So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

【561】未来攻略兵器幽閉門の陥落日 [ビジネス]

 このところ役所や企業の中高年求人が目立ってきたようだ。どこも人手不足なのだろう。
 もっとも採用基準はキツくなっているようで、要は『教育不要の即戦力』に緊急動員がかかっている感じである。即戦力だが短命は覚悟の上の人材需要が急増、これはつまり横並び共通事情で、人材育成が組織として不採算に陥っているということか。
 今の時代あまりに激しく速すぎる市場の変遷が、実直丁寧に積み上げた従業員の職歴スキルをいとも簡単に御破算にしてしまう。新卒は絶対数が減る一方だし、時代のスピードに適応して組織の新戦力にまで成長できるヤツは限られているだろうから、自ずとそこそこマシな中高年頼みしかなくなる。
 しかしこの登場人物全員ひっくるめて、次の変化フェーズが押し寄せる頃には、どんな生き残りの局面を迎えるのだろう?

 先日カタした旧実家、実は半分以上が遠方に住む親戚の持ちモノになっていたのだが、これが規模縮小を繰り返しながら続けてきた印刷業をこのたび畳むことになり、次の展開を探るにあたって先立つものがどうしても必要になったのだ。
 PC導入で書類の活字化・チャート化が進み、紙の使用量がむしろ増加したと言われた時期もあったけれど、さすがに今この時代に到っては電子書面に寄り切られてしまったということか。昔は大事件が報じられるイメージ映像として、輪転機がバンバン廻って新聞紙が飛び交うシーンが定番だったものだ。私も紙面書類の利便性と利用法を語っているが、これももう前時代のものか【88】~【90】
 先方が望むままの都合優先で応援するのみ、みんな時代変遷の波に呑み込まれないよう頑張っている。グッドラック!

 中高年求人に話を戻すが、従来概念型の組織を通じた雇用・被雇用の継続性が事実上もう通用しなくなっている訳で、特に大組織を担う経営者・管理職たちの精神的負荷は今や生死に関わるレベルに達していることだろう。だから私は身の振り組織の振りに、旧態依然の縛りを解くきっかけを投じた【546】
 現状にして全く当初のコンセプト通りに機能しておらず、それを修復するのもタイヘンなら、修復したとして時代が変わっており意味を成さない。こんな文化社会の前時代システムになりゆきで身を預け、命懸けで当座をやり過ごさざるを得ない人の数を、少しでも減らそうと考えたのだ。
 この先も長く続けるなら腰据えて現状を底ざらえでひっくり返して、いまのうち八方塞がりの現実問題相手に七転八倒した方が、5年生存率・10年生存率としては圧倒的に高くなる。反面よく調べて自分らの体力と相談し、畳んで平和に済む選択が可能なら、御先祖譲りのコンサバ根性モードから発想を転換してみてはどうかと。

 世界保健機関WHOが定義する健康とは、『ただ病気あるいは虚弱でないだけでなく、身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態』を指すそうだ。
 私なりには『ただ普通に食って寝て起きて、やるべきあるいはやりたいと思ったことに、自分の持ち合せる人間としての能力が自由自在に発揮できる状態』だと思う。

 生きていて出遭う全てのものに対して、まずこれが叶わないと完結した人間一人として納得の行く対応ができない。この基本が満たされ損なったやり場の無い不満は、必ず身体的・精神的・社会的な誤作動の原因となり、その結果が人生の要所で『生きる喜び』としての幸福を阻害してしまう。私の提唱こそが、社会人がいっとう最初に目指すべき健康だと考える。
 この5年をかけて、自分がそうでなかったこと、その事実に気付いていなかったことを『愚か者、これでもか!』と思い知らされ突き刺され叩き込まれ、ようやく立ち上がって歩き始めたところをその背中にまで蹴り込まれ、もう何を引換えにしてでも絶対に手に入れようとしてきたのが、この『経済社会的健康』である。

 世界的にも特別なこの日本国の常識からすれば恐ろしい予測で申し訳ないが、今後、先進社会保障としての医療は縮小され、我々国民にとって高額で特別なものになっていかざるを得ないだろう。ただ見殺しにされるようなことはないにせよ、今日の健康管理の甘さが後に残念な人生終盤戦につながる人の数は少なくないと思われる。平均寿命も健康寿命も、短縮に転じる日が来るのではなかろうか。
 ただでさえ激動する社会への参画負荷それ自体が桁違いに重くなっている時代だというのに、ここで『日常を一見無難っぽく送れる程度の、地雷・時限爆弾つき疑似健康』の維持ごときに固定出費・居住地制限その他のシガラミが付き纏うとなると、残りの人生の時間を全力で目標に使い切ることなどとてもできない。
 私は、大勢の人々に散々な迷惑をかけてしまったけれど、最善を尽くしたこの5年を短縮する近道は無かったと思うし、もう失敗はしない。今に到る私の経緯を見て断薬トライアルに踏み切るフォロワーも現われ始めており、出過ぎた御節介や危険なミスリードにならないよう慎重に支援していくつもりである。
 他ならぬ自分の心身が人間性無視の機械不具合的な未知の壊れ方をするため、未経験者の人知の到達範囲だけで離脱完遂まで行くのはまず無理だと思う。

 人生双六の障壁と呼んで済ませるにはあまりに苛酷すぎる試練だったが、過半数が挫折に終わる難関を突破するまでの途中経緯が、ボロボロやられ放題のぐちゃぐちゃ大惨状になるのは百も承知だ。
 久々の鬱陶しい掃除機生活も懐かしくやってしまったが、呼吸困難を工夫で乗り切った2年前の夏を思えば、今ならこんなもんだろう。組織も個人も、現有の体質で生き残れないなら、まず生まれ変わる覚悟で全面的な刷新を敢行する以外にない【13】
 7年前、願い続けて生まれ変われなかった姉の遺影が語るには、『まず命、次に健康、謝って埋め合わせはそれからだよ。命あってのモノダネ、きちんと頭下げてまわって、どうせ攻めるなら元気ハツラツで』ですと。その通りだ、理解した。

 以上、お盆をもって一連の高齢化組織論、これにて。
nice!(10)  コメント(0) 

【560】朝起きBizはサブカルの徳? [ビジネス]

 調子が戻ってきたので、生活のあれこれをカタチから脱ステ騒ぎ以前の好調時に戻しにかかっている。
 事情があって無碍にもできず、7月前、7月末、8月一杯、かと思うと突然三日後の昨日を指定…と散々に振り回されたが、工房兼納戸の旧実家も無事に片付いて一安心となった。
 元々が『残り人生20年引継ぎ構想』【352】で生活課題の大枠は決まっているし、ここ最近なかなかツキが巡ってきているのだ。もうゲン担ぎでも何でも撃てるモノは撃ってってやろうじゃないの。

 さて前回の話題『視覚映像のDNAフィードバック』について、私は大のオカルト嫌いなんですよと念を押しながら、もう少し続けてみよう。
 私が『あれ?』と単なる自然生物学の外側へ視線を振ったその理由、それは『リアル人間の体格の二次元キャラクター化』である。モデル体型として小顔で足長が理想は解るが、それにしても極端なデフォルメだなあと最初に思ったのが、確か『北斗の拳』と『キャプテン翼』だった。まだ私が少年漫画雑誌を読んでいた時代なので、せいぜい1980年頃ではなかろうか。
 思い出して馬鹿馬鹿しいが、理想体型もここまでいくと逆上がりは普通な感じに見えるのか、あるいは前屈で爪先に手が届くものなのかと、しょうもない体育動作の成立性が気になったのを憶えている。

 もっとも日本中、いや世界中の全員が大なり小なりこの二次元体型風のトレンドに向かっているかというと、決してそんなことはないのだから不思議だ。このあたりが『DNAは一定確率でハプニング変化を起こすに過ぎず、環境適応に有利な血統が存続するのみである』という定説に本気で反論するとカッコがつかなくなる弱みであり、だから準オカルト領域なワケです。
 あと『いくら好きだからって、誰も本気で自身がそうなることを望まないはずだから』という理由は成立するが、ドラえもんやピカチュウに似た子供が目立ってきたとはとても思えない。

 ま、『視覚情報がDNAのATCG塩基配列に変換される』というデジタルな雰囲気の仮説が、万が一もしかすると起こるのかも知れない、コンピューターに乗り移ってのデジタル不老不死というのも、抵抗感や非現実感はあるけど思考を拒絶せず理解しておきましょうや、ぐらいでお読みいただければ良いと思っている。

 で、ここからが真面目な話である。
 時の現行常識のバランス基準としては多少不自然とされる二次キャラ体型でも、先入観に邪魔されない若年層がそれを見て無邪気に羨望した結果、それを自身の身体特性に反映させ取り入れていき、徐々に新常識として切り込んできた。
 つまり、旧来社会常識の想像世界の外側にあったような人工基準が、縛りの無い自由な驚きで好意的に迎えられて新・社会通念として登場し、日の経つうちそれを優位とする感覚および思考体系の普及が進み、遂に社会の1ジャンルとなる規模で定着した。
 ポイントは、『未知の新規性人為事象が、良しと直感的に受容された』ところにあると思う。

 数ヵ月前に小池東京都知事が『時差Biz』なる生活の早朝シフトを提唱しているが、やはりというか、東京のビジネス空間にその十分な有効数が定着した感は無いと思う。
 私もここで話題にしている通り早朝シフト推進派であり、現状日本の労働生産力をフル活用するため、経済活性化政策の必須アイテムにしても良いくらいだとさえ考えている。どうにか身近なところからでも、その雛型社会モデルを組んで動かしてやろうと企むのだが、これがなかなかどうしてヒジョーに手強い。
 実は『早朝シフトが快適で高効率』というのは、広く大多数が疑いなく認めている。
 だが、ならば自分がそうするかというと、絶対にしないのだ。困ったもんである。
 まず早朝シフトを試そうと腰を上げるのにタダならぬ起動力が必要で、首尾よく起動に成功しその効果を謳歌するにまで到っても、『旅行一発でオワリ』とか『飲み潰れた翌朝に挫折』とか実にロクでもないきっかけで、大した名残惜しさも感じずあっさり元に戻ってしまう【550】
 お受験というのっぴきならない切実なゴールを設定している子供たちにしても、早朝塾なる施設はそれなりにあるはあるのだが、提供されて反応する塾生数は限られている上に定着率が高いとはとても言えないらしく、結果的に決して盛んではない。まあ独り暮らしな訳ないから、周囲の生活との整合性なんかには苦労が多いんでしょうけどね【204】

 例えばここで、二次キャラ体型のように作用し普及するモノって何なのだろう?
 それを見つければ、日本社会に広く早朝シフトを定着させられるのではないだろうか。
  『現時点の感覚では何だか非現実的、でもどこか理想っぽくて憧れてしまう』
…って、あれ?生活の早朝シフト、ここはちゃんとクリアできてんじゃん。みんな清々しいと思っていて、そうするのが良いと認めていて。

 な、ならば、これをデジタル化してDNA構造に仕込むのか。自分でもナニ言ってるかよく解らんな。視覚入力にはこだわるべきなのかな?
 さしずめ『MANGA』『JAPAN COOL』『KAWAII』ぐらいの国際的サブカルパワーをもってブームを巻き起こしたいところだが、あのぐらいにまで勢いづいた原動力って、つまるところ何なのだろう…
 いま時点の私のアタマでは、ここらで残念ながらギブアップである。

 再度、私は向こう20年で持てる全てを若年層に引き継ぎたいと考えている。
 だが誰もが現状精一杯の生活を送っている以上、少なくとも直近は、まず大勢の日常に新たに割り込ませる時間をひねり出してやり、その時間を充てさせるべく後継者たちをおびき寄せて、強力な目的意識で数ヶ年つなぎとめなければ実現しない。正直メチャクチャ難しいが、何としてもここに『いける!』感ががっつり響く解決策を見つける必要がある。
 このところ大惨事ダメ政権に関する報道で『人づくり』なる用語が見え隠れするようになったが、その能力開発手順書がバッチリ具体的に固まっていたとして、まずつくられる人間の側で人生の時間配分が成立していなければ、空振り感いっぱいのトライアルを何度か繰り返し早々に発散してオシマイだ。保証する。
 ただ失敗を恐れるが故の二の足は踏むべきでないが、ボロいお手付けでネガ帰結の印象を刻んでしまうと後始末がタイヘンだぞ。この日本国民で失敗したから、次はサラっぴんの別の日本国民に取り換えて再トライ、なんて勝手な都合は利かないのだから。

 しかし、こうした煮え切らない経過がまた、次の若年層への21年目以降の新教材になっていくのだろうか。
 上乗せを貯めないよう頑張らないと。
nice!(9)  コメント(0) 

【559】イノチと機械の通話回線 [ビジネス]

 目まぐるしく変遷し進化していく社会において、普遍的な価値なんてあるのだろうか?
 実は誰もが瞬間的に納得する回答が存在する。

 不老不死だ。
 ええ、それが人間いや生命体にとって本当に幸せか、また自分がそうなりたいかどうかは別にして、それなりに価値として流通する社会空間が必ずありそうではないですか。でしょ?
 だが、この生身の身体が歳をとらないなんてコトあり得るのか…?

 回答。あり得ない。
 よって、『不老不死』と聞いて直感的にイメージする本来価値を裏切る方向に行ってしまうのだが、つまりその解決策は『機械の体』である。

 『銀河鉄道999』の機械伯爵は、身体こそ機械だったが脳みそは人間オリジナルという設定であった。また脳まで完全に機械だったワルキューレの三人娘は『アンドロイド=ただのロボット』として意思を持つ人間および機械化人とは区別されており、ここに『意志や意識、心は人間が生まれ持つ特別なものであり、人工再現品のプログラムとは一線を隔する』とするコンセプトを読み取ることができる。
 だが脳みそも人体組織で構成されている以上、宿命として経時劣化は避けられないはずだから、これでは不老不死にはならない。

 従って、このシンギュラリティ時代に不老不死を語るにあたっては、『脳までコンピューター化、意識はデジタル情報で置換』が現実化する事態を視野に入れた議論が必要になってくるのだ。
 っええええ~!ウソでしょ~?

 脳の一部を含む頭部が癒着した双生児の調査例で、片っぽ一人だけが見たり聞いたり味わったりした感覚情報を、もう一方が共有するらしいことがわかっているという。
 これはつまり、人間の五感の情報がナニガシかの信号となって脳内を伝わっており、それさえ受信すれば直接の知覚と等価に作用する可能性を物語るというのである。で、信号の授受で知覚や記憶の現象把握が完結するならば、人間の意識もコンピューター上のデジタル情報に投射して、相応のハードウェアが調達できる限りは、そこに乗っかって存在し続けられるのではないかという理屈である。可能性の有無としては、アリの方だろうと。

 うわあ~、まあ確かに。解るけれども。
 不老不死といえば美人さんが生身で追い求めるモノと相場は決まってるのに、こりゃ幻滅…

 ここまで話を拡げてしまっては、さすがに身近な社会問題と距離が空き過ぎてしまうようにも思うが、なかなかどうして、こんな科学ウンチクだけに終わらせて済む話でもない。
 昔なら演奏者本人の実演でその時その場の宙に放たれそれっきりだった音楽が、今や通信回線と記録メディアさえ揃えば一瞬で宇宙にさえ持ち出せて、どこでも永久に保存でき、いつでも求めれば完璧に蘇らせることができるという現実を思い出そう。実はどえらい世の中なのである。

 ところで、私なりに人間意識のデジタル性を秘かに感じている現象を紹介しておこう。
 例によってビミョーな準オカルト領域のハナシだと思っていただき、話半分でどうぞ。

 高度経済成長期、日本人成人男子の平均身長が170cmに届こうとする時代、『日本人の身長が何故こんなに急激に伸びたのかは世界の七不思議のひとつらしい』と言われていた。例えば遊就館で、昔の武具や大東亜戦争の衣類の遺品なんかを見ても、確かにそれまでの日本人は随分と小柄だったことが判る。
 その高度経済成長期以降、20世紀のうちは『理想のプロポーションは八頭身』とされ、欧米人の体格は日本人にとって憧れであった。だがこれが日の経つうち、日本人の身長だけでなく体格までも憧れの欧米スタイルが増えてきたのだ。私の気のせいではないと思う。
 そして21世紀になり、八頭身を越える超モデル体型のような若者が一気に増えたのである。今や驚くような超人痩身バランスの小学生も珍しくない。
 これ、食生活が欧米化して体格が立派になったとか、座敷文化から椅子文化になって足が伸びたとか、固いモノを噛まなくなったので顎が小さくなったとか、ホントにその程度の因果なのだろうか?何だか今ひとつ納得し切れないのである。

 もしかして、だが、社会の高度情報化が進むにつれ、『一般に良しとされるルックス』の写真や動画などが圧倒的な高頻度で視覚から入力されるようになり、人間の身体がそれに応じて形を変えたとは考えられないだろうか?
 だとすると、人間の身体構造を決定づけるのはDNAだから、つまり『人間には目で見た映像をDNAの設計情報・遺伝情報ATCG配列に反映する能力がある』という仮説が成り立つ。

 これってある意味、光通信みたいなもんじゃないの。

 更にもういっちょ。だとすると、だ。
 それって人間だけの話だろうか。憧れのルックスなんていう、平和な特性の転写だけの話だろうか。『見た』という自覚のある可視光線の授受だけで話の全ては片付いているのだろうか。
 おっとっと、あんまりやり過ぎると大嫌いなオカルト野郎になっちまいそうなので、このへんにしておきますかね。ナニがどう伝わってても良いように、正直で善良。これが一番。

 残存症状だとはいえ、ステロイド離脱過程である以上は一応苦痛だし、ボロボロと体組織を捨てなきゃならんのでひとん家には上がれやしないし、機材と名のつくモノには寄り付けなくて不便千万もいいところである。
 不老不死のかなり手前になるが、やっぱり健康って十分に普遍的な価値だと思うなあ。
 今のうち、よ~く学習しておこうっと。
nice!(10)  コメント(0) 

【558】定規とコンパスとスパコンと [ビジネス]

 このところ落ち着いていたので稼動状態をどんどん上げていたのだが、ステロイド離脱の残存症状が出て久々に親指にあかぎれを作ってしまった。この期に及んで、まだもう一回足ひっかけてくれるとは随分なことだが、こっちも何年越しで対応を学習しているし、ずっこけてタダで起きるだけで済ませたりはしない。後で来るぐらいなら今で結構。
 詳細はいずれ整理して語るとして、今も脱ステロイド療法については賛否が分かれているようだが、少なくとも私のケースについては『ほかっときゃ治るッ!』が結論だろう。

 さて今回は簡単な幾何数学の問題から。正方形をひとつ思い描いていただきたい。
 その一片rの長さにコンパスを開いて左下の角っこに中心を置き、四分円を描く。次に、右上の角っこに中心を置き、同じく四分円を描く。
 正方形の中に左上から右下にかけて、ちょうど木の葉が横たわるような図形が描けるのがお解りと思う。この木の葉部分の面積Sを求める問題について考える。

 解答例1。
 四分円の面積=1/4×π×rの自乗 をふたつ描いたのだから、まんまその通りに2倍して『1/2×π×rの自乗』を得る。
 ただし真ん中の木の葉部分は四分円が二重に重なっていて、重ねた結果の図形が、最終的に正方形の枠内にぴたり収まっているのだから、先刻の四分円2枚分=『1/2×π×rの自乗』から『正方形の面積』をさっぴけば、二重カウント部分=木の葉部分の面積が算出できる。
 故に、S= 1/2×π×rの自乗-rの自乗 =(1/2π-1)×rの自乗=0.57…×rの自乗

 解答例2。
 正方形内にランダムに点を打ちまくり、全打数に対する木の葉部分への命中数の比率を算出する。コンピューターを使って、偏り無くひたすら多数の点で正方形を埋め尽くしていけば、木の葉命中率は解答例1と同じく0.57…に収束する。
 故に、S=0.57…×rの自乗

 この解答例2を見て、『数学としての美しさに欠ける』『機械頼みで人の理性が感じられない』『こんなの機械の作動結果でしかなく、数学じゃない』あたりの抵抗感を覚えた方、頭カッチカチの時代遅れである。
 今の時代、打点1万発なんて瞬く間だし、ならばこの面積計算で実用上の精度は自在に達成できる。しかも木の葉と言わずどんな不規則な形の面積にでも、同じ計算処理を適用して正解が得られるのだ。
 コンピューターありきの何が悪い?てかこっちの方が応用性広いじゃん。打点数十万発、数百万発を一瞬でこなす能力は『あるのが前提、あって当たり前』、これがデジタルネイティブの思考起点である。あ、いや、この例はただの私の思い付き瞬間芸で、誰に訊いた訳でもございませんが。

 確かヒトゲノム解読なんかは、DNA螺旋の一本が長過ぎて端から順に読んで行くと所要時間が非現実的な長期になるため、一旦薬品でまとまった数のDNAをぶつ切りにして、無数の短い断片を手当たり次第の片っ端から、同時並列作業で解読する方法を採ったと記憶している。
 DNAのどこでどう切れるかは全くノーコンのため、『A、T、C、Gの同じ配列が見つかった=同一部位を重複して読んだ』と判定しながら作業を進め、一本のDNA螺旋の全体像を完成させたのではなかったか。作業の歩留りとしてはとてつもない低さだったはずで、それでもコンピューターの速度なら現実的なセンで新規解読ぶんを積み重ねて行くことができ、この気の遠くなるような解読の完遂に到った。これは人間の解読・判定の作業ペースを前提とする思考世界では、逆立ちしても思いつけない方法であった。

 また『平面上のどんな地図も4色あれば隣同士を違う色で塗り分け可能』という四色定理の証明も、コンピューター任せで『どえらい場合分けを片っ端からやったらできた』のチカラずく演算が論拠だったんじゃなかったかなあ。よってプログラムの正しさが審査され承認されたのみで、人間は誰ひとり塗り分け事例の全部をチェックできてません…みたいな。
 相当数の数学者さんたちが、『アレは認められん!』と今なお抵抗しているかもよ。

 人間が求める知的事象の中には、超速の演算速度と膨大な処理タスク数にモノを言わせた超・原始的なベタ攻めが有効、というかそれでないと把握できないものが存在するということだ。この領域での課題解決能力を向上するためには、より速く、より大容量の情報処理技術の開発を進めて、人間は機械くんに課題解決を丸投げすることになる。回答が凄すぎて、直接の検証はできない。

 古式文化の精神衛生上どうであろうが、現代の産業界においては、この戦略コンセプトを使えないとそもそも競争の土俵に上がれない。今この瞬間も、多くの人々がこの未来の新・思考体系バトルフィールドを開拓中かつ構築中なのである。ここを仕事場とする人種は、当然デジタルネイティブたる若年層の比率が高い。
 『役に立つ思考体系』が機械くんの介入により変化点を迎えているという意味で、もうシンギュラリティは始まっているという言い方もできそうである。

 解答例2が科学界を席巻するこの時代、我々世代の数学の基本ともいえる解答例1がいきなり無意味になるとは言わないが、では解答例1がどんな未来社会で、どんな価値を認められて、この世にあり続けられるかの模索は必要だ。今日の数学の教科書さえ、手放しでは案外と安泰じゃないのである。
 いや、旧来の常識文化の全ては、それで得られる成果、それをグレードアップさせて嬉しいメリットを、自責で明確に管理し続けなければ、いずれ消滅の憂き目を辿らざるを得ないだろう。厳しいのである。

 やれやれ、内閣改造ってか。え~と。
 この顔ぶれが、果たして時代相応の合理思考で課題解決できるのか…

 ペ、ペッパー君とアトム君、一体ずつにしとかない?【511】
nice!(10)  コメント(0) 

【557】今日もどこかで新組織、明日もどこかでシンギュラリティ [ビジネス]

 前回に続き、人間が起こす奇妙な情報処理について考えてみよう。意外と難しいのだ。

 入力データを演算処理にかけ、出てきた数値を閾値と比較・判定し、あらかじめ設定されたフローチャートに沿って決められた処置を行う。人工知能と呼ぶまでもないこんな単純な情報処理モデルの例は、誰でもすぐに複数考え付けるだろう。
 表計算ソフトを少し使える人なら、簡単に実演してみせることぐらい朝飯前だと思う。

 では出題。入力データあるいは演算結果に対して、
 『処理を嫌がる』『気に食わない作業をグズる』『ウソの結果を出す』『知らないフリをする』
を、手元のパソコンで再現しなさい。

 『常に演算しない』だけのプログラムだと単にOFFってしまうのと何ら変わらないので落第点。『演算結果の真値に余計な演算を加える』プログラムにしても、毎回ちゃんと数式をバラエティ豊かにヒネってもらわないと良い感じのウソにならない。あとキーボード入力操作をただのスルーでばっくれるってのも…
 そんなこんなで、実はその回答は、乱数表以上に反・知性的なランダム感を漂わせつつ、いかにも恣意的な創作性の雰囲気も要求される、かなり重たいプログラムになるはずなのだ。

 …あ、ホントに考えちゃダメですよ。それこそを『時間の無駄』という。
 ここでわかるのは、人間の情報処理にありがちなエラーモードというのは『能力不足ゆえの到らない作動』ではなく、『手間かけて覚えた余計な動機や要らない知恵を、わざわざに盛り込んだお疲れ創作劇』だということである。この不透明で奥深いプログラムは、正しい情報処理を素直にこなしていて普通に身に付くものではないような気がする。

 高齢化組織の井の中に見る『ウチワの掟』の特質は、主にふたつあると思う。
  1.生産社会における情報処理フローの論理世界とは別系統の異次元プログラムである。
  2.これ単独で生まれ出て、わざわざ小世界で醸成してしまった結果の劣悪DNAである。
 従って高齢化組織における合意形成の流れは、まさに理屈も根拠もない『ウチワの掟』への一斉服従を、組織ぐるみで頭ごなしに強制するという構図になる。抵抗する知恵と気力のない個人の大多数は、表面的にでもこれに屈するしかなく、だから巷に蔓延して『あるある』になるワケだ。

 若者たち子供たちが本能的に大人社会に抱く不信感の正体は、これだと思っている。
 長く生きたぶん得体の知れないよこしまな世界観を積み上げており、それをなすり付けて丸め込み押し通す悪知恵に長けている、そんな人種が渦巻く組織空間を感じ取っているのだ。

 いっぽう具体性も無いまま人間の敵だ味方だという虚しい議論が弄ばれたりもするAIくんだが、わざわざに工数やコストをかけて上記のような七面倒くさいプログラムを組まなければ、ひたすら正直かつ迅速に、途方もない演算能力で応えてくれる。普通に造りゃ、普通に悪気も起こさないってとこだろうか。
 うん、これは若年層の人間くんと相性が良いはずだぞ。

 日本社会は若年層に『高齢化組織の特質とその弊害』を早期に理解させ、圧倒的能力を備えた素直なAIくんたちといち早く協力体制を組ませる方針づけが急務なのだ。過去の積み上げの生産的側面である『経験則』が次々とAIに凌駕されつつある昨今のニュースも、旧来の既存価値を一歩退いて眺める視点でお誂え向きと解釈し、この『世代間・組織不連続戦略』を効率的に日本社会に普及させたい。

 『シンギュラリティを迎える高齢化社会』が衰弱死せず新たな進化を目指すための方策はこれだと思う。ではその実行にあたってのリスクとは何だろうか?

 例によっていきなり結論。
 私は、『人間の邪心』ではないかと予測する。『AIは敵か味方か』ではなく、『悪いのは人間』というハナシになりそうな気がするのだ。
 例えば、わざわざにAIが深刻な問題を起こすようあれこれ仕込んで吹いて回り、AIの優位性が広く認められながらも、その採用が躊躇されるような社会風潮に仕向けようと企む人間は出てくるだろう。

 かなり有名なところで、漫画『デビルマン』の原作版を御存知だろうか。テレビアニメ版では洗練されたデザインのいでたちでもって夕暮れのビル建設現場で物思いにふけっていたり、戦闘シーンではオシャレに光線技なんかも使ったりしていた彼だが、原作版では全く違う。
 血で血を洗う殺戮の毎日に明け暮れるデーモン族、これが人間社会を標的にし始め、人間・不動明はデーモンと合体することで、『人間の心』と『デーモンの身体能力』を併せ持つ『デビルマン』となり、体を張って人間社会を守る立場となった。よってその姿はケダモノ然としており、格闘シーンなんか野生の王国風に鮮血飛び散る猟奇的なものだ。

 この原作版においては、天敵デーモンに狙われ恐怖に浮足立った人間が次々と社会性・倫理性を失い、救いようの無い自滅の道を辿ってゆき、それを目の当たりにしながらも人間のために戦い抜こうとするデビルマン不動明の激しい葛藤が描かれている。
 高度経済成長期、今のAI議論の祖先とも呼べる『科学技術の倫理性』が盛んに叫ばれた時代、金欲・物欲・名誉欲を貪る日本社会が、政治や教育に深刻な理不尽を自覚して迷った時代の名作である。

 デーモンとの合体にあたり、先導役・飛鳥了が不動明に告げた採用基準はこうだ。
  『デーモンの意識をおさえる強い意志、
   純粋で善良な心を持ち、正義を愛する若者でなければならない!』

 『人間の心』と『AIの情報処理能力』を併せ持つ『新電脳世代』たちには、ロートル妖獣どもが吐く毒に巻かれたりせず、何よりシンギュラリティを希望の変化点に持ち込むという大仕事を担ってもらわなくてはならない。

 私ごときにも、多少は案内役めいたマネができるのだろうか?考える前に焚き付ける。
 若者たち、やってみたまえ!

【556】超絶スパコンの入力ミス再発防止策 [ビジネス]

 おやや、もう少しかかるかと思ったが、喰い付き閲覧数の伸びが以前以上に揺り戻した。
 御贔屓の読者さんのカムバックと【551】、御新規さんの増分が重なった感じである。

 ここの御贔屓さんは、原則ダメオヤジでもお飾り首長でもなく、ガチで組織運営の実効責任を負って日々を戦う方が相当数のはずで、だとすると、たかが自分の感情の拒絶反応ごときに身を預けて知らん顔を決め込んでいて済むはずもないと思う。
 頭が冷えてくれば、どうにかしないとどうにもならない現実の重たい認識が戻ってくるし、ひとつひとつ自分の手をかけて、1ミリずつでも現実を動かして行く以外に道は無い。

 いま戻って来られた方には、記憶が真新しいのでよく響くだろう。すこぶるヤな質問をする。
 グズっていた時間に、その精神力を活かした発想で、どんな妙案を思い付けましたか?

 もう私相当の年齢にもなれば十分に組織高齢化のハナシは『イヤな内容、読みたくない内容』になっていて不思議はなく、だからこの通り拒絶反応も出る訳だが、そんな時『イヤ』と思う自分の感情の出所をきちんと解き明かしてみることをお勧めする。
 20代の頃、私は『嫌になったり腹が立ったりやる気が失せたり、仕事を荒らすネガティブ感情が湧き上がったら、まず自責でその原因を明確にしろ。その心理状態を表面化させて他人に接し、周囲に影響を波及させる判断を下すのは、それからだ』と教わった。自他ともどもの効率向上という目標をいつも忘れず、自分の感情と態度には社会人としての責任を持てと。

 さて前回に続いて、『京』の話をもう少し。
 『京』の演算速度は11ペタフロップス=浮動小数点演算1.1京回/秒、これがネーミングの由来でもある訳だが、原始的なサルに匹敵する情報処理能力だと述べた。それはそれで凄いのだが、これまた驚かされるのがその消費電力だ。
 実に1万2千キロワット、淡路島の約4割の消費電力に相当するという。何だか数字のパッと見以上の感覚がなくなってよくわからんな。ただコンピューターの省電力化は、まさにそれそのものを課題に置き、目標値を掲げて競う企画が既に始まっており、この『京』のレベルからは、またしてもの驚愕のレベルで改善が進んでいるという。

 では人間くん。
 1エクサフロップスの稼動中かどうかは定かでないが、その消費エネルギーは10ワットそこそこで済むそうだ。ふむ、10ワットのLED電球か…アレが自分のドクロの中で光って多少は発熱もしてて、そのエネルギーを丸々喰って自分の脳みそが何かしら考えておると。
 う~ん、やっぱ首から上が暑くなるのかなあ。まあでも通訳仕事なんかで脳みそフル稼働すると真冬でもカッカするし、確かに思いっきり腹が減りますからね【201】

 こうして並べて比較すると、何だか機械くんvs人間くんで勝負になっているようにも見えるのだが、冒頭の話で『ナニナニするのがイヤ』『マルマルが気にいらない』みたいな感情って、一体どんな情報処理なのだろうか。
 もう少し概念を拡げて、せっかく納得性高い物事の処置方策を万人共通に適用できるよう、ちゃんとルールとして明文化したり、そこまで行かなくても良識としての不文律ができていたりするのに、そこからわざわざ『職場の常識、世間の非常識』式に歪んだ『ウチワの掟』なんか思いつく演算プロセスって何なのだろう?
 こんな明らかな逸脱の事例に遭遇して、既存のルールに素直に則って迅速に是正処置をせず、あろうことか尻馬に乗ったり担ぎ合ったりする演算プロセスって、どこがどんな勢いでまわっているのだろう?滑稽な稼働状態である。

 ここまで思考が及べば、もう二度ともったいない時間を過ごす失敗もなくなることと思う。
 時間がもったいないと思う心には、一刻も早く先に進んで、そこでやりたい何かがあるはずだ。改めて、身の振り組織の振りを考え直してみていただきたい。

 ドタバタの7月が終盤を迎え、どうにか真夏の家一軒撤収作戦は完了しつつある。
 1980年代のモータースポーツ雑誌10年分、こんなものまできちんと喜ばれながら引き渡せたのだから奇跡的な幸運としか言いようがない。好きな人には買いたくても買えないモノながら、興味のない人には無価値以下の変な古紙の束ですからね。
 でも、捨ててたまるかっての。

 さあ、そろそろフロー状態のトグルスイッチに指がかかってくれよ。お願いだから!

【555】電流火花がアタマを走る [ビジネス]

 NHKが、社会の課題をAIに尋ねるという企画をやっていたようだ。悪いがツカミの数分をちらっと覗きかけるだけに終わってしまった。
 社会の様々な指標値のビッグデータをジャンル横断で入力し、機械任せで検出された相関性の高い事象同士を結び付けて考察型討論のお題にするというコンセプトは理解できるが、そもそものお題の採択にどうしてもおセンチで陳腐な人間の感情が絡んでしまっているようで。

 いきなりガツンと悪魔の発言をしよう。
  『少子高齢化社会の問題を解決したいなら、高齢者から順に殺処分すれば良い』
 唖然とする殺伐とした内容だが、絶対にAIが返してくる回答の一例のはずなのだ。
 慌てて『人を殺してはならない』と条件を追加すると、今度は島流しなり姥捨て山なり、一般社会からの隔離を回答してくることになるだろう。
 ヌルいマンネリ時事展望の漫談に終わらせたくなければ、本来このシビアな死活問答と血みどろで取組み合う公開デスマッチにせねばならない。AIは、少なくとも初期段階では、慈悲も手加減も知らないし、そこにブレイクスルーのきっかけがあるのだから。

 人工知能=AIなるコトバが盛んに飛び交うようになったが、簡単に分類しておきたい。
 まずはステップ1から。

 例えばチェス、将棋、囲碁などが解りやすいと思うが、一定の規則世界における事例を多数記憶させてライブラリー化し、目前の現実と類似性を照合して『最も勝率の高い次の手』を導出する形態、これが『機械学習』だ。
 規則一般に基づく勝率の高低のみならず、プレイヤーの個人的なクセなど個別の傾向まで、常に最新の事情を反映しながら、計算式相応に完全ニュートラルな結論を出力する。十分な記憶容量と計算速度および使いやすい出力形式さえ叶うなら、人間に勝ち目は無い。
 ホントいうと人工知能というコトバで語るにはちょびっと物足りない領域なのだが、実はこれだけで、経験則がウリの商売に従事する人間はごっそりお払い箱になる。

 その一歩先に話を進めよう。ステップ2だ。
 莫大な情報を記憶した機械くんが、何をやり始めるのか=何をしようと『動機づく』のか、つまり人間以外の社会活動の単位として機能し始めるコト、これを巻き起こすのが『ディープ・ラーニング』である。
 例えば日本国の年齢別人口分布を前にして、まず乳幼児に高致死率の伝染病が流行ったのか、中高年の移民が多数流入したのか、どんな可能性を選出して関連事項の情報ストックで演算を開始するのか。
 つまり、いわゆる『関心事』や『思惑』みたいなモノに基づく処理プロセスが何通りかあったとして、それを採択するステップが訪れるのだが、そこに『人間が知性・理性を見出せる何か』が顕れるコトが『人工知』であり、その人工知のグレードアップが機械くんの自己完結として進行する概念のことをディープ・ラーニングという。
 こうなってくると『うおおお、確かにそういう見方もあるか、こりゃ人間マイッタ!』的な発想力勝負の押し引きで、人間の『ひらめき』みたいな領域が脅かされてくる。
 小学生たち、まだ若いのにユーチューバ―なんぞに憧れるのは時代遅れだと思うぞ。

 さて『シンギュラリティ』なる表現が充てられ、『超知能』や『超知性』が引き起こす社会現象の不確定性が議論されるのは、本来この先のコトのはずなのだ。これがステップ3、課題の概念が皆無の状態から知的作動が発現する、いわゆる『人工意識』である。
 このへんになると、相手あっての事情まで絡んできて『意識があると他から見える』で済むのか、ひとりぼっちで本気の『意識性自立現象を起こす』ところまで行くのか、物凄いコンピューターを作るだけで『意識は自然発生する』のか、いやその目的で組む『意識プログラムが必要になる』のか、議論がめちゃくちゃ面倒臭くなってくるのだが、いずれにせよ従来の人間にあり得る範疇の限界を超える事象が転がり出てくる可能性が想定される。
 人間の範疇を越えたものを目前にした人間が、『ああ、これは人間の外側だなあ』と正確に認識できるかどうかはイマイチ怪しいものの、ともあれそんな驚愕の瞬間は到来しそうである。これがいわゆる『シンギュラリティ』の象徴的な節目のラフスケッチなのではないかと思う。

 この日本で凄いスーパーコンピューターといえば、やはり『京』が最も有名なところだろう。
 いまコイツが11ペタフロップスの演算速度である。フロップスとは1秒あたりの浮動小数点演算回数のこと、ペタとは10の15乗のことを意味する。
 これをいきなり『知能』や『意識』の定量評価尺度に読み換えるのが妥当だとは言い切れないが、神経細胞14億個で脳を構成する原始的なサルくらいの能力に匹敵するのだそうだ。
 人間の脳を同じ尺度で見ると、もちろん神経細胞が遥かに多くて860億個あり、これに対応する情報処理速度は1エクサフロップスとなる。エクサとは10の18乗のことだ。

 2022年には、人間の脳機能のシミュレーション実験が始まるという。
 これを担う次期型=ポスト京の演算能力は、まさにその1エクサフロップス。早や5年後にはそこに到達していることを、あなたは御存知だろうか。

 何かひとつの事に専念すると、人間は身ひとつしかないので、他の手が止まってしまう。
 だから仲間と協力して組織をなし複数の事を同時に進めたくもなるのだが、その仲間が不安定な人間なので、必ずしも狙い通りに業務処理能力の倍増が得られるとは限らない。
 それどころか、ここで長々とやってきたような組織運営の苦労話ばかりが嵩んできたのですな。AIで人間を置き換えればすっかり安心できるとも思えないが、組織運営に新概念の時代が始まることは確かだろう。
 さて、そこでだ。

 ここ何回か『組織の高齢化』とは、人間のどんな一般的性向が引き起こす、組織のどんな非・生産的傾向なのかを解説してきた。御自分の身の回りで、結構あるあるだったり図星だったりしたのではないかと思う。
 その組織体質で、ここまで身近に接近しているシンギュラリティ時代を生き抜けるのか?

 皆さんAIに頼るまでもなく、合理的回答は電光石火で実感できていると思いますがね。

【554】特養老人ホームの斜陽経営陣 [ビジネス]

 一週間が経過し、引き取られるべきモノは全て引き取られて概ね旅立って行き、お別れすべきモノはこの手で破砕ピットに葬った。どうにか及第点の進捗かな。
 オーブンレンジに電子レンジ各1台ずつ、懐かしのラジカセ、ミル付コーヒーメーカー、電熱炊飯器から土鍋から御膳から姿見から、単品サイズが幾分マシになっただけで、先週に勝るとも劣らぬ数の品々を次のユーザーに引継ぎ成功、一気にやっちゃえば何とかなるものだ。
 実はかなり貴重な偶然に助けられ、こうして安心して先を急ぐことができているのだが、ともあれモノは大切にしておいて間違いは無い。いつか良いコトありますように。

 で、まだ続く『組織の高齢化』説の検証である。何度もだらだらとやる話題でもないと思うので、こちらも一気通貫式に行ってしまいたい。
 今や『知らなかった』でも『知りたくない』でも済まない局面だし、解って無策を決め込むならそれも結構、将来の自分や自組織がどんな事態になるかも予想がつくはずだ。

 過去に一度、老人ホームの経営者が語るその実態について書いた【194】

 『例えば食堂の席、入浴の時間、さらには旅行した出先での座り位置まで、実は誰がどこと全て決まっているのだ。皆の顔色を窺いつつ、そこに自分の居場所を作り出さねばならないのである』
 『上記のような問題を抱えがちになるのは年齢相応の傾向として自然なことであり、だからこそ入居する人もさせる人も、施設の雰囲気と入居者本人の適性を見極め、そこでの生活と絡んで楽しめるかどうかをよく考えるべきだ、という話である』

 まさにドンピシャで高齢化率の高まった組織の自我が示す傾向を言い当てているワケだが、当時これをくくりにかかった私の見解はこう。手前味噌だがクリーンヒットである。

 『さてここまでの話を、まだ見ぬ老後のこと、隔離された特殊な世界のこととして読まれた方、本当にそうだろうか。私には、大企業や役所の出世競争に役員人事など、まさにそのイメージと感じられたのだが』

 この老人ホームの内情は、もちろん経営者が『そうするのが良い』と計画的に狙った方針ではない。
 前回の『演技と演出』の紹介に続いて、つまり『特に意識して努力しないラクチンな状態』としてなりゆき任せにしておくと、自然とこの『不明瞭なのにガッチガチに融通の利かない掟社会』に安泰するという皮肉な現実を語る事例である。

 もうひとつ触れておこう。高齢化組織の弊害が散見されながらも、揉めゴト荒れゴトを起こさず上手くやれているケースには、優れた調整役が必ずいるものだが、それはつまりこういうことではないだろうか。

 『従って、職員が外力として入居者コミュニティに働きかけ、それと感じさせない支配力で、いかに入居者間の軋轢を緩和・解消するかが運営の鍵となるそうだ』

 利益性をしっかり保証しつつ、これまで継続もできている老人ホームの経営者が、仕事のノウハウとして語った言葉である。
 威張り合いで架空の力関係が組み上がり、それを確かめあう表向きの日常が流れながらも、裏では然るべき運営能力が静かに働いている…と言えばどこかの職場の実情みたいに聞こえるが、さにあらず。
 役職ポストで架空の力関係が組み上がり、その機能を演じる表向きの日常が流れながらも、裏では議会を偏向させる水面下の運営能力が秘かに働いている…と読めてしまったりもしないだろうか。
 で、ここ最近いろいろあるらしく、職員さんたちが職務放棄し始めて、入居者の軋轢を暴露しあう状況になりつつあるとか。

 邪心の議会操作が機能不全に陥るのは、あながち悪いコトでも無さそうな気がするのだけれど、その先に漂う憂鬱な不透明感は、まさに高齢化組織の将来像のそれに一致する。
 だって将来世代の絶対数が少ないのはもう確実で、将来生産力の絶対値が大したことないのも、もう確実なんだもん。
 だから現状、全ての政策は現実の限界まで予算緊縮すべきであり、いっぽうガチで将来世代が助走距離にして飛び立てるような政策をいち早く固めて、いま削る分を目一杯そこに潤沢に注ぎ込むべきなのだ。

 これで東京五輪汚職や豊洲欠陥建屋に関する、私の一連の立ち位置が御理解いただけることと思う。
 まず加齢臭から隔絶した空間を立ち上げる。日本国の喫緊の課題はこれではなかろうか。

【553】亡霊の正体見たり枯れ社員 [ビジネス]

 参った。掘っても掘ってもモノが出てくる。急がないと。
 姉が急逝し、それまでの姉の日常生活が丸々遺品としてどかんと残り、とりあえず片っ端から引き上げたはいいが、その処置をしようとしたところで突然自分が使い物にならなくなったんだもんな。
 遅まきながらも、軒並もらい手さんのところへ引き渡しが進んでいるので良しとしようか。

 まだもう少し『組織の高齢化』説の検証をやっておく。
 ジブン的に『ああ、これもそうだったってことか』とハタと手を打ったのが、『職場の亡霊』シリーズである【117】~【119】
 普通に考えて実現できっこない業務計画を、そうと重々判って業務管理に組み、毎年度末には茶番丸出しのウソ大法螺でっち上げで、成果欄を埋めるためだけの作業をやっつける慣習。何故こんなことになる?
 外の人間から見れば完全にタダの無能バカであり、こんなものに時間を割き給料を出していたら、工数も財務もきつくならない方がどうかしている。小学生でもわかることだが、中の人間にしてみれば『解っちゃいるけど、言いっこナシ』で従来踏襲する自堕落から、どうしても腰が上がらない。

 いくら『今がどう理屈に合っていなくてダメなのか』を懇切丁寧に解説したところで、ラチが開かないのも当然なのだ。
 知らないものに出遭いたい、いま頭に無いものを思い付きたい、これまでなかった新しいことがしたい。未知の空白に向かって建設的な想像力が拡がり、そこに積極的に踏み込む意欲が自然と湧くのは、伸び代ある若者ならではのことである。
 人間老いてしまうと、まず何がどうあれ体がついて来ないので動き出せなくなり、その帳尻合わせとして余計な知恵を使うことになる。これが過半数の示し合せで固まると『ウチワの掟』となり、高齢化組織として生産性の低下が目立ってくるという訳だ。

 私は当時、職場の亡霊の対策として『職場を閉じた世界にしないこと』と述べている【119】
 めいめい会社一色の生活にならないように関係者一同が注意して、外の生活で意識の一定領域を埋めるようにするべきだと。外の視点での自己管理が必要なのだ。
 外の人間から見れば完全に無能バカだとはいうものの、引き籠る小世界があれば、老衰した老人たちは器用に自分を納得させ、狭い井の中で陰鬱な生態系を完結させる術を知っている。組織の高齢化は、自ら内向きに落ち込んでいくブラックホールのような進行性の傾向を持つ現象なのだと思う。

 高齢化云々以前に、『人間とは、こうなりがち』という面白い例を紹介しておこう。
 平田オリザさんの『演技と演出』という本に、こんな一節が語られている。

 『劇団の中だけで演出をしていると、ついつい説明しなくてもわかってくれる仲間たちとだけの作業になってしまいます。外部の俳優、とりわけ外国の俳優と一緒に仕事をすると、前提としていることが異なるので、全てを説明しなければならず、しかしそのことは、演出家にとって自分の漠然とした考えを自覚させてくれるいい機会となります』

 なるほど、生来にして標準よりは外向きだったと思われる私だが、会社組織についてあれこれ考えを巡らす時期に、海外の連中と、しかも現地で長期間仕事をする機会に恵まれた幸運が効いたのかも知れない。

 さて、『少子高齢化』というくらいなのだから若者の絶対数は減っており、日本社会のあらゆる組織を若返りさせるには、あまりにも足りないところまで来てしまっているのは御存知の通り。
 だからこそ、自組織の社会的ポジションを熟考した上で、勝率のある立ち位置を見定めて身の振り組織の振りを決める時代だと述べた【546】
 若者たちを単に苦難から隔離擁護するつもりはないけれど、一同が理解しないまま、せっかくの伸び盛りが加齢臭の牢獄に囚われ非効率な時間を過ごすケースを減らしたい。日本社会のなけなしの元気を、効率的に国力に振り向けたいのだ。

 繰り返すが、加齢そのもの、高齢そのものは悪いコトでも何でもなく、きちんと将来の展開を工程表に描いて平和かつ幸福に決着できるなら、これに越したことはない。
 一方、若年層を迎え入れ、旧知をどんどん未来の進化発展に昇華できる余力を残した組織については、いち早くその自己認識を内外に共有して、成果発現の模索に全力を上げるべきなのである。

 まずは職場に横行する『解っちゃいるけど、言いっこナシ』の聞き込み調査でもやりますか。
 アリアリのバレバレで『記憶にありません』なんて台詞だけは聞きたくないもんですな。

【552】『継・拾・取』ツケの支払期限 [ビジネス]

 前々回に洩らした通り、訳あって一週間後には家一軒カラッポにせねばならない。
 もっとも、どうせ猛暑の最中では何もできず活動可能な空調環境を渡り歩く生活だから、いっそ滝汗の短期集中作業がダラダラもせず正解かも知れない。

 近所のホームセンターが金属料具を引き取ってくれるので、今日も大きなカレー鍋ひとつと圧力鍋ふたつを引き渡す。まだ使えるものを、どうしても『ゴミ』にはしたくない。
 探せば引き取り先もあるもので、昭和のラジコンカーなんかは査定した上で某店が買い取ってくれた。なんとレストアして遊んでくれる人種がいるらしい。
 感謝感激、私はコイツに随分と仲良く遊んでもらって、育ててもらったのだ。

 何だかんだで高校受験までには音楽小僧になっていた気がするので、きっと中学中盤までのものであろう。
 構造と作動原理は長くなるのでまたの機会にするとして、単純で軽量な2ストローク式、これを分解・再組立したのが私にとって人生最初のエンジン整備である。思えばこれを起点として、のちに本物の自動車のエンジンまで怖気づかずに全バラOKとなっていった。
 バッテリーとモーターの両方で小型軽量・高性能化がめざましく進んだため、最近のラジコンは車も飛行機もヘリコプターも、びっくりするような大型機が電動だったりする。
 そりゃ油汚れは抑えられるし、音も控えめだし、火傷の心配も少ないし、スイッチONで即作動は手軽だけれど、身体で覚えるガテン系・体育会系技術の楽しさを知る者としては、ちと物足りない気もする。

 あのエンジンやRCカーが、また好きな人のところで楽しんでもらって、叶うなら子供たち世代の成長の足しになってくれれば、これに勝る幸せは無い。
 そう、機械は扱いさえ間違えなければ、危険でもないし怖がる必要もないのだ。

 これでも明朝『重症の割に、もう手をかける時間が無いから』と修理を諦めた大型ファンヒーターに電気ストーブ、シーリングライト、電話FAX複合機2台、CDデッキなど車いっぱいに積んで、廃棄場に持ち込むのだ。
 まあ、いかなる事情であれ私にとってモノを捨てるのは大変にツラい作業である【239】

 何しろまず欲しいと思って手に入れたワケだし、その検討過程では一番いいと思うのを選んでいるはずだ。日常に馴染んで一緒に暮らした生活の記憶も積もっている。
 いっぽう作る側の立場としては、例えばストローや耳かきの一本でさえ、一番いいと思う設計をしているはずだ。もちろん工場では、きちんと品質管理のもと生産している。
 人がいいと思って作ったモノを、人がいいと思って選び取った以上は、なかなか捨てるに捨てられないのも仕方なかろう。とにもかくにも、私は現実解を見つけて処置を決めるしかないんだけど。

 そろそろ話をここ最近の路線に戻そう。
 東京五輪の諸施設しかり、豊洲の欠陥建屋しかり、大阪と四国のガッコしかり。これらは、誰が欲しいと思って、誰が手に入れて、誰がその成果に思い入れるモノなのだろうか?
 誰が、誰にとって一番いいと思う設計で作ったモノ、あるいは作るモノなのだろうか?
 これらに関わる生活を営んだ人々は、いずれ別れを惜しんで可能な限りの存続を望み、更には部品ひとつでも手元に置いて、ずっといつまでもその記憶を大事にして暮らそうとするのだろうか?

 常識的な法治国家で普通に法律を順守すれば、社会で少なくとも過半数の納得は得られる答が見つかるはずである。
 裏返せば、その答がいま見つからず提示できていないから、何をどう議論してアピールしようとも実質的な進展がゼロのままなのだ。

 敢えてのわざわざ、具体的に直言しておこう。
 上記一連の問題は日本社会の運営組織が老衰モードに陥ったこと、これが原因である。
 人がいいと思わないコトをするために、人がいいと思わないモノを作ってしまった。
 既得権益を持つ高齢者が僅かな余生で卑しくトクするため、ウチワの掟でこっそり税金を使い込む魂胆だったのだ。日本社会が従うはずの法律なんかハナから無視の確信犯である。
 次世代がその処置を要求される、将来財務の心配ができる人間の所業では到底ない。

 モノを大事にできない人間が、モノを作りその恩恵に預かる人間から、大事にされようはずもない。どいつもこいつも、いい加減に観念して、モノたちに謝って出直した方が良い。
 さあ逡巡と苦悩の一週間、後悔の無い決着を頑張るとしますかね。
前の10件 | -
メッセージを送る