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【572】無限老人介護プラン『タダの学び舎』月額提示 [ビジネス]

 ハイまたいつものやつ、始まり始まり~、ってか。馬鹿馬鹿しいを通り越して情けないよ。
 世襲のガキが言葉はぐらかして海外に高跳び、そこをすかさず全マスコミが口裏合わせて『ソーリが衆院解散を決定、日程はいつ頃か!?』の大合唱。
 あとは与野党の雑魚どもが…って世襲のガキ以下、すべからく雑魚しかいないから別に線引きは無いんだが、軒並もう解散が決定的で自分はその準備態勢に入ってるというテイでくっちゃべる。
 『ナニがなんだかわかんない…じゃなかった、自分らでわざとナニが何だかわかんなくしてるんだけどさあ、もうこの雰囲気だから解散にしちゃおうよ』と仕向けているワケだ。
 こんだけ低レベルな企みの起案者・主謀者をぼやかす意図もあって、毎度『ガキ逃亡で不在→雑魚とマスコミ大合唱』が定番のパターンになるってとこか。
 我々一般国民は、当面あんまり本気にせず軽蔑と嘲笑で応えるのがよろしい。

 『何のための解散か』だって? いつもの通り、結論から行く。

 今ここで解散を吹聴する目的は、
  軽減税率のカコツケ導入を至上目的とした、消費税率10%への引上げ強行
で間違いないだろう。
 他にも目的があるかも知れないが、まずまずコイツが最重要ターゲットのはずだ。

 今の議会は、『現状日本の経済状況では消費税10%はムリ』と判断した議会である。
 後に、どうにかウソでも『消費税率10%は可能』という根拠をでっちあげようともがきつづけたが、ことごとく失敗。まあ筋の通った実効性を期待できる経済活性化策なんぞ何ひとつやらなかったのだから、道理といえば道理である。

 そう、軽減税率を一刻も早く、全国民の反対を押し切ってでも導入したいヤツがいる【349】
 『もうムリでも破滅でもいいじゃん、消費税率を10%にしちゃえよ』という議決ができる議会に入れ換える必要があるってことだ。
 消費税率および軽減税率に関しては公約で一切触れず、それで選挙やって、他の公約ででもとにかく当選した議員どもは、日本経済に対する現・衆議院の見解なんかナイナイのパー、完全ゼロリセットで議論を始められる。
 晴れて日本経済の好転傾向なんか待たずして、『ムリでも破滅でもいいじゃん、消費税率を10%にしちゃえよ』と言い出せる。
 新しい公約で選ばれた新しい議員による、新しい議会。そういうことだろう。

 で、まずは公務員定年65歳引上げを決め、その汚い老人のヒマでラクチンな仕事を文字通り公務として用意するために、軽減税率の導入がどうしても必要になってくると。
 児童の6人にひとりが貧困状態と言われるほど若年層家族の経済水準が危うい日本社会で、その苦しい社会層こそが、日用品の買い物レシートを整理して時間と手間と交通費をかけて、軽減ぶんの税金還付の申請を届け出なければならない。その還付額は実際ロクなもんじゃないが【435】、それでも僅かな還付金を得るため過労の我が身に鞭打たざるを得ない人は実際いるだろうし、一方『こんな無駄やってられるか』で放置した人は、払い過ぎの税金を盗られっ放しでオシマイである。
 もちろん、この還付手続きをするための事務所を日本中に設置し、組織表を組んだ人員体制にして高額の人件費を支払うワケだが、その財源は全て我々の税金である。これを読んで直感できると思うが、一度これを走らせたら、今度は廃止しようとすると全国無数の事務所を閉める非現実的な手間が発生することになろう【431】

 『消費税率引き上げ分で子育て支援、教育無償化』
はケッコーな耳あたりだが、それを未来永劫遥かに超える
 『汚い老人のラクとトクのための、若年層負担の更なる積み足し』
こそが本丸の目的事象であることに気付いておこう。
 ここでも何度か対策を提唱しているが、せっかく好奇心も興味も意欲もあるのに、家庭の経済的事情で望むままに学べない子供や若者がいる。どなたも一度、直接お話する機会を持つことを強くお勧めしておく。

 公務員定年の余計な引き上げと、軽減税率による超巨大無駄公務の受け皿をセット導入。
 この第何次かのダメ政権はかねてから率先してこんなことを進めてきており、コトここに到ってガラガラポンで、早い話が『脳みそ狂って頭パッパラで、ナニがどうなっても消費税率10%やっちゃうもんね、軽減税率やっちゃうもんね、やっちゃったもん勝ちだもんね~』の新議会を組みたいのだ。
 これがやれちゃえば、強行採決連発の大暴走祭りは得意技。
 『また』あれを見たくないのなら、阻止する責任を我々国民ひとりひとりで負わねばならない。

 世襲のガキは、日銀にカネばら撒かせて経済の要所要所をちょいとそそのかせば、一時的にでも景気指標は思いのままアップすると当て込んでいた。日本経済再生のヒーローに仕立て上げてもらいつつ、老人どもとの取引もクリアして頭を撫でてもらえる計画だった。
 だがそこには読み違いがあり、軽減税率の導入が足止めされてしまったのだ。どうにか挽回に悪あがきを続けていられればまだ良かったが、このあたりから他で一気にボロが出始めてしまった。
 ガッコをめぐる贈収賄の不正を突つき出され、答弁のたび真正面以上の角度に顔を上げられなくなり、そのまま臨時国会を迎えるという最悪の膠着状態に陥ったのは御存知の通り。

 『おいおいハナシが違うじゃないか、かっこいい政界サラブレッドのおぼっちゃまくん?』
 怖い怖い年長さんにネクタイ鷲掴みにされ、詰め寄られ、睨みあげられ、ズボンの前びしょびしょにしながら涙目でうなずいたんだろう。
 昔はちょくちょく耳にした『政界のサラブレッド』という表現、その正体は、まさに本州の西の端で恥と災いの血筋が間違えてひり出した不正フヌケの卑怯者である。

 …と、ここまで決めつけておいて、まずは現実の行方を確認してみますかね。
 他に書きたいことあったのに、このくだらないことに一回使ってしまった。やれやれ。
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【571】果てなき希望は結論スタート [ビジネス]

 また半島からミサイル発射か。
 結構な威力の核実験もやっちゃったし、これまでとは軍事情勢の世界絵図が変わりそうだ。

 以前なら『日本に脅威が降りかかった時、米軍は日本をどのくらい守ってくれるのか』という論争だったが、今や『米軍拠点に脅威が降りかかった時、日本は米軍をどのくらい守ってあげられるのか』という立場逆転の設問になってきた。
 北米に他国からの攻撃が到達する前に、第三者的立場から日本国がそれを撃破する。
 これは現状世界の軍事情勢に照らして、平和的な未来を狙える回答となるのだろうか?

 御存知の通り、EUは英国離脱による混迷であらゆる機能が何だかはっきりしなくなっているし、北米は偏り承知で原始的・直感的に栄華期回帰を目指すトランプ政権が国内摩擦を散発させ、これも明るく生産的な将来像がなかなか見えてこない。
 ならば数量規模にまかせた傍若無人の振舞いを得意とする中国が台頭するかというと、これまた従来の場当たり的な無理の蓄積による内情の歪みがいよいよ本格化してきているようで、今ここで新時代の国力拮抗の構図をイメージする基準とはなり得ていない。
 半島の若ダンナが何をどっちへ転覆させようとしているかは知らないし、そこまでの狙いがあるかどうかも判らないが、まあ世界のどこにも従わない孤高の軍事力をアピールするには好機だといえよう。私自身も、北米を始めどこか他国に、彼が本気でミサイルを落とす気は無いと読んでいる。
 ただ明らかに『これまでなかった厄介なヤツの存在感』が半島に強調されたのは間違いない。

 今の子供たちが日本社会で生産年齢に達する頃、世界はどうなっているのだろう?
 異文化同士が地続きで共存する大陸とは異なり、やはり日本列島という限定的な自然国土の拡がりを国家組織に重ね合わせて管理できる日本国は、自社会の自己管理がやりやすいという点で圧倒的に有利だと思う。だからこそこの恵まれた条件にも関わらず管理を失敗して、社会を破綻させてしまうようなことがあってはならない。
 表現がちょっとアレだが、他んちがどうなるかはともかく我々ラッキーな島国民族は、日本国をこのくくりとして幸福を目指すのが効率よく賢いのだ。
 あちこち国境や国家間連携枠がぼやけ国家像が不明瞭になって、各地で国家単位の社会コントロールが崩れて来ようが、そんな混沌のなか真横の半島で戦火が立ち上ろうが、まずこの自然豊かな38万平方キロの島嶼に乗っかった1億2千万の国民が、お互い同胞として協力し助け合い、生き抜く決意を固める必要がある。

 これまで日本のバカな大人たちがいい加減に放置して済ませて来ていたことに、順次結論を出していく時代になっているのではないだろうか。
 私は流行語大賞なんかにはさらさら興味がないクチだが、今年の流行語をひとつ提案する。

 『結論から行こう』でどうだ?

 結論として、自分なりの世界観で『やりたいこと』『やるべきこと』が決まっていて、その具体的方策として『どうしても欲しいモノ』や『こうなって欲しいという未来絵図』が確定できていれば、それらを求め何がどこまで現実に効くかはともかく、やれる・試せると思うことには手を尽せる。
 だがバカな大人はテキトーななりゆき任せの他力本願で結構シアワセになれると思い込んで来たから、最初の結論の部分があやふやというか、まともに存在しないのだ。だからロクな根拠もないまま、そのまんまのテキトー人生で従来文化の周囲に流されるまま、そこそこラクチンに寿命一杯を過ごせるとも思っている。

 こういう手合いは後ろめたさに蓋をしつつ邪心の悪事を見て見ぬふりで見逃すし、だってしょうがないと言い訳しつつ群衆に紛れて破滅工作の神輿を担いだりもするワケだが、こういうのを片っ端から『無結論の無責任』と引っ立て、どうするつもりか結論から問い詰めていくのだ。
 しぶとくとぼけるようなら、公衆の面前で『無責任につき発言資格ナシ』と断じて、そのレッテルを眉間にでも貼り付けてやれば良かろう。

 いや、実は前々回にやった軽減税率の話の閲覧数がえらい勢いで伸びてるもんで。
 いま公務員定年65歳引上げの計画が先行する形になっているが、まあ大体どういう目論見だったのかは察しが付くだろう。定年引上げだけだと、年老いた公務員が余るばかりでしかないからね。

 きちんと考えよう。我々日本国民は、日本社会をどうしたいのだろうか?
 整然と完成された未来社会の全体像なんかで答えなくて結構、まずは
  『日本国民は、軽減税率などという超巨大無駄公務を導入したいと思っているのか』
にYES or NOで答を出そう。思考の起点となるあなたの回答はどちらだろうか。
 いま少なくとも日本社会の有効数でYESが確定してもいないのに、勝手に国民の税金が軽減税率の準備に使われているという事実がある。

 お隣で火遊びを繰り返す若ダンナとどっちが危険だろうかね?
 それを知り置きながら頑なに口を閉ざすマスメディアは、日本社会にとって安全だろうか?

 しまった、夏休みの自由研究の課題にするには遅すぎたか。
 大人たちは、軽減税率の口封じをナニと交換して素知らぬ顔で生きているのだろうか。
 若者たち子供たち、自分の仮説を突き付けて大人の胸ぐら掴んで訊いてみな。
 気合いを入れて、やってみたまえ!
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【570】無理めマイタウンの蛇つかい [ビジネス]

 ここ最近ちょっと大きめの建物の用地選定に関わる機会が増えている。

 一般家屋よりちょっと大きめとなると、やはり少々山の方に行くのが安くてラクな訳だけれど、平成初期あたりの造成地なんかを見ると『なんでまた、ここを宅地開発するかなあ』と改めて呆れるケースに遭遇する。
 数年前、集中豪雨による災害で大きな被害を出した広島某所が、元々『八木蛇落地悪谷(やぎじゃらくじあしだに)』と呼ばれていた一帯だったという話があちこち紹介されていたのは御記憶にあるかと思う。

 山麓の谷は雨水を一本の川にかき集めて激しい土石流にし、付近にあるものを押し流してしまう。これを昔の人は、蛇が大暴れしながら駆け下りる姿に例えて『蛇落地』と呼んだのだという。土地利用するにも水浸しになりやすく難しかったろうし、しょっちゅう土石流も喰らうとなると、当然『悪谷』ということにもなる。

 みんな一定年齢で結婚して一軒家を買うのが定番の人生展開だった20世紀、そんな場所にまで宅地開発が進められ、主に不動産屋のネガティブ印象隠しのため『八木上楽地芦谷(やぎじょうらくちあしたに)』に地名変更されたとのこと。
 そこが被災したのは、起こるべくして起こった災害といえまいか…という内容の話であった。

 まあこれ単独でざっと読む限りは筋が通っていて納得できるのだが、細かく検証していくと他にも音読変化の可能性があり、損得事情がぴたりハマるからって不動産屋の悪意に結び付けるのはちょっと…という論説もあるようだ。

 先日某所のV字谷でまさに『蛇』の字がつく地名に出遭い、少なくともそこの植生や浸食状況を見る限りでは、土石流による暴れ川のイメージはよく当たっていた。
 土地区画の境界線や建物の様式から察するに、恐らくは川に沿って、川から被災しない高さまで上がったところに道が走り、もともとは道沿いに小さな集落があっただけと思われる。
 ところがこれを、V字谷の斜面を這い上がるように宅地造成しているのだ。造成地の高いところで転がる物を落としたりしたら、冗談でなく一気に100メートル以上を転がり落ちて下まで行くほどであり、暮らすには相当の気合いが要ると見た。
 バブル期の造成だという話だったから、造った方も買った方もその場の儲けの事しか頭になかったのだろう。現状で更地の残数が全体の1/3、空家の廃墟が1/5といったところか。

 もちろん我々は傾斜がまともにそのキツさになる手前の高台を狙い、まず自分らより上から落ちてくる『蛇』がいない、通り道にもならない、そのあたりの基本から痕跡なども探しながら地形を確認していくワケだ。最近の雨だと流れて落ちる水はけというよりは、暴力的な水流の破壊力のベクトルを避ける水はけを考えておかねばならない。避けたベクトルは最下流まで解放してやらないと、あっという間に溢れる。
 熱マネジメント【425】ならぬ、排水マネジメントを敷地計画の初期段階から造り込みにかかる必要がある時代だと思う。

 いや、ここで勝手に詳細を語る訳にもいかないのだが、つい最近、私の旧来の知人が思い立って始めた計画なのだ。
 割とお歳を召されているのだが、『面白そう、やりたい』となったら、一度きりの人生、生きてるうちに頑張っちゃえ!で一気に突走るのが好きな人なので、見ていて痛快である。
 いつも次の世代の成長を考え、自分の持ち駒で未来を狙おうとする人は、歳を重ねて言葉も行動も老いることがない。
 この一件、なかなか面白いモノができるのではないかと思っている。

 例年大雨のニュースが増える季節だが、久し振りに山間部の造成地を見ながら、以前とは違う形で水の心配をしている自分に気が付いたので備忘がてら書き落としてみた。
 意外にも土地の起伏と水流の物理的推測を整理して文章にするのは難しく、珍しく何度も迷った上にわかりづらい回になりました。いずれ続編で決着できると良いのだが。
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【569】沈黙Jアラートのミュート解除ボタン [ビジネス]

 このところ、お隣の半島方面がえらく騒々しいことになってきた。世界情勢に揺さぶりをかけてやろうという入力の意図が感じられるが、何をどう揺さぶるかの青写真はあるのだろうか?
 ここで闇雲に不安を煽っても良い事なんかひとつも無いし、当然そのつもりも無いんだが、半島でまた諍いが起こるにせよ、我々の頭越しに飛び道具がかっ飛ぶにせよ、この日本列島がただ他人事を決め込んで済む位置関係ではなかろう。

 ここまでで収まる限りの話ながら、我々日本人がおのれを見直す好機なのかも知れない。
 隅々まで高度文明化が進んだこの日本列島は、近隣を含めてたまたま過激な国家間の衝突や民族の流入出が無い時期を、かなりの長期間過ごしてきた。だがもちろん、コトの行方次第では守りを固めて積極的に国境を管理しないと、日本国は今の平穏な運用状況を維持できない。

 仮に半島が戦火に覆われたとして、居場所を失った人々の相当数が日本海を渡って日本列島を目指すだろう。また大気に影響する何かが使われたら、それは黄砂のように偏西風に乗って日本列島に飛来する。
 重力に逆らう飛び道具は、何か失敗すると基本的に飛距離が伸びない側に落ちるため、頭越しに応酬をやられた日にはたまったものではない。だからって『やめといてくれ』も『失敗したら責任とってもらうぞ』も当事者たちの意識に何ら響く言葉ではないだろう。

 こんなに大変な事態なのに、日本の行政の、一応リーダーポストにいるのがどんなヤツかというと、100万そこらの札束小遣いでこそこそダメオヤジ帝国の損得ママゴトを噛み合わせながら、たかがガッコの建設事業で不正の小細工を働く程度のゴマメ小僧でしかないのだ。
 おまけにコイツは数々の指摘を黙てん放置して、昭和政界式に非難と不信感の風化を狙ったところが、この時代そのまま信用失墜し影だけ薄くなって今がある。端的に、日本列島に降りかかる危機に対して、的確な処置を迅速に判断できる人間がいないのが現状だ。

 それでも現時点で、日本国の自我の本心として実効国防力の必要性が認識できていたのは不幸中の幸いであり、要は何だかんだで自衛隊が現有この軍事力でいてくれるから、行政リーダーポストがこの体たらくでも、この安心感が維持できているのだ。
 私の知る限り、現場最前線の自衛隊員が各自の胸中に持つ国家防衛の志は信頼に値するものであり、つくづく頭が下がるとともに、心強く頼もしくもある。
 日本は本当に良い国だと思う。

 ところで、今のうち久し振りに言及しておく。
 『勝利』が後先を考えない至上目的となる紛争ゴトは、時に限定的ながら周辺経済を活性化させる作用があるのだが、万々がイチこれにより、日本経済に好転らしき傾向が顕れたとしても、絶対に軽減税率の導入だけは阻止せねばならない。
 その反社会性、破滅性は何度も解説してきた通りであり、自分自身にしても子供たちにしても、将来のある世代として今これに関わっている立場の皆さんは、デスノート作成【472】を人生充実計画の最重要課題として全力で取り組んでいただきたい。

 いま公開されている来年度概算要求の基本的方針を読んでみよう。
 『軽減税率』の文字はすっかり伏せられているが、『消費税率引上げと併せ行う充実等』という回り道の表現が滑り込ませてある一方で、『前年度当初予算の例に基づき処方の額を要求するものとし、その対前年度からの増加の取扱いについては…』と続く。

 結論から行こう。
 来年度も『軽減税率』名目で、今年度以上の予算をつける企みが進行中である。

 いずれ一方的に施行の時期を固めて、強行採決のゴリ押しで来るか、水面下で強行決定の材料を揃えて開示とともに施行宣言するかのどちらかを狙っているはずだ。
 日本国民全員でこの準備動向に注意し徹底的に阻止するとともに、この執拗な悪意の所在がどこにあるかを突き止め、炙り出し、根絶する必要があると思う【349】、【431】、【433】~【438】

 何しろシンシでテーネーな自称リーダーの贈収賄フヌケ野郎は、まだ経済重視だ何だと寝言をつぶやく割には、この軽減税率に関してはスルリとすっとぼけて一切触れないし、実に日本中の全メディアが揃いも揃って見て見ぬふりの完全スルーなんだから、どいつもこいつもよっぽど厄介なところで首根っこ抑えられて、口封じされてるんだよ。
 ならば、ここは国民総出、特に身内のゾーンから気の利いた『内部告発砲』や『密告砲』でもぶっ放すところから始めないと、このままでは邪心の仕込みにどんどん税金が注ぎ込まれていくだけだ。
 未来に人生の余白を自覚している公務員さんたち、一発よろしくお願いしますよ。

 先日とある場所で、主に学生さん相手のつもりでほんの軽~く良いところを見せたら、意外にも目ざとい小学生に先に群がられてしまい参った。もっとも彼等だって5年もすれば、梅棹忠夫先生にアタマいい質問状を送りつけた少年の年齢に達するんだもんな【260】
 学生さんより反抗期ひとつぶん未履修のマッサラな心で憧れてくれる若い学習意欲、賢く立派に育った20年後も私なんかに少しぐらい興味を持ってくれたりするのだろうか。
 強くなれ、賢くなれ、みんなで幸福な日本国を創れ。

 その彼等がまず率先して幸せであってくれないと困るのだ。再度繰り返しておく。

 なぜ軽減税率が導入検討の段階にありながら、年々準備の予算が増額されていくのか。
 なぜ全メディアが、それを一般社会に隠すのかの如く知らん顔で口を噤んでいるのか。
 外の敵にJアラートが鳴るのを待つだけでは、我々日本人の平和な生活は守れない。
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【568】野性と知性で学ぶ、びっくりどっきり天変地異 [ビジネス]

 少々日が経ってしまったが、北米の広範囲で皆既日食が観測されたのは御存知の通り。
 部分日食や金環食ならともかく、皆既日食って圧倒的な別格感あるじゃないですか。
 北米社会の生産力が目に見えて落ちたとか。そりゃみんな他を放りだして見るさ。

 私にとっては何年か前の早朝に金環食をズレた場所から見たのが人生最大の日食体験である。ズレていたので正確には部分日食であり金環食にまでなっていない。それでも明らかに薄暗くなって鳥はねぐらに向かい、あちこちの草むらで虫の声が聞こえて来たのには、プチ天変地異を感じて大いに楽しかった。
 皆既日食、いっぺん見てみたいぞ。皆既月食はもっと高頻度だし何回も見たけれど。

 ちょうど今頃の季節、8月末から9月初だったんじゃなかったっけかな。私が小学校6年生か中学1年生かどっちかの時のはずだ。幼馴染みの仲良し三人組で『皆既月食オールナイト観測隊』を結成したものである。
 子供3人だけで、いつもなら就寝する時刻に近くの河川敷に出かけ、未明から夜明け直前までの皆既月食を見て朝帰りするというものだ。おお、今の時代なら到底あり得ない、保護者義務放棄のチャレンジャー企画であることよ。そもそも河川敷は昼間でも、学校規則的には子供同士で行ってはいけないとされていた。
 親たちも、まあ並以上には元気なのが三匹もつるめば、余程のコトでもない限り深刻な事件になるような心配は無いと判断したのだろう。まだコンビニが普及していなかった当時、めいめいが各自の親に夜食の包みなんか持たされたりして、ドッキドキのワックワクで深夜の住宅地の一角に集合した。
 『巡回しているオマワリさんにでも見つかったら面倒なことになるから、うまくやりなよ』とかアドバイスするんだから、まあ当時は親もなかなか腕白だったのかも知れない。今の時代の、荒んだ社会性喪失に起因するバカ親の奇行と比較考察されたい。
 ともあれ作戦決行である。楽しかったなあー!

 川面に映る対岸のビル群の夜景を眺めつつ、昼間は広大な広場として草野球グランドやラジコン飛行場にもなっている河川敷の夜の姿は、子供にとって実にエキサイティングであった。月明りできれいに影が落ちるほどの好天の一夜につき、テレビのオカルト特集でやっていた宇宙人の映像のマネをして、そこら中ぎゃあぎゃあ走り回って騒ぎ倒したのを憶えている。
 この年頃の男子というのはつくづく知能が下等な生き物だと痛感するが、まあ確かにあれなら大抵の不審者には余裕で勝てた。

 一応、私以外のどちらかが天体望遠鏡を持ってきており、失われていく月明かりの中、やがて始まった月食を交代で飽きず懲りず観測しては『赤い、凄い』『うおーコワい』とはしゃぎ続けたものだ。
 もう皆既月食になる頃には、気分は原始人の祈祷儀式のクライマックスである。酒も飲まずにあれだけハイになれたというのは、禁断の深夜、禁断の河川敷で、大人の手を借りず思い立って計画し即実行、セン公から感想文もレポートも求められない、自由な自主体験学習のなせる業だったのだろうか。
 …というか、余計な高度文明の知識がなかった時代、深夜の群落でたまたま一人が気付いたお月さまの大異変に、一同が似たような状態に陥ったのではないか?
 不吉の予兆だとか何だとかいう前に、まず盲滅法に騒いだ可能性を感じてしまう。

 下調べの資料をどっさり持って、親の車で天文観測所に出かける学習企画、これはこれで絶対面白いし、ためになるし、学術的な好奇心を満たしながら論理的に記憶を蓄積していく上でとても重要である。だが情報に溢れたこんな時代だからこそ、子供たちのまっさらな『野性』『動物的』『非文化』みたいな領域がまっさらなうちに、そこに直球勝負で響くような冒険を体験させてやりたい。
 親の庇護の影を感じない世界で、得体の知れないモノを好きなように学ぶ時間を与えてやりたい。

 そこらの自然公園なんかだと、今どき何をどう管理しても悪い人間が侵入して潜んでしまうと思われるので、例えばメガフロートに会場設定して一本橋あるいは渡し船のみにアクセス制限し、さらに念には念を入れて護身術や簡単なサバイバル術を事前習得させた上で、子供たちを単独あるいは少数ユニットで一昼夜野放しにするというのはどうだろうか。
 怖いとか寂しいとか泣きが入る子供もいるのだろうが、親の方にも、思い切ってその感情にある我が子を自由にさせる体験を、意図的に組んでやらないといけなくなっているような気がする。怖い・寂しいはネガティブ感情だが、だから消す・避けるではなく、それを捌く力を育てるための実地訓練の場が欲しい。いかがだろうか?

 結局、月食の終了とほぼ同時に空が白み始め、一夜通して眠気を感じることも無いまま爽やかな朝の空気の中、満足感たっぷりの解散宣言を経て帰宅した。
 あの一夜、私のその後の学習意欲に多大な影響を与えているはずである。

 何というか、特に未成年を対象とした『教育』『能力開発』を語るにあたって、こういう原始原生ゾーンの思考検討がすっからかんになっちゃってるんだよな…と北米の日食ニュースを見ながら、回顧も懐古もしておりましたのです。
 いや、原則やらないつもりの音楽ネタでつい2回やっちゃったので、今回はこんな話題で。
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【567】好意知らずの血眼ムードメーカー [ビジネス]

 しつこくて悪いが、ちょっと紹介しておきたいモノがあるので、もう一回続けておこう。
 例のジャズ祭を崩壊させたアホ坊主、コイツ恐らく映画”Whiplash”(邦題『セッション』)を見て、その見よう見まねを計画・実行したのだと思われる。
 ついハプニングでおこった失敗ではなく、あの場の存在意義を理解せず、自分勝手の好き放題に使い捨てた計画的犯行だ。だから許せない。

 “Whiplash”は確か一昨年あたりのまだ新しい作品だしネタバレはまずいので詳細は書かないが、割と昭和式スパルタ人材育成の風景が印象に残る作品である。実は映画のDVDを滅多に買わないこの私が、久し振りに買ってしまっていたりもする。
 『いわゆるバンマス鬼教官vs若きドラマーの一騎討ち』がテーマになっているのだが、まさに気になっていたのがこの『到底あり得ない非常識な場面設定で身の程知らずの若手にムチャブリ挑戦され、それを実力承認の真剣勝負扱いして鬼教官が組み合ってしまう』という、娯楽作品ならではのトンチンカン極まる日和見ポンコツ展開であった。あれさえなきゃなあ。
 もっとも、余談だが私としては、このスキンヘッドの鬼教官がとにかくカッコ良く見える。

 ともあれ映画は映画。そんなこと常識として十分わかる年齢だし、いわんや雲上の御大の御指導に触れているなら尚更わからないはずがなく、わからないならバカ親がここに到る初歩的な躾レベルの人格形成をやっていないということだ。恐らくは親子そろって『目上』の概念を知らずにここまで来ている。
 で、バカ親は『ジャズを知っている人からすれば』と勝手な限定を付けてアホ坊主の逃げる余地を主張した上で『息子が悪い』と、形だけ謝罪を繕った。要は『ジャズのルールから外れたところが間違いであり、それが一部の人の気に障ったのであり、その縛りがなければウチの息子は自由闊達にやっただけで、気を悪くする人ばかりでもなかったはず。でもここは大人になって謝って見せないと何だか荒れそうな雰囲気なので謝っておきますよ』という訳だ。
 まさにこのバカ親にしてこのアホ坊主あり、両方まとめてあらゆる音楽のある次元空間から金輪際締め出すべき劣悪な血筋である。

 ここまで透けて見えていて、いかにも腹に尻尾のまわった『体罰ハンタイ』みたいな歯切れ悪い台詞ばかりが繰り返されるのは何故だ?
 御立派に言論してる皆さん方よ、言ってみな。誰が怖い?誰に媚びたい?
 子供たちの目に映る情操概念の整備を、いとも容易く捨て駒にして平気になれるくらいに。
 社会をあげて全員が主役の劇だとか、奇妙な着順バトンタッチのルールによる順位のつかないリレーだとか、そんな気の違った初等教育なんかやってたバチが当たったってことかね。

 ところで昨今、特にテレビで『場の規律を壊して笑いを取る』という手法がやたら目につくのが気になってしょうがない。辟易しながら止めにもかかれないその場の世話役の冷たい視線もどこへやらで、いい大人がわざとのデタラメでげらげら笑ってふざけ続ける絵は、まさに荒廃と悲惨の極みである。
 こういうのこそ、成長期における社会性の形成を妨げるという重大な弊害をお互い指摘して、業界ぐるみで制止をかけるべきだと思う。違うか?

 せっかく仲間たちとうまくできていることを自ら崩壊させてしまい、だが今どき『無邪気に道化を演じて笑いを取ろうとしただけなのに、それを不愉快に受け取るなんて性格悪い。ここを険悪なムードで腹立てるなんてみんなの楽しい気持ちを大事にしてない』みたいな行きがかりになってしまうので、誰も咎めるに咎められなくなっているのではないかと見受ける。
 社会性回路が欠品したヒンシュク者の迷惑極まる所業を前に、笑って調子を合わせないとイヤな奴にされてしまうという強迫観念が漂う時代だと感じてしまうのは、私だけだろうか。

 昭和の小学生も、客員指導役のお兄さんお姉さん相手にはしゃいで、素直にレクリエーション活動の集団行動に従わないことはあった。最初のうちお兄さんお姉さんは『ちゃんとやろう、その方が愉快だよ』と口調やジェスチャーで根気よく語りかけ、普通にやりたい級友たちからは『お前ら面白くねえよ、いい加減にしろや』と睨まれることになる。
 これに当てつけ、なおも調子に乗ってふざけ続けた馬鹿ガキどもに、遂には背後から、堪忍袋の緒を切らした先生の一喝が飛んだものだ。
 もちろんせっかく楽しいはずの時間は一瞬で凍りつき、それでも小学校高学年ともなると十分憎たらしくなっているので、犯人どもは『叱られて反省し降参』の構図にならないよう肩をすくめて目配せしながら、薄らニタニタ従って、それでもようやくくだらないイタズラ心を収めていた。
 子供への要求値が『勉強しなさい、いい子にしなさい』の一色だったともいえる当時、小中学生ぐらいだと『うわ~マジメ~』がけなしコトバであり、言われた方はムキになって自分がただの従順ではないことを訴えたものである。そんな時代背景もあったのだろう。

 これが後に年齢を重ね、集団で規範に則った気分を共有する場面で素直になれない人間がどれほど迷惑でみっともないかを知ることになり、我が身の愚行の記憶と合致させながら社会性を身に付けていったのだ。

 成長過程の反抗期は一人前へのワンステップだが、かなり前から反抗期がはっきりしない子供たちが増えているらしい。親に反抗しない一方、こんなところで社会に反抗していて、身の毛もよだつ異常な親子愛なんぞ世代跨ぎで育んでいるんだから、現代子育て事情の闇の深さはただごとではない。

 “Whiplash”を見て、かなり悪い意味で奥深く巧妙に『反抗して良いコト悪いコト』の区別が崩れているなとは思っていた。能力習得の場ではまず『従順』が大原則であり、成長して自分の可能性を拡げていくきっかけとして『反抗』と『自立』がある。
 本来従順であるべきところで『青二才が我を通す勘違い』を、『自立に向けた若気の反目』とごちゃ混ぜにし、それをチャレンジングでカッコいいという解釈で演出してしまっているのが引掛かったのである。

 自分の中高生時代なんか、親と一緒に歩くことに吐く程の嫌悪感を覚えたものだがねえ。
 でも最終的な家族仲の確立って、こういう成長過程をドタバタ苦しみ悲しみ大騒ぎしながら、ちゃんと通過することが要件なんじゃなかろうか。少なくともウチはそうなっているぞ。
 若者たち、きちんと親を毛嫌いしていますか?
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【566】フレット音痴のデジタル粗悪トイ楽器 [ビジネス]

 やれやれ、教育を失敗した知恵遅れの中学生にジャズの神さまがステージ上で手ェ出したら、それが暴行だ体罰だ問題だ?
 あほか、お前ら。大人がこんなことしか言わないから、ガキが狂うんだよ。

 スタンダード・ジャズというのは、その名の通り定番の曲目で楽しむジャズの演奏形態のことだ。
 スイングなら『A列車で行こう』『枯葉』、ブルースなら『ビリーズ・バウンス』『Cジャム・ブルース』、ボサノバなら『イパネマの娘』『メディテーション』、アフロ・キューバンなら『チュニジアの夜』『オン・ザ・グリーン・ドルフィン・ストリート』に、曲名そのまま『サンバ・デ・オルフェ』…などなど、ジャンルを横断してさまざまな有名曲が数あまた存在し、だからこそさっき出会った奏者たちと俄か合奏が次々可能になる。

 よくあるのが8小節で1楽章、これがA-A’-B-Aみたいな展開で合計32小節のワン・コーラスとなっているパターンで、要はこれを何回か繰り返すだけで全体1曲が構成されている。
 原則としては、ドラムとベースが『リズム隊』と呼ばれて寿司で言えばシャリの部分を延々受け持ち、一般的にはピアノ、ギター、サックス、トランペット、珍しいところでフルートやクラリネットなんかが『メロディ楽器』としてネタの部分をワン・コーラスずつ廻り持ちして行く。
 『今日いるのはピアノとギターとサックスか。んじゃま、ピアノがメロで始めて、次はサックス、その次ギターでいいよね』みたいに実にテキトーに主役登壇順を決めたら、よく考えもせずに出たとこ勝負のいきなりGO!!…が多いと思う。

 『A列車で行こう』のあのメロディをピアノさん主役で、誰でもその曲と判るお行儀でベタに行き、ワン・コーラスをきっちりやり終えたら、まずはピアノさん主役を守ったままアドリブ演奏のツー・コーラス目に突入。
 ピアノさんはコード進行そのままで、スケールを守って…というとハナシがややこしいので、つまり響きとして雑音にならない音を自由に選びつつ、即興で主役としての演奏をきっちりワン・コーラスぶん展開する。これがアドリブである。もちろんその次のワン・コーラスはサックス主役、その次はギター主役と移っていくワケですね。
 で、ベースのアドリブ・ソロでワン・コーラス決めちゃったりする奴も多いしここまでは問題ないのだが、さすがに自在な音程コントロールができないドラムでソロをワン・コーラスやると、楽曲の姿が維持できなくなってしまうのだ。

 よって、ドラムに関しては『4バース』『8バース』と呼ばれる掛け合い形式にするのが普通であり、こうするのが演奏する方も聴く方もラクでやりやすい。
 4バースの場合、ワン・コーラスの最初4小節=第一楽章前半をピアノ主役のアドリブでふっかけ、次の4小節=第一楽章後半をドラム・ソロで応える。今度はサックスが第二楽章前半をふっかけ、ドラムが応える。更にはギターが第三楽章前半をふっかけ、ドラムが応える…と、この手順でワン・コーラスあるいはメロ人数の関係で番回りがへんてこになるようならツー・コーラス回したりもすると。

 最後に再びピアノ主役のベタメロでシメのワン・コーラスをやり、これまた大抵は定番の流れが何とな~く決まっているエンディングになし崩しに持ち込んで、騙しだましソツなく合わせてハイ終了。

 今回の一件は、いわゆるビッグバンド構成でやっているので、上記の流れのテキトー部分をパート毎に分担整理して、楽曲の進行がバンド全体としてきちんと決められていた。
 編成の大小を問わず、合奏は仲間同士が信頼し合って技量を組合わせる共同作業だ。
 それをあの大事な晴れの舞台で、ああいう破壊の仕方をするというのは、社会性なるものがその概念の基礎領域から心の中に無いためだろう。問答無用の直立不動で従うべきジャズの神さまに、厳しく制止されてあからさまに『刃向う目的意識を見せつけながら刃向う』あの自己顕示というにも余り過ぎる態度には、情状酌量の余地など一切無い。

 大勢の仲間と一緒に、共同作業の成果を世間さまにお披露目する場でそれを自ら破滅させ、貴重な御指導にあやかれたおのれの光栄も自覚できず、よりにもよってこれ見よがしに反逆し、その場にいる全員を不愉快にさせた。『音楽』と、それを楽しむ『社会』を台無しにしたのである。
 改めて書くのも馬鹿馬鹿しいが『ジャズのルールを守らなかった』という罪状ではない。
 中坊にもなってアレなら、音楽に向いていない。一生楽器なんか持たない方が良い。
 本当に音楽が好きでそれを楽しもうと努力し、楽しんでいる人々に迷惑なのである。
 後から余計な泣きの小細工を入れたような話もあったけれど、まるで意味不明だ。

 人命に関わる重保作業などもそうだが、間違いがあってはならない作業の行動規律は、人間の本能や反射神経の領域に叩き込む必要がある。年々これが甘くなっているから、いろんなところでミスや事故が常態化して損害が多発しているのは、実はみんな心の底で知っているはずである。
 ここでも何度か取り上げているが、もういい加減『体罰』『虐待』『行き過ぎた指導』みたいな論調の弊害を直視し、悪いコトや間違ったコトを真剣に叩き直す必要性に腹を括ったらどうだ。現に、世間一般の目に触れないところで随分な厚みの社会層が、昭和式の教育方針で需要と供給を成立させていると見受けるのだが。

 少なくとも現時点、公共の場で発言する大人はすべからく全滅である。
 暴力反対の心優しき常識人、感情的な態度で子供に衝撃を与えるなんてア~ラ酷いわん。
 どこのどいつが観客の痴呆劇だよ?恥を知れ、虫唾が走る。子供たちが可哀相だ。

 …と、思いっきり偉そうに言っちゃっておいて申し訳ないのだが、所詮サラリーマン+αのママゴト遊びごとでしか音楽に接したことのないこの私は、公然の罵倒にしても殴る蹴るの暴行にしても、ほんの数えるほどの体験しかありません…
 ただ体験しておいて良かった、その後を生きる力になった、これは確信しているし保証する。

 無言に終わらせず、『ジャズは何でも起こる、これもジャズ』ってのは上手くオトしたもんだ。
 ま、馬鹿な大人がバカな騒ぎでこの企画をやめる結論に迷い込まないことだけを願おうか。
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【565】取扱注意、若返り特効薬の処方箋 [ビジネス]

 大学時代の先輩【298】が、90歳になる母上を関西住まいから東京に引越させたという。都心で50台半ばの妹さんと暮らすのだそうだ。
 そういえば、最近ひと頃ほど『親を施設に預けて』というフレーズを聞かなくなった気がする。正解である。
 以前から迷っていた、ちょっとハードな話で始めてしまおう。

 私なりの経験に基づく持論とくれぐれも断っておくが、優しく丁寧で手厚いだけの接点では、高齢者の認知機能は劣化が進んでしまうと考えている。酷い話だが判りやすい一例を挙げると、本人が気にした瞬間ズバリに『ぼけたのか!』の一言を浴びせる荒ワザが、時として必要と思うのだ。
 人間の認知機能には間違いなくバックアップ構築機能が備わっており、ゆえに経時劣化や脳梗塞などのトラブルによりエラー作動した回路を即刻その場で、本人が意識して修復にかかれば基本的には成功し続ける。
 ここで『誰でもこの年齢になれば仕方ない』『ちょっとした見違え聞き違え取り違え』みたいな本人の現実逃避に安直に同調してしまうと、なりゆき任せに悪化するだけだと思う。

 『今ここをこんな失敗したろう、おい大丈夫かよ?』は言うも言われるも精神的にキツい指摘だが、心底本気で自分を気遣う心に疑いを持たれなければ、その場が少々荒れた会話になろうが、高齢者の認知機能は回復して解決するのだ。大騒ぎしながらも、普通に日常生活を送れることこそが一番だと私は思う。
 これができる立場にあるのは深い信頼が通じる家族だけであり、こんなこと介護施設でやろうものなら虐待の構図そのものになるし、高額入居費を申し受けて生活の世話を引き受ける特養クラスの施設だったりすると尚更むずかしくなる。
 家族仲から誤解や疑いの余地を消しておくというのは大事なことなんだなあ、と今このトシになって痛感する。大して気にもせず、ウチがこれまでの全てで自然とうまくやって来れているのは本当に有難い。

 さて社会全体が高齢化の傾向にあるのは事実であり、これは動きようがないとして、では次に道理が求めてくるのは『高齢者の成長期化チャレンジ』ではないかと思う。
 『長らくお疲れさま、お年寄りは大切に』ではなく『オマエもっとやれるだろうよ』で、時として本人の負荷も疲労感も辞さず、鍛えて新機能を構築にかかるのだ。
 言葉足らずで乱暴なのは解っている。
 だが結局そのコンセプトを意識した方が望ましい社会になるような気がする。

 いま私のアタマの中では、若い時の『ちょっと体調で困ったら医療機関に身を預ければOK』という甘ったれた油断により、我が身の健康管理機能を手酷くへこたれさせた失敗の経験がガツンガツンに響きまくっている。便利で手厚い社会が提供する安心は嬉しいものだけれど、日常の多忙を切り回す方の優先意識にも追い上げられ、つい判断基準を見誤って世話になり過ぎてしまった訳だ。
 タイムマシンがあるなら直近5年の私の姿を整理して、過去の私に見せつけた上で、寝ぼけたアタマに回し蹴りの一発でも喰らわせてやりたいものだと真剣に思う。

 だが、裏返せば私はここまでで済んだクチだとも言える。

 何十年か後、復調も反撃もままならない年齢に達してしまってからでは失敗してラチが開かないのだから、年長組も危機意識を奮い立たせる工夫を絶やさず、いま現時点の自分を『医療健康的にも・社会活動的にも』自分でおかしいと感ずるくらいに『好戦的な現状否定のハングリー』にしておくのが後悔しないのではないだろうか。
 だから前回、『自分の立ち位置検証と変化先の推察』および『時代遅れを自覚する』という表現を使ってみた。いま気づけ、いま気づけたなら、いま直せ。
 う~ん、でもやっぱり自分では、やって初めて解るんだもんなあ。他人である補助者から、容赦のないツッコミが不可欠という結論にもなりそうな気がしてしまう。

 実はこの話、自分を取り巻く数々の社会事象の継続性=サステナビリティの維持確保につながっており、ここ最近かなり私の人間関係の人物相関マップであちこちに重点課題フラグが点滅している。先に隠居があって間もなく人生の幕が下りる昔の社会構造だったら、このあたりはあんまり考えなくて済んだんだろうな。
 でも私だって、まずはと言いつつ『あと20年』とかケツの閉じたプロジェクト形式を宣言してやっているのだし、要は『考えてトシ喰わないといけない時代』になっているのだ。

 さて今週末から9月、私にとって今度は若い人たちに接する機会が多くなる季節である。
 いろいろ教えてもらって、いろいろ面白がってもらって、新しいお付き合いのきっかけが生まれると嬉しいのだけれど。
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【564】自我シェアリング時代の先行生活プラン [ビジネス]

 若年層の研究もいいが、それを偉そうに自分らの感覚基準でやっていては現実を見誤る。現状の自分の立ち位置検証と変化先の推察もやっておこう。とっかかりの題材は、以前ちらと洩らしかけた自作パソコン『にすけん弐型(仮称)』開発の先行検討である。
 実は少なくとも現時点で、欲しい機能をお気に入りのデバイスで組み上げて、『手元の自分専用機で思うままのPCライフを楽しむ』みたいな感覚は時代遅れの局面にあるのだ。
 どういうことなのか?

 いつも通り結論から行こう。クラウド・コンピューティング時代への対応が難課題なのだ。
 私がこの度ぶつかった具体的現実は、映像業界のハナシ。どこも設備投資の戦略が立て辛くて困っているという。

 今どき結構なレベルの画像処理がスマホやタブレットで簡単にやれてしまうのは御存じの通りだが、その高機能が小型・軽量・簡略を追求し続ける手元デバイスに収まり切れているはずがない。早い話が『自分の手元にはキーボードとディスプレイだけしかなく、画像制作の凄い仕事をしてくれる高性能のコンピューター本体機能は、かなりの大部分が通信回線の向こうのソフトメーカーにある』と思っていただければ良い。
 凄い仕事で作った凄い成果物は、どこでどう使うにせよ、制作作業を行ったソフトメーカーのサーバーに間借りして保管するのが効率よく、故にソフトとサーバーを抱き合わせた使用権の契約が何かと便利になる。OSのバージョンアップに伴うソフトの更新もこの契約に一本化してしまえば、『旧OSで使っていたソフトが使えなくなって、同じブランドの新OS対応版を買ってきてインストールし直し』といった面倒も無くなる訳だ。

 高速大容量通信環境の維持保証と、継続性・発展性の高いソフト会社の選定、更にこの業態に適した自前PCの仕様構築が設備投資の重要案件となる。例えばPC仕様については、凄い仕事=大容量のタスク処理を自在にこなすためには、いま時点で最低4コアのCPUと16GBのメモリーがまずは最低ラインかな…といった状況らしい。
 画像の緻密度も4Kに続いて8Kなんか出てきているから加速度的にデータは重くなる一方であり、これの普及速度がまたハイビジョンのように行くかというと際どいところで、どこの受注先からどのデータ重量の仕事を要求されるかが非常に読みづらいのだという。
 『いや、ウチはそんな凝った映像処理までやりません』という現業固守の主張もあるにはあるのだろうが、業界スタンダードが高機能・高性能化および高速大容量通信化で動いてしまうと、結局は軽い処理もその部分集合として動かざるを得ない。オンリーワンのトレンド逆行を貫くはいいが、時代からの遅れ代を致命的レベルにまで蓄積するリスクが怖すぎる。

 ところで今後IoTは間違いなく進展の方向だろうから、広大な情報網を駆使してさまざまなビッグデータを収集し、そこに必要な処理をかけて自前で利用する時代になりそうなのは御想像いただけると思う。膨大なデータを迅速かつ自由自在に処理しなければならなくなるのは確実であり、つまりは上記に述べた映像業界の技術課題が、そのまんま個人レベルに落ちてくるのだ。
 『自分の会社の顧客リストや会計データのクラウド管理なんてあり得ない』などという我々世代の感覚はもう前時代の遺物であり、クラウド上でのセキュリティ徹底でコトを完結させる動機に自然に切り換わらなければ、逆に『当たり前品質の欠如となる』ぐらいに自分の人格を作り変える腹は括っておいた方が良さそうな気がする。

 しっかし、これが滅法ムズカシイのだ。
 何年か前のある日、『誰それさん(=古い同僚の名前)がお友達申請しています』と、某SNS名義で始まるタイトルの電子メールが着信した。っえええ!アイツが何で今頃、私にコンタクトを求めているんだ?どうしたんだろう?何かあったのだろうか?
 正直メチャクチャ心配して気になりまくったのだが、まずは周囲にも情報収集して、何が起きているかの確認からである。

 そう、この現象、同じ目に遭った方も多いだろう。
 どこかで知人の誰かがクラウドに上げちまった連絡先リストにより、私のアドレスがSNSの自動プロモーション機能の餌食になったのである。その事実を知った瞬間は『この外道、他人の個人情報に人間関係の感情をでっちあげてまで営業するか?』と激怒したものだ。
 今でこそ私も『この時代しょうがないか』と思って済ませてしまうようになったが、恐らくスマホで育った子供たちにこの感情の起源は無い。むしろ我々世代がとても他人に明かせないと直感するような個人事情でも、彼らにとってはクラウドへの『何となくアップ』が自然なのではないだろうか。

 今も時折、子供たちが自らの個人情報の管理を失敗して犯罪に遭遇するケースが報じられるが、あれは我々世代の勝手な基準で『今の子供たちは個人情報の管理意識が甘い』と断じてはいけないのではないかと思っている。
 彼ら自身おかしな事件には巻き込まれたくないはずだ。面倒だし怖いでしょうがよ。

 まずクラウド文化が空気や水のように物事の道理・節理として存在し、前回述べた通り『何をするにもシチ面倒臭く健全で潔白な理由の保証と開示を要求される』窮屈なこの御時世のこと、本人なりには逃げ代を十分用意しギリの安全確保ができているつもりで、『普段許されない、自分の好きなコトをやり切った』ら失敗したという顛末なんじゃないかなあ。
 固定された大人の視点と考え方でネット空間上にアクセス制限など設定したところで根本的な解決にはならず、いわゆる『いたちごっこ』になるのは当然だろう。前回の議論を少し蒸し返すなら、まず成長期の精神的環境に自由を与えてやれるよう、大人が若年層の生育環境を整える心掛けが先決である。
 で、大人は固まらずそろそろ新世代のメンタリティに自分を同化させないと、間もなく時代についていけず立ち行かなくなる局面にいるという認識が必要だ。

 当面『にすけん弐型(仮称)』の仕様決定をいつにするかは決められていない。だが年単位の遠い先ではないだろう。
 明確な仕様値など列挙できず、もどかしくも申し訳ない回ではあるが、この先行開発検討は手を抜かずしっかり考え抜いておくべきステップであり、まず近未来の社会生活とそこに適応する自分の方向性を決め、PCはその実現ツールという位置付けで組んでやるのが勝率高いと見込んでいる。

 時代遅れを自覚したらまず自分の遅れ方を理解して、キャッチアップとオーバーテイクはその次だ。
 ちょいと慌ただしいモードに追われてまして、今回はこれにて。
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【563】オールよりどり選択科目のオンリーワン評価順位 [ビジネス]

 『夏休みは42日間』という常識が薄れ始めて、もう何年か経つ。
 最初に聞いたその理由は『冬場の学級閉鎖などで失われた授業時間の不足を補うため』というものだった。それにしたって夏休みを削り込まなくても…なんて考えるのは昭和の感覚なのか、当の子供たちは、もちろん残念そうではあるものの、私が悔しがるほど夏休み42日への執着はないようにも見える。

 昨今の学園生活事情は昔とまるっきり違っており驚くのだが、同時に今の若い人たちに漠然と共通する雰囲気に整合するものであり、とても興味深い。
 そもそも各校毎の独自性に大きな乖離があり、例えば伝統の3期制と恐らくは大学式に近い2期制がほんの近隣校同士でも入り乱れていて、学生さん同世代での相場スケジュールがはっきり存在しないのだ。もっともひとつの学校がこの数年で2期制・3期制を往復で模索する例もあるから、当然と言えば当然か。
 昔なら小中学校までの友達づきあいは原則校内が世界の果て、それが高校進学で校区の生活圏外へ散って行き、高校からは『校内+校外の幼馴染み』という構成に移行する。『そっちは試験いつまでよ?』『ウチの休み、いつからいつまでなもんで』みたいな会話でお互い刷り合せながら、他校に人間関係を拡げて行ったものである。

 昔基準の交際社会層に自然な生活の同調がなくなっている反面、今はスマホ普及による高頻度の通信で、学校以外の生活情報についてはとんでもない個人的領域まで平然と共有しているから、おのずと『学園生活における自己成長』を自意識の基軸に据えにくい精神的環境であると考えられる。
 一律の基準で相対評価を下してくる学校文化に常識として生きながら、自他の得意分野を認め合い、おのれの興味や適性を見定めながら、『自分はこうなりたい、自分はこうなろう、自分はこうなるのが幸福な人間なんじゃないか?』と決められた時代は、人生青写真の決定フローが単純だったのだと思う。

 何というか、良くも悪くも今日の経済社会に目立っている『多岐のニーズに臨機応変で返す』単発企画型の多品種少量生産トレンドが共鳴して来ている感じである。
 高速大容量通信時代の今の子たちの交際空間は、昔に比べてすっかり学校枠や御近所枠にこだわらなくなっており、そこでの人間関係の組み上がり方や過ごす時間の優先度、それらを通じて見出す人生の夢や学習意欲の対象なんかも、我々とは大きく違った因果で決まっているとして良かろう。

 多品種少量生産から一見逆行しそうな感じだが、現状の子供たち学生さんたちの生活環境は、『何かやってみよう』あるいは『こんなことに没頭してみたい』のような、あらゆる偶発モチベーションの拡がりを許す解放感という尺度で見ると、かなり窮屈になっていると察する。
 『情報世界の果てが、分相応に狭く閉じている成長期』の方が自由なのではないか?
 その適正サイズの井戸の中を成長期の視程で見渡して、自分自身の現状や適性、そして目指す将来像まで、早々に自力で固めた方が、結局は『自己確定スキル』の獲得がラクで早かったのではなかろうか【71】

 人類みな兄弟式の3期制で『5段階評価の通信簿を開いて一喜一憂』が定番ネタだった時代、昔なら仲の良い友達とテキトーに絡んでつるんで、『通信簿ランク』の優劣判定に反目するかの勢いだけで内密バイトや反社会性趣味に首突っ込む冒険なんかもできて、それで『自分の好き』を推し通して幸せに済んだ。
 だが今は良いモノも悪いモノも、巧妙で極端なレベルに直結する世界の口がどこに開いているか判らず、何をするにもシチ面倒臭く健全で潔白な理由の保証と開示を要求される。これじゃどんなダントツ優等生だって、『自分の好きなコトをやり切った』ではなく『誰かの評価をクリアできた』という余計な行きがかりがついて回り、人生の達成感が曇ってしまうはずだ。
 心底安心して腹を割って飛込み、そこを起点に無心に頑張って満足できる空間とは、今の時代どんな要件を揃えたところなのだろう。これをどうしても見つけて実現する必要がある。

 ところで社会の高度通信化が進行するのは『技術の自我』【506】によるところであり、この環境変化は『バカな大人の失敗』という人為的不具合にはあたらない。
 最近くだらない問題を連発してしまった感のある文科省だが、うまくない部分は言い訳無用で仕方ないとして、少なくとも学校毎に試行錯誤を繰り返す管理層も、現場でその対応に右往左往する先生方も、いい加減な場当たり意識で逡巡や混乱を繰り返しているのではない。区別して理解しておきたい。

  『大学院まで行った方が良いのでしょうか?』
 つい先日、就活前の学生さんが私相手に会話を切り出した時の質問である。
  『何としても2年かけて完遂したい研究があるならYES。無ければ学卒を勧めます』
 学童時代・学生時代と、デスクワークも実技も大好きのままに没頭することが許され、自分のその局面では『学校なんかタルくてやってらんない、一刻も早く出てしまいたい』としか思わなかった私は、時代の差や世代の差を再認識しながらもこう答えた。

 当代経済社会の不安定さは肌で感じながら、『大手=安泰』への期待は情けなくも禁じ得ず、更にそれが決して確定的でないという現実まできちんと心得ており、迷いが伝わってくる。
 敢えて当方からお名前その他一切を訊かないまま数十分ありったけの情報をインプットして、その晩は某・国立研究機関のエライさんと一杯やりながら話し込んだ。
 公務ミッションで受ける研究業務にこの数年の過労防止ガイドラインが課す足枷の重さは深刻らしく、『就きたい職業は公務員』などと職業観を語ってしまう小学生たちにその溜息を聞かせて、目を覚まさせてやりたいものだ。

 帰宅したら、早速くだんの学生さんから自己紹介と丁寧な御礼が着信していた。
   ひとつまた人生の幅が広がったような気がします。
   是非もっとお話を聞かせていただきたいです。
 いや、こっちこそもっとお話を聞かせていただきたいし、万が一にも余計な外力に働かぬよう深く遠慮しながら、世間話だけで終わりたくもないんですけどね。

 不安を抱えた表情でも、その溌剌と未来を湛える若さは本当に羨ましい。
 さあ頑張れ、若者!
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