像力が拡がり、そこに積極的に踏み込む意欲が自然と湧くのは、伸び代ある若者ならではのことである。
 人間老いてしまうと、まず何がどうあれ体がついて来ないので動き出せなくなり、その帳尻合わせとして余計な知恵を使うことになる。これが過半数の示し合せで固まると『ウチワの掟』となり、高齢化組織として生産性の低下が目立ってくるという訳だ。

 私は当時、職場の亡霊の対策として『職場を閉じた世界にしないこと』と述べている【119】
 めいめい会社一色の生活にならないように関係者一同が注意して、外の生活で意識の一定領域を埋めるようにするべきだと。外の視点での自己管理が必要なのだ。
 外の人間から見れば完全に無能バカだとはいうものの、引き籠る小世界があれば、老衰した老人たちは器用に自分を納得させ、狭い井の中で陰鬱な生態系を完結させる術を知っている。組織の高齢化は、自ら内向きに落ち込んでいくブラックホールのような進行性の傾向を持つ現象なのだと思う。

 高齢化云々以前に、『人間とは、こうなりがち』という面白い例を紹介しておこう。
 平田オリザさんの『演技と演出』という本に、こんな一節が語られている。

 『劇団の中だけで演出をしていると、ついつい説明しなくてもわかってくれる仲間たちとだけの作業になってしまいます。外部の俳優、とりわけ外国の俳優と一緒に仕事をすると、前提としていることが異なるので、全てを説明しなければならず、しかしそのことは、演出家にとって自分の漠然とした考えを自覚させてくれるいい機会となります』

 なるほど、生来にして標準よりは外向きだったと思われる私だが、会社組織についてあれこれ考えを巡らす時期に、海外の連中と、しかも現地で長期間仕事をする機会に恵まれた幸運が効いたのかも知れない。

 さて、『少子高齢化』というくらいなのだから若者の絶対数は減っており、日本社会のあらゆる組織を若返りさせるには、あまりにも足りないところまで来てしまっているのは御存知の通り。
 だからこそ、自組織の社会的ポジションを熟考した上で、勝率のある立ち位置を見定めて身の振り組織の振りを決める時代だと述べた【546】
 若者たちを単に苦難から隔離擁護するつもりはないけれど、一同が理解しないまま、せっかくの伸び盛りが加齢臭の牢獄に囚われ非効率な時間を過ごすケースを減らしたい。日本社会のなけなしの元気を、効率的に国力に振り向けたいのだ。

 繰り返すが、加齢そのもの、高齢そのものは悪いコトでも何でもなく、きちんと将来の展開を工程表に描いて平和かつ幸福に決着できるなら、これに越したことはない。
 一方、若年層を迎え入れ、旧知をどんどん未来の進化発展に昇華できる余力を残した組織については、いち早くその自己認識を内外に共有して、成果発現の模索に全力を上げるべきなのである。

 まずは職場に横行する『解っちゃいるけど、言いっこナシ』の聞き込み調査でもやりますか。
 アリアリのバレバレで『記憶にありません』なんて台詞だけは聞きたくないもんですな。

【552】『継・拾・取』ツケの支払期限 [ビジネス]

 前々回に洩らした通り、訳あって一週間後には家一軒カラッポにせねばならない。
 もっとも、どうせ猛暑の最中では何もできず活動可能な空調環境を渡り歩く生活だから、いっそ滝汗の短期集中作業がダラダラもせず正解かも知れない。

 近所のホームセンターが金属料具を引き取ってくれるので、今日も大きなカレー鍋ひとつと圧力鍋ふたつを引き渡す。まだ使えるものを、どうしても『ゴミ』にはしたくない。
 探せば引き取り先もあるもので、昭和のラジコンカーなんかは査定した上で某店が買い取ってくれた。なんとレストアして遊んでくれる人種がいるらしい。
 感謝感激、私はコイツに随分と仲良く遊んでもらって、育ててもらったのだ。

 何だかんだで高校受験までには音楽小僧になっていた気がするので、きっと中学中盤までのものであろう。
 構造と作動原理は長くなるのでまたの機会にするとして、単純で軽量な2ストローク式、これを分解・再組立したのが私にとって人生最初のエンジン整備である。思えばこれを起点として、のちに本物の自動車のエンジンまで怖気づかずに全バラOKとなっていった。
 バッテリーとモーターの両方で小型軽量・高性能化がめざましく進んだため、最近のラジコンは車も飛行機もヘリコプターも、びっくりするような大型機が電動だったりする。
 そりゃ油汚れは抑えられるし、音も控えめだし、火傷の心配も少ないし、スイッチONで即作動は手軽だけれど、身体で覚えるガテン系・体育会系技術の楽しさを知る者としては、ちと物足りない気もする。

 あのエンジンやRCカーが、また好きな人のところで楽しんでもらって、叶うなら子供たち世代の成長の足しになってくれれば、これに勝る幸せは無い。
 そう、機械は扱いさえ間違えなければ、危険でもないし怖がる必要もないのだ。

 これでも明朝『重症の割に、もう手をかける時間が無いから』と修理を諦めた大型ファンヒーターに電気ストーブ、シーリングライト、電話FAX複合機2台、CDデッキなど車いっぱいに積んで、廃棄場に持ち込むのだ。
 まあ、いかなる事情であれ私にとってモノを捨てるのは大変にツラい作業である【239】

 何しろまず欲しいと思って手に入れたワケだし、その検討過程では一番いいと思うのを選んでいるはずだ。日常に馴染んで一緒に暮らした生活の記憶も積もっている。
 いっぽう作る側の立場としては、例えばストローや耳かきの一本でさえ、一番いいと思う設計をしているはずだ。もちろん工場では、きちんと品質管理のもと生産している。
 人がいいと思って作ったモノを、人がいいと思って選び取った以上は、なかなか捨てるに捨てられないのも仕方なかろう。とにもかくにも、私は現実解を見つけて処置を決めるしかないんだけど。

 そろそろ話をここ最近の路線に戻そう。
 東京五輪の諸施設しかり、豊洲の欠陥建屋しかり、大阪と四国のガッコしかり。これらは、誰が欲しいと思って、誰が手に入れて、誰がその成果に思い入れるモノなのだろうか?
 誰が、誰にとって一番いいと思う設計で作ったモノ、あるいは作るモノなのだろうか?
 これらに関わる生活を営んだ人々は、いずれ別れを惜しんで可能な限りの存続を望み、更には部品ひとつでも手元に置いて、ずっといつまでもその記憶を大事にして暮らそうとするのだろうか?

 常識的な法治国家で普通に法律を順守すれば、社会で少なくとも過半数の納得は得られる答が見つかるはずである。
 裏返せば、その答がいま見つからず提示できていないから、何をどう議論してアピールしようとも実質的な進展がゼロのままなのだ。

 敢えてのわざわざ、具体的に直言しておこう。
 上記一連の問題は日本社会の運営組織が老衰モードに陥ったこと、これが原因である。
 人がいいと思わないコトをするために、人がいいと思わないモノを作ってしまった。
 既得権益を持つ高齢者が僅かな余生で卑しくトクするため、ウチワの掟でこっそり税金を使い込む魂胆だったのだ。日本社会が従うはずの法律なんかハナから無視の確信犯である。
 次世代がその処置を要求される、将来財務の心配ができる人間の所業では到底ない。

 モノを大事にできない人間が、モノを作りその恩恵に預かる人間から、大事にされようはずもない。どいつもこいつも、いい加減に観念して、モノたちに謝って出直した方が良い。
 さあ逡巡と苦悩の一週間、後悔の無い決着を頑張るとしますかね。

【551】起死回生ライブラリーの棚卸し [ビジネス]

 『アトム・ザ・ビギニング』が最終回。
 機械が自我に目覚める瞬間がテーマだったのかな。なかなか面白い漫画だった。

 果たして、本来は計算機という意味のコンピューターは、演算機能を高めた結果として我々人間が感じるような『意識』を持ち得るのだろうか?
 ともあれ人工知能が漫画に出てくる人型ロボットたちのように、人間と等価で意思疎通するようなことになったとする。そして自分が人工知能を組む立場になったとすると、間違いなく『コイツをこんなヤツにしてやろう』という人格創造の作業が発生するはずだ。
 目の前に横たわる鉄腕アトムやドラえもんを前に、この風体ではハードボイルド系はやめといた方が良さそうだなあ…とか。

 では質問。
 ここにおいでの方には御馴染みの『組織と個人はフラクタル関係にある』という私の仮説を適用して、目前の鉄腕アトムを自組織に置き換えてみよう。例えば自分が立ち上げた会社だったとして、どんな組織にしたいだろうか?
 まあイケイケの躍進型でもよし、コツコツの地道型でもよし。
 ただ誰もが、絶対に成長志向の組織にしたいと思うはずである。では成長志向の組織とは、具体的にどんな組織だろうか?

 ありきたりだが、進化発展のためのチャレンジを繰り返して、勝率ぶん成果を積み上げていく形でしか実現しないだろう。では進化発展のためのチャレンジとは、具体的にどんな組織作動をいうのだろうか?

 組織力を維持強化し、売り上げを伸ばし、損害を減らして利益率を上げ、まあ現金で渡すなり福利厚生を手厚くするなり、社員にとって良いコトを増強する。社員を元気にする。うまくすれば会社を大きくもする。
 まあざっと当たり前のことばかりだが、薄らぼんやり最初に思いついた定常業務をこなすだけで、こんな嬉しい現象はまず起こらない。
 ああでもない、こうでもないと試行錯誤しながら、まさに勝率というくらいなので、失敗の可能性もあるが試して利益体質を構築していくしか手はないから、あれこれ知恵を出し合った上で作戦と志を申し合わせ、『よし、みんなでやってみよう!』とチャレンジに腹を括るワケだ。

 これもまたチャレンジというくらいだから、余裕綽々でもって左うちわで『ちょいと試してみれ』みたいな態度で結果が出るはずがなく、むしろ持ち出し資本で『これだけ入れ込んでんだから負けてなるかのひと勝負』となるのが常識的なセンだろう。
 まず利益性を期待できる案件をきちんと絞り出すこと、その勝率に賭けて試す価値ありと皆で信じ合うこと。まずこれが叶わなければ、組織の進化発展も成長志向もあったものではない。

 組織高齢化のシリーズになってから、閲覧数推移の傾向があからさまに変わった。
 更新直後の閲覧総数の立ち上がりが鈍る反面、日にちが経っても閲覧ペースがダレない。
 さらに最新回の閲覧数はこれまでよりも伸びが鈍化傾向にあり、そのかわり特定の過去ログを中心に再読の回数が増えている。

 いつもの通り、結論から行こう。
 イタ過ぎる図星を突かれて、ここを開いて冒頭チラ見の点々飛ばし読みでオシマイにし、その後の転送も読み返しもしないパターンが増えていると見た。
 その一方で、組織風土整備や人材能力開発、組織の意思決定などに関わる過去ログを、私よりむしろ先回りで洗い直しにかかるパターンが、どちらかというと少数派ながらはっきりと確認できる。恐らくは深刻な切迫感に突き動かされ、いま実際にやれる具体的行動のリストアップを急いでいる読者さんたちだろう。
 ならば、まだ若年層への帰納法式リーダーシップ更新をやる余力を残した組織のはずだ。こんなスカ野郎の書き残したテキトー駄文の羅列、よくも丁寧に御覧いただいてアタマ良く記憶体系に整理いただいているものだと感心する。
 私の知見が若者に一件でも多く、良質の居場所を提供するに役立つなら本望である。

 それは良いとして、【352】で私は以下の目標を掲げている。
  『いま自分の手元にある全てのものを、今後20年間で次世代に引き継ぐこと』
 既に随分と押し気味なのだ、急がないと。

【550】厳粛なるひらめき実験隊 [ビジネス]

 どこのとは言わんが前途ある若い衆よ、都議選の結果についてもう少し。
 ちょっと前まで、お宅らの組織みんなでやれドンだ大物だと祭り上げていて、いい気になって万能感たっぷりにあれこれと我を通していたヤツらに、かっちり責任を取らしとけよ。黒を白と言い張って尻拭いを押しつけてきたり、誰がどうにでもできる軽業務の処置を勝手にドンの承認制にして力関係を仕込んできたり、散々ジブン帝国のママゴト統治ごっこをなすりつけられたろ?
 その結末がこれだよ。一族郎党の全財産をもって組織に弁償させた上で、クビ刎ねときな。

 そんな酷いコトできません、ではない。
 それが正真正銘に完遂された事実を見極めて納得し、有権者は邪心の過ちを正した新世代つまりあなたがたに、これまでと別の可能性を感じ始めるのだ。逆にここがハンパだと、あなたがたの下積みのやり直しに不当な疑いがいつまでも付き纏う。
 組織マネジメントにあたっての必要事項と割り切れ、躊躇してはならない。

 落選者個々人の結果分析に、似たような駒でウチワ小世界を群れ直しただけの新派閥結成、こんなものに無駄な時間をかけて『また従来通り』の失敗を繰り返したいなら、そうすれば良い。社会はもう相手にしないと判定を下しており、お宅らの都議会での発言権も相応に消失しているのだから。

 昔も今もムズカシイなと思うのは、こういうのって組織も個人も『何か理由を受けて、それに納得して意識が刷新される』のではなく、『まるで偶然のように意識が切り換わり、その後から納得性のある根拠が後付けで習得されていく』という順番が目立つということである。
 だからこそ刷新する気がなければ、あらゆる原因から目をそらし旧態依然に執着するのだ。
 例えば【231】で、刷新の訪れとして持ち出した例え話はこう。

 『本屋で見つけた一冊の本や街角で見かけた小さな出来事に、まるごと価値観・世界観をひっくり返された経験は、大抵の方がお持ちだろう。実はこの前後であなたの人格像は激変している。
 そう、新しいプログラムをダウンロードして、パソコンの作動特性が一新されるように』

 生活習慣や人生観が有効差をもって切り換わる現象は、この発現形態こそ基本ではないかと最近考えるようになった。組織風土整備や個人の能力開発の場において、この『本気』を相手の胸中に起こさせるには、どうすればいいのだろうか。
 『今より凄いヤツに変わろう』という理屈抜きの決定が最初になされれば、そこを目掛けて物事を把握し理解を進めて自らの努力が続くものだ。積極的に進展に打ち込む環境を整備するためなら、必要な処置だって迷わず下す。
 こうして生活全部を総動員で目標達成に向けて合わせ込むぐらいでないと、そのチャレンジは続かないし実を結ばない。

 私は過去五十余年を振り返って、あんまり下手な鉄砲でムダ弾を撃ちまくっていない。
 仕事も趣味も『後悔の無さそうな、これ一本』を選んで、障害物競争積算式のジグザグ持久走で飽きず懲りず追究を重ねるうち、いつの間にかこんなことになっている。あれこれ幅広く考えているようなことを書いている割には『これ一本』が必要とする周辺事象や、『これ一本』から派生する応用展開だけで、今この瞬間をさばいているような気がする。

 まあ効率の良い課題設定と取り組みで過ごしてきた面白おかしい人生だとは自覚しているのだが、ここで鍵となるのは『後悔の無さそうな、これ一本』の的中率のはずなのだ。
 『これ一本』ゆえ、過ごしてきた時間には必ず相応の成果を得たつもりなので誰の何を見ても羨ましくないし、山谷や緩急も避けずよろけず納得と覚悟の正面突破で通過するので後悔もしない。たぶん本題に取り掛かっていられれば十分なので、感情の起伏にも左右されず、雑音に気を取られることも無く、息も上がらずに機嫌よく続くのだと思っている。

 だがこのスタイルを他人に仕込む方法論がまだ確立できていないのだ。
 ならばカタチから入るか。

 ここ5年ほど早寝遅起きを原則とする療養モードの生活サイクルだったが、久し振りに以前紹介した【204】『夏限定プチタイムスリップ企画』の再開にかかった。やはり早朝に起動した方が、普通の時間割の1日に一仕事多くこなせると思う。

 夏の早朝の空気を不快に思う人間はいないんだろうけど、まずいっぺん起きてみるかと思ってくれて、いざ起きてみたら意外に心身さわやかなので何かに頑張ってみようと思ってくれて、手近に三日坊主で気になっている課題があり、軽やかな決意でそのお試しにまでかかってくれるか…と考えると、やはり興味の糸を一本つなぐ気の利いた仕込みが欲しいところだ。
 学生さんなんか素直で習得の速い時期だし、ノッてくれりゃ効果あるよな。

 『いや、部活の朝練でもないのに、定期試験が終われば一発で元の生活に逆戻りっしょ』

 うっ…返す言葉も無い。で、大人は盆休みかよ。手強いな。
 北米社会が、あの総じて1日の前出し習慣を自然に行う雰囲気になる原動力って、つまるところ何なのだろう?恐らくはそこをきちんと研究せず、ただサマータイムを規則にして強制しただけだったのが、日本社会で定着に到らなかった本質的な敗因である。

 さて急遽今月いっぱいで納戸兼工房の旧実家を空けねばならなくなり、駆けずり回って自転車2台、冷蔵庫2台、洗濯機1台、天井吊電灯3台を引き取ってもらうことに成功した。そもそも何故こんなに余したかの問題は棚上げするとして、コイツらの送別前整備をしている最中ふと自作PCのCドライブ肥大病【538】の攻略を思い立ったのである。
 知らなかった手ではないのだが思うところあって躊躇してしまっており、だが急にトライアル決行の実感が訪れたのだ。

 そしてこんな時はやはりというか、結果は成功。数日にわたり何度か面倒臭くつっかえたものの、先行する克服の予感がよりどころになって頑張り切れてしまう顛末で解決である。
 くだんのCドライブは一気に使用領域85GBに整理され、肥大現象の再発防止まで施し、推奨ミニマム容量350GBにサイズ縮小し直して完了した。解ってしまえば、長年の悩みと逡巡に始まる一連の知見は、もう私の定常的能力のひとつである。

 これを定型フォームにして狙うべきかどうかはともかく、そうそう、物事が進む時って結構こういう流れなんだよな。
 これで良い知恵出ないもんかな。育ち盛り世代、私より遥かに頻繁に遭遇してると思うぞ。

【549】命懸けの終活二人羽織 [ビジネス]

 ん?いつもの手順ですんなりログインできんぞ。ま、解決したし、いっか。
 かつて私は組織風土改善の原理的プロセスとして、以下のように語っている【251】

 『従って組織活動の負担から隔離された立場の部外者でなければ原因事象のフェアな把握は難しく、これは物量作戦であると割り切った認識が不可欠だと思う。雛形コミュニケーションの発現数を優勢にするためには、単純計算で雛形分子を過半数にせねばならない。
 まず過半数の明朗快活部隊とごっそり入れ換える。旧態依然の陰険体質が直らない者はスキルレベルに関係なく排除だ。最後に浄化済のスキル保持者を核に、旧メンバーを戻して組織を再編成し完了である。
 これには公明正大な人格を持ち、どこの部署でもそこそこ使える柔軟性を備えたハイパーユニットの結成可否が勝負となる。この準備を整えるのは大変な難課題であるが、過半数を取れないハンパな組織改革ごっこで永遠に時間とコストとモチベーションを浪費し続けるよりは良いのではないか』

 そう、良い悪いの議論は別にして、『ウチワの掟』が支配する組織はそのまま現状維持で老衰させるか、中身を総入れ換えで全面更新するかの二択しかない。

 『ウチワの掟』は、複数の人間が同じ社会空間で過ごすうち発生してくる。同じ空間で過ごす者同士なので、コトを荒立てると気まずくなり居心地が悪くなる、それはイヤだ…という気おくれがつきまとい、だからちょっとした我儘やマナー違反もイタい直球の率直さをもって指摘されにくくなる。
 よからぬ欲を抱えた人間にとっては、周囲の反応をチラチラ窺いながら少しずつ繰り返し幅を利かせていく、箱庭的ジブン小帝国の安全地帯にしやすいワケだ。
 気心知れた場では無理ムチャ横暴やりたい放題のダメオヤジ、いざ初対面となると小学生相手にでも、名乗ることさえままならない。全権掌握を気取る親分風は、それを許してくれると確信した安全地帯の中ばかり、これがゴマメ内弁慶モードの真相である【47】
 人は誰しも社会空間毎に対人特性の作動プログラムを切り換えており【231】、故に一度それが完成されてしまうと、その後どんな納得性の高い根拠を心得たところで、明日から急に違う態度には改めにくいものだ。

 つまり組織の掟社会化は継時劣化現象であり、一度老衰した組織は元に戻らない。

 民間企業など営利組織は業績を落とさない至上目的があるため、掟社会化の弊害が出るのに先んじて、組織表のガラガラポンで大掃除するという発想が生まれる【398】
 だが役所の場合は、不慣れによる定常公務の失敗を避けるためにも、なかなかこういうリスク覚悟の老害クリーンアップには思い切れないだろう。
 だから組織が老いがちになり、忖度まみれの不正が起こりがちになり、ダメオヤジ裸劇が横行しがちになり、手酷い誤作動を何度繰り返しても御粗末な劣悪体質が改まりにくいのだ。

 例えば営利組織の場合、経営戦略のような稼動方針の共有コンセプトがまず明示されており、これを実現するために組織員たち各々が動く。
 だが誰の目にもパッと見で疑いなく映るような、経営戦略に描いた通りの現実が展開し、計画値そのままの利益がどしどし上がってくるなんてコトある訳がない。そもそも市場動向は読みづらいし、突発の不具合で損失は出るし、いっぽう冗談みたいな棚ボタ収益も転がり込むし、石ころにでも躓くようにヒット企画が出る。
 こんな予想外の現実に一喜一憂で振り回されず、長期安定した利益体質を維持できるよう、経営戦略なる指標をいつも頭に置いて我が身の実情を認識し直すのである。

 ここで大切な組織機能とは、情報伝達の速さと万事に中立かつ正確に働く判断力だ。
 あともうひとつ、今この現実をこうして生きていて本望だと確信する幸福感、これが精神力の盤石の安定を保証する。
 以上が目指すべき新生組織の骨格要件である。

 ここにおいでの結構な数の読者さんが、掟社会に関わった経験をお持ちのことと思う。
 思い起こしていただきたい。些末な日常の行為がウチワの掟に従って『しきたり』として厳守されているかどうかが最大の関心事で、どんな課題にぶち当たろうが、どんな事件が起ころうが、業務としての現実への対応意識は概して希薄だったはずである。
 そこでそうしていて幸せを感じている者などいないだろう。むしろ迷惑で馬鹿馬鹿しいママゴト裸劇の日常から、逃げ出せるものなら逃げ出したいという本音を押し殺して暮らしている。組織の健全経営など知ったことではないし、気にかける元気なんかとうの昔に失っている。
 遂に組織としての作動不振が大損害を発生させ、引責問題が巷からの外力主導で取り沙汰されるに到っても、組織ぐるみで事実曲解・理屈崩壊・文法度外視・虚言偽言なんでもアリの意味不明な言い訳を繰り返すだけだ。

 結局、口だけで何ひとつ動かさないまま、今まで通り居残り続けようとするのだ。
 それが存在意義みたいなものだから、しょうがないと言えばしょうがないのである。
 なりゆき現状の自分の日課以上のことに興味を持てず、失敗の痛みや非難の声に晒されてなお腰が上がらない。
 これはまさに、人間が老衰を迎える過程の光景ではないか【9】

 ここまで理解したら、生産性低迷に悩む組織に施すべき処置というのが、厳しいものながら具体的レベルで決心できるのではないかと思う。納得しよう、必要なことなのだ。
 それにしても都議選の勢力図、イイ感じの更新になったではないですか♪

【548】組織今昔タイムトリップ検証法 [ビジネス]

 7月が到来、もう2017年カレンダーの後ろ半分に突入かよ畜生。参ったね。
 とりあえず私の経験則を検証していく。組織風土の維持は帰納法的展開のコンセプトが必要であり、古株が『ウチワの掟』で支配する空気を作り込むと、組織は老衰していくというハナシである。

 ぐんと遡って【4】~【6】あたりの当時、何だか見覚えの聞き覚えでカタチだけ中途半端に採り入れて、実稼働感の裏付けがさっぱり無かった裁量労働制の問題について取り上げた。

 『居残って巻き返すか、他に移って次のチャンスを探すか、人生の帳尻合わせは本人次第の個人主義。辞められては困るというのなら、居残りを決意させたり、より有能な従業員を惹きつけるだけの魅力を維持する責任が、会社側にあるのだ。
 人材の補充源はかつての様式をひきずる日本社会、その中で人材を確保し競争を勝ち抜いていく。成果主義に移行した会社のうち、どれだけがこの厳しさを自覚しているのだろう』

 私はここで『かつての様式』という表現を使っているが、これは当時すでに過去のものになっていた年功序列を指して呼んだものではない。
 日本の職場が、『万人に共有される中立ルールに則って運営される組織への参画』ではなく、『実効支配権を持つウチワの掟に服従を迫る高齢化集団への帰属』になってしまっており、それがどうしようもない『職場の常識、世間の非常識』の空気になっているという意味だ。
 どうせ何もかも職場が何とかしてくれる、身を預けて終身雇用は保証されているという当て込みが、『この安泰の至上空間に誰もが逆らえずひれ伏す、ここで掟制度の後光にあやかればどんな自分勝手にも全員が調子を合わせる』という閉社会意識に化けていたのだ。

 もうそんな時代は終焉を迎えており、場所を選ばず通用する実力者との価値観・世界観のズレに気付いて、本来的な成果主義にきちんと移行し徹底しないと、優秀な人材を失うぞと警告を発したのである。10年を経て、いま解説できた。

 で、既に始まっていたはずの人材流出の本質的原因を認識させようと、こう書きました。

 『好きな仕事を一生懸命やり生活が充実しているのなら、かなりの障害を乗り越えてでも仕事を続けたいと誰もが思うものだ。逆に力尽きたり見限りをつけた場合、いち早くもめずに職場と縁を切る目的で理由を申告して消えていく。
 裁量労働制の採用とセットで、人事課には優れた興信所ならぬ興信係が不可欠なのだと思う』

 これは中立公正かつ明朗快活にカラクリが作動する公式ルールと、水面下で巧妙かつ執拗に人間関係に絡みついてくるウチワの掟の二重性を直視し、後者については『目をそらさず目的意識を持って摘発と撲滅にあたれ』と述べたつもりである。

 『できるヤツから辞めていく』という某社の管理職の嘆きを身近に聞いての回であった。
 ウチワの掟の傘下に入り、おもちゃ代わりの遣いっパシリになり、ういヤツういヤツと頭撫でられて嬉しいと思うような人生観は、自分の過去をいい加減にだらしなく使い捨てた老害高齢者ならではのものである。普通一般の感覚としては、迷惑だがわざわざモメるのも面倒なので、テキトーに調子を合わせといてやるか程度が関の山だろう。
 何しろ昭和ロートル組の群れ合う世界では、派閥だとか仲良しグループだとかのウチワ概念が横行し、誰々が近くて誰々が遠い、アイツは敵でコイツは味方、なんて噂話に事欠かない。連れメシ現象の動機もこれだ【163】

 懐柔されて、なびけば大々的な宣伝周知で飛び級式のお手盛り、なびかなければ狡猾に人目を避けた陰湿な嫌がらせ…みたいなウラ人事相関図マターが花盛りの職場が多過ぎたのである。
 仮に『目をかけられる』形でエサをぶら下げて寄ってこられ、『仲良くしようぜ』と耳元で囁かれようとも、そこにウチワの掟の存在を感じた途端、自律する体力を備えた若年層は軽蔑の念と共に離れていく。おのれの真白な可能性を自覚する人間は、自力で飛び立てる自由空間をまず求め、眼前に拡がる景色の彩りと上昇気流のありかを見出して、居場所を選ぶものだからだ【119】

 こうして老いた組織は若返りの手段を失い、老衰モードに移行していった。
 既存のメンツで個人都合の世界観を組み上げ、そこに若年層をテイ良く取り込もうとする動機は、いかに表っツラが友好的を演出した態度であっても、若年層にとっては、殊に元気で賢い若年層にとっては、激しく窮屈な拘束目的のトリモチに映るのである。

 だから、こんなものと隔離した他でサラっぴんの新組織を組み、老衰組織を淘汰するという解決策が成立するのだ。では次回に!

【547】人生スケジューラーの突発追記事項 [ビジネス]

 いまタイムリーでわかりやすいのは、大阪の右傾ガッコの件、四国のペット医者養成ガッコの件なんかだと思う。
 いずれも『みんなで支え合う国家社会として、学校はこういう規則で設置を決めて行くことにする』と定められていた。社会の中で、適性のあるやつが、適切な組織を組んで、健全な経営で学校を始められる保証をするためだ。

 だが現実はこれこの通り、道徳もマナーも崩壊し切った邪心の小世界ができあがっており、馴れ合い同士のカネトク威張り合いの都合だけで物事が決まっていた。
 法律を斜め読みどころの騒ぎではない。どこに何が記されていようが、最初から全く関知する気が無いとしか見えない。まあ馴れ合いのしるしに名誉ナンタラを引き受けてみたり、100万円の札束で袖の下を交換し示し合せたり、忖度役人たちに繰り返し無言の圧力をかけて違法行為の尻拭いもさせたりしながら、自分らの好き勝手に学校を設置する横暴の過程を楽しんでいたのだ。
 顔写真入りの人物相関図なんか頼まれても見たくない、汚らしく歳を喰った欲深で我儘な老人どもの閉社会集団である。右傾ガッコの件では『親を選べなかった可哀相な子供たち』として、ウチワに絡んでしまっていた次世代家族が何度か登場したが、若い彼等は意外とマトモに『馴れ合いの掟が通用する世界の果て』をわきまえていたところが興味深い。

 いま文科省の現場から次々と気合の入ったデスノート発行が続いているのを見るに、本来の組織力がいかに老害の掟の縛りに困っていたのかが窺い知れる。
 その果敢な戦意、報われると思うぞ。あなたがたの敵は老衰の一途が決まっている。
 文科省が歪んでいて、日本国の子供たちが真直ぐ成長できるかよ。頑張ろうぜ!

 道徳やルールは、個々人の衝突を減らして組織全体の稼動を向上させるためのものであり【108】、裏返すとそれは個々人発の原始的な欲求や思い込みに対しては抑圧の力として働く。
 でも、みんなで幸せにやりたいんだから、みんなに受け入れられる人間になって、快適な社会でその先の自分の時間を過ごす道を喜んで選び取るのだ。その方がきっと楽しい。
 この自律したハッピー志向の行動規範を維持する精神力のカナメは、私の知る限り『その先に伸びる、自分の幸福な時間』を実感し、現実のモノとしてそれを手に入れようとする『人生の希望』である。

 毎年ライブを開催している70歳超のギタリストが、ファンに向かって『来年もまた来てね、もうちょっと巧くなってて見せるからね♪』と呼びかけたそうな。
 自分に打ち込むべき能力向上の課題があり、その克服をもって社会が幸福になる。この役回りを確信できた幸せなモデルケースとして私の記憶に強く残っている話なのだが、こうなるためには揃えるべき条件があると思う。

 つまるところは『チカラ』だ。
 まず一定以上の技量で演奏『できる』こと、自分がその力を発揮して聴衆を魅了『できる』こと、そこから更に上を狙うチャレンジが『できる』こと、これらは自分の残りの人生をギリギリいっぱいまで消化試合にせず、最後の最後まで幸福をめがけ続ける資格要件として存在する。
 『どこまで行ける、まだまだ行ける、もっともっと行ける』で寿命が尽きるその日まで、やればやるほど面白い。これはチカラある者だけが挑戦できる生き様だとも思っている。
 このギタリスト氏は『気の持ちようが若い』という言い方もされるのだろうが、『年齢を重ねてなお十分な余力を持つ前途洋々の熟練者』というイメージで捉えた方が、人材能力開発的には的確なんだろうな。

 で、話を文科省の例に戻すと、これほどまでに頭抜けた素質を持つ訳でもないボンクラ管理職層が、総じて加齢でチカラを失ってしまい惨めな自分本位の保身に陥り、集団でこのルール無用の馴れ合い体たらくに甘んじていたのだと思う。過半数の管理職層が並あるいは並以下だとすると、もう抗えぬ宿命として職場丸ごとだらしない小世界の組織体質への転落は避けられない。

 まず調整に駆けまわり意見をぶつけ合い、社会の最適解を導き出す元気が無い。
 当然みんなを心の底から納得させ喜ばせ、胸の空く感覚を面白がる好意も無い。
 最後にそれじゃダメなのは判ってるが、直して明るい未来を呼び込む希望も無い。

 施しの遅れたこの卑小な高齢組織が老衰で崩れ始めた一方、見かけ上は既存の組織枠そのままだが、リアルの職場で人間の質として全く異質の若年側の新勢力が動き始めた。そういうことではないだろうか。
 そう、組織の内乱やターンオーバーではなく、『老衰する粗悪組織の消滅vs台頭する新興組織の誕生』と見るのが正しい。油断していったん若年層置換の帰納法的メンテによる組織生命力を途切れさせたら、もう組織の平均年齢を引き下げて生命力を取り戻す手段はこれしかない。

 先週末、とても残念な医療関連のニュースが流れたけれど、最後の最後まで家族親族・友人知人まで一致団結して奇跡を信じ、チカラを振り絞った一連の事実にまつわる記憶は、この社会全体の将来意識を大きく幸福方向に振った。あれだけ追い込まれて、やはり最後まで華やかな佇まいを失わなかったのは実に御立派、本当にオンナって凄いのだ。

 あなたの自組織の生命力は、ギリギリの一杯まで皆の幸福を狙えていますか?

【546】老いと若きの命運帰納法 [ビジネス]

 普段とてもやらないような計画の積み方をついやってしまったところ、慌ただしい毎日に陥った。何事も簡潔に最短距離を行きたいが、自分単独マターで完結している事象なんかほとんど無いので、そうもいかない。しょうがないか。

 割と当たってそうな仮説をひとつ思い付いたので、備忘がてら書き落としておこう。
 『失われた何ヵ年』で語られる日本国の生産性低下の主原因は、高齢化社会だと断ずる。
 どの立場の誰が悪いというハナシではなく、皆さんの身の振り・組織の振りをどうするか決めるための手掛りにしていただければ幸いである。

 数学的帰納法を思い出してみようか。例えば、こんな命題。
 『xを含む方程式これこれが、自然数nに対し常に成立することを証明せよ』

 まず理屈はいいからx=nの時に成立したとしてしまおう。とにかく成立した。ハイ次!
 じゃあ次は、ひとつ進めてx=n+1の時を考える。
 xにn+1を代入し、式をちょちょいと変形するなど頭を使って、『x=nで成立するならば、x=n+1の時も成立する』と数学的に証明する。『もし今がOKならばの話だけど、とにかくOKならば、ひとつ先でも必ずOKになる』という理屈を立てるのだ。
 最後にx=1のとき成立することを、ホントに1を代入しベタにOKだと述べる。すると。

 『x=1でOKなんだから、ひとつ先のx=2でもOKのはず』
 『x=2でOKなんだから、ひとつ先のx=3でもOKのはず』といった具合に、
ドミノ倒しのように全ての自然数nで成立が証明され、めでたしめでたし…これである。

 ここまでで数学は横に置くとして、今度は職場風土の話題に飛ぶ。
 ここで私は一貫して『若年層をどんどん元気にして、組織の主導権を預けよう』と述べてきたが、これに対して年長組の反応は大きく二分されると思う。
  1.よし、自分らも同じように若年層に預けてみるか。彼等の言う通りにしてみよう。
  2.けっ、またその話かよ。若いのになつかれるからって、それが正しいのかよ。
 正直に徹して、あなたはどちらだろうか。
 実は普通に察して、個人の本心は2.が多数派のはずなのだ。理由は単純、年長である自分が自負する優越感を否定されるからである。

 次は個々人ではなく組織のことを考えてみよう。
 経験は浅いが体力に溢れた若年層がたくさんいる組織と、経験量は多いが体力が低下した年長層がたくさんいる組織、どちらがパワフルで発展的だろうか?
 もちろん若年層主導の前者である。
 自組織のパワーを強化したければ、望むと望まざると年長が2.の反感に蓋をして、俄か造りの1.の愛想で釣って『さあ頑張れ、キミたちの時代だ!』と宣言してやり、若年層をできるだけ呼び込んでくる必要があるのだ。

 だが、ここで問題が発生する。人間の内心は必ず表面化して顕れると述べた【70】
 『けっ!』などと腹によからぬ感情を抱えた年長の裏含みの歓迎は、果たして若年層の心に響くものなのか?それで若年層はちゃんと信用してくれるものなのか?

 絶対ムリだ。悲しいかな、苦労して好意を取り繕ったのに報われない。
 ならば2.の反感をありのままの自分と認め、無理せず据え置く方を選んでしまおう。
 すると…

 当たり前だが、ますます若年層が寄りつかなくなる。その結果はこうだ。

 まさに『若いのになつかれるからって、それが正しいのかよ』と不満の念を抱きつつ、正しくないことを正しくないと承知もしながら、あぶれたロートル同士で開き直り、それをお互い認め合う小世界ができあがる。
 好き放題で道徳もマナーも荒れるがまま、もう無垢な若年層の手前もないんだし、何の基準に照らして正しくなくても構わない。現状上等、なりゆきの人間関係こそがこの世界の掟、気楽に行こうや。
 もう若年層はみな遥か彼方に遠ざかり、集まるのは同種の年長ばかりだ。

 要は、最初に若年層に対して内心『けっ!』と反感で反応してしまったら、一応ムリして見てくれを繕おうが、逆に繕わず開き直ろうが、結局どっちにしても若年層には敬遠されることになるのだ。まあ人付き合いの基本ではある。
 あとは上記の通り、帰納法式に『もう2.の反感でいいじゃん』の連鎖が永続していくだけだ。
 こうなると既存メンバーが一斉に年齢を重ねるままに組織の高齢化が進行し、世代交代できずに老衰していくしかない。いずれ誰もが稼動年齢の限界に達するから、組織が寿命を迎えるのは時間の問題となる。

 高齢化が進行する日本社会で、冷徹な発現確率の高さに従って、いま多数の組織がこの過程にあるのではないだろうか。

 反対に、ずっと自組織を若く健康な元気印に保ちたいなら、こうなる前に常時自分よりちょっと下の世代が、意欲満々で自分の現ポストに飛び込んで来ようとする状態を作り続けねばならない。
 これを実現し固守し、一定の頃合いを見計らって若年側に順送りで組織を譲り渡していくなら、やはり帰納法式に1.の『よし!自分も』と次々若年層を応援してパワーアップする組織体制の連鎖が紡がれていく。
 ガチの本気で1.の若年層親衛隊をやってやる。これが安定した世代交代の鍵であり、つまるところ年長組の気の持ちようでしかない。
 正直な本心として『よし!自分も』が可能な気力のあるうちに実践しないと、若年層を逃がしてしまった後では物理的に組織若返りの現実解を失う。

 もっともこの時代、余計な悪あがきをせず、若返りはもうしないと割り切って現行組織の余生を楽しむという選択もあるだろう。状況次第で、あながち悪いだけの決断とも言えない。

 そもそも若い活力への反発感情は宿命に抗えない劣等感が根底にあるため、自制を効かせるのが非常に困難だ。こんなもの他人から働きかけて直させようものなら、徒労感いっぱいの大人げない情操教育バトルにしかなり得ない。傍目にはレクリエーション扱いするにも馬鹿馬鹿し過ぎて、仲間たちは見て呆れて腹こそ立てても、取り合う気なんか微塵もしないだろう。
 だからこそ高い確率で手当てを嫌われ未対応放置になり、日本中の組織で高齢化が深刻な病状レベルにまで進行していったのではないかなあ。

 こんな職場に今さらでホヤホヤの新人を投入しても、ロートルとの関係は満員電車で乗り合わせただけの通りすがりみたいなものにしかならず、組織として一体となり作動するのは不可能と思われる。組織体質が改善できないのだ。

 年齢別人口構成グラフに見る少子高齢化よりも遥かに極端に、社会組織から実質的に若年層の人数が激減し、社会組織の高齢化が進んでいた。
 これに伴う組織気質の漫然化・冗長化により、どこもかしこも合理性や生産性があやふやになり、総じて低迷と閉塞の泥沼から抜け出せなくなっていった。

 こう考えると職場風土整備の経験則にいろいろと説明の整理がつくことに気付き、大慌てで一気に作文してみた。
 引き続き、ここで取り上げてきた組織風土の諸問題について、この仮説を検証して行こう。
前の10件 | -
メッセージを送る